つがい編
だと言うのに、このお嬢さんってば。
「だ、だって……だってあたしは、ウェル様の、つがいだから……」
「何それ」
つがい――普通に考えれば、動物の雄雌一対、だろうか。
ヴァーヴ様に色目を使うこのご令嬢のことだから、自分がこの方の妻になるべきとでも言いたいのだろうけれど。
……やだなぁ。
ヴァーヴ様も嫌な顔をするが、子爵令嬢は胸元で両手を組み合わせて訴える。
「もう、意地悪言わないで、ウェル様! 本当は最初から解ってるんでしょ!? あたしはあなたの、あなただけのつがいだもの!
そりゃあ悪役令嬢にとってあたしは邪魔者かも知れないけど、つがいを求めるドラゴンの本能には逆らえないはずよ! 魂の底からあたしを欲しがってるのに、どうして素直になってくれないの!?」
「何こいつ怖ぇええええ!」
とうとうヴァーヴ様が悲鳴を上げた。僕とサクラお嬢様……だけじゃないな、子爵令嬢の取り巻きだったはずの一同も最早ドン引きだ。
あまりの衝撃に、僕も間の抜けたことを口にしてしまう。
「……ええっと……ヴァーヴ様……そんな本能、あるんですか?」
「ないよ! あるわけないだろ! いくら俺でもドラゴンの本能なんてほとんど残ってないよ! 普通のドラゴンだってそんなのあるかどうか、公爵甚だ疑問だよ!」
「そもそも彼女の言う『つがい』って、何なのかしら」
それもそうですね、お嬢様。
当のドラゴネル兄妹の言葉に、子爵令嬢は今更ながら当惑を見せる。
「え……? だって、シナリオでは……」
「あなたの言う『つがい』って、何なのかしら」
コミュニケーションを取る気のなさそうな子爵令嬢に、サクラお嬢様もさすがに苛立って来たようだ。
うっすらとだが竜気を纏わせ嫣然と、それでいて凄絶に微笑む。兄君の援護も必要ない迫力は、やはりこの方もドラゴネルなのだなと実感させられる。
お嬢様を怒らせるべきではないことに、この子爵令嬢とついでに殿下他も、今になってようやく気付いたようだ。
遅過ぎるわ。
お嬢様の気迫に呑まれたか、子爵令嬢は顔を引き攣らせながらも、ぽつぽつと説明を始める。
「え……ええっと……ウェル様はドラゴンだから、唯一無二のつがいがいるはずで……それが、あたしなんだけど……」
「聞き飽きたわ。だからその『つがい』の定義は何なのかしら」
ヴァーヴ様が妹君を咎めようともしないのは、その方が手っ取り早いからだろう。自分が子爵令嬢の相手をするのが嫌になったからとも考えられる。
「え……だ、だから……ドラゴンが、たった一人だけ認める、生涯の伴侶……じゃ、ないの?
その姿を見た瞬間、魂の奥底から相手を欲し、相手に執着し、どんな障害があろうとも必ず手に入れて、他の者なんて目にも入らないほど永遠にその相手だけを愛する……のよね?」
子爵令嬢はきょとんと目を瞬かせ、縋るようにヴァーヴ様を見るけれど。
「……初耳だわ」
「そうだな、サクラ。お兄ちゃんもだ」
ドラゴンの血を引く兄妹は、口々に否定した。
否定されて子爵令嬢は、信じられないように声を上げるけれど。
「もしその通りだとすると、ドラゴンの本能に逆らえない俺は、妹を虚仮にした相手であっても構わずに執着して溺愛する……ってことになるんだが。
うちは嫁の身分も種族もあんまり拘らないけど、さすがにないな。サクラを害するような奴を家に入れたら使用人から総スカン喰らうわ、いくら俺が当主でも」
ヴァーヴ様よりお嬢様の方が、遥かに支持率高いからね。当主付きの僕でも、それはフォローしたくない。
「加えて王子殿下の恋人を奪った、と言うことにもなりますね。事実はどうあれ、大きな醜聞です」
「ま、王家と敵対したところで、今更って感じなんだけど。
それはそうとお前さん、一体どこでそんな与太話を聞いたんだ?
まずさっきも言ったが、いくらドラゴネルでもドラゴンの本能なんざほとんど残ってないからな。
それに純血のドラゴンにも、そんなのないから。一目惚れはあるかも知れんが、魂の奥底から相手を求めるって、さすがに怖過ぎだろ。
まあ、大叔父の覚え書きには、『一目惚れの相手とは、自分の肉体あるいは精神の構築上、最も優秀な子孫を残すことが出来る相手』とかあったなあ。
より強くより賢い男の胤を求めるのが女、って俗説を、どっちの性別にも広げて辻褄を合わせようとしたらこうなった、って話だったな、根拠は何もないんだけど。
でも大叔父のその説が事実なら、お前の言うつがい理論もあながち外れちゃいないのかも知れん」
話がずれてます、ヴァーヴ様。
「あとは……ああ、そうそう。
実際のドラゴンはパートナーへの執着は薄いぞ。個体が強いから種の数を増やすことにも淡泊なんだよ。溺愛なんてするはずねぇ。
ま、浮気願望も薄いがな。だからって生涯に一人……あるいは一頭、か? それも間違いなんだよなぁ。伴侶が亡くなれば、後添えを探すことだって珍しくもない」
「……うそ……だ、だって、だって、シナリオでは……」
「いや、これがドラゴンの現実だから。
それとも俺等が知らんだけで、世間一般にはそーいうことになってるんかな? マシュー、知ってる?」
「僕も聞いたことはありません。どこでそんな話が……」
ついでに殿下他にも、視線を向けてみよう。
すると侯爵家の子息が、ふと思い出したように呟いた。
「自分が護る財宝に執着するドラゴンの話なら……」
「それ、呪いでドラゴンにされた元人間の話だけどな」
ドラゴンが何かに執着するのは、この隣国の昔話くらいだろうか。
「それを元に、財宝ではなく恋人に執着するドラゴンの話が、どこかで書かれたのかも知れませんね。
庶民の女性向けの通俗小説なら、そんな設定もありそうです」
「マーロウ……あなた、そんなもの読むの?」
「なかなか興味深いですよ。
侍女が婚約者のいる主に愛される、なんてものもありました」
「まあ」
他人事ではない内容に、お嬢様は目を瞠った。
その筋書きを持ち出したのは、勿論そこで沈んでいる殿下への皮肉である。
さてさて。
この一件は、色々妄想を拗らせた子爵令嬢による茶番劇――と片付けていいだろうか。
「巻き添え多数だったがな。
まあ公爵的には、アホ王子に妹をやらずに済みましたが!」
「ぐっ……」
今回の騒動で第三王子がどのような処分を受けるか……は、まあ、正直どうだっていい。今後二度とうちのお嬢様に関わらないでくれるのなら。
「今度は真面な相手を探そうな、サクラ」
「わたくしよりもお兄様でしょう?
ところで、一つ気になったのだけれど――ヒース様」
「……何よ」
サクラお嬢様の言葉に、子爵令嬢は不貞腐れた様子で応じる。いい加減に立場を弁えろと言いたい。
だがお嬢様は子爵令嬢ごときの非礼など気にしていない様子で、記憶を辿るように視線をずらした。
「あなたの言う、ドラゴンの『つがい』の定義――万難を排してでも手に入れるほど求めてやまない相手、だったかしら。
それを前提として、もしもわたくしが殿下を『つがい』として見なしていたら、どうするつもりでしたの?」
『へ』
これにはヴァーヴ様と殿下も、間抜けな声を上げた。
仮定だと解っていても不快な例えにヴァーヴ様は眉を寄せるが、殿下は一体何をどう聞いていたのやら、
「……サクラ嬢……き、君はそこまで私を……」
「もしもの話ですわ、殿下。わたくし、ドラゴンではありませんのよ」
莞爾と否定。
当たり前である。
「っつーかドラゴンだろうがマンドラゴラだろうが、こいつに惚れるなんてないだろ、サクラ」
「もしもの話ですわ、お兄様。わたくしもそこまで寛容にはなれませんもの」
「そうですよ、ヴァーヴ様。お嬢様が殿下をお慕いなさるより、あなたが普通に仕事をする方がまだ現実味があります」
「お前、俺を何だと……」
公爵と言う名の無職引きこもりだと思っていますが何か。
「わたくしとお兄様は、父も母も同じですのよ。それとも『つがい』を求めるのは、雄だけなのかしら」
言われてみれば、そうだ。
子爵令嬢の妄想通りヴァーヴ様がつがいとやらに執着するのなら、その妹君も同じ行動をとる可能性はある。
そしてもし仮に万が一、ドラゴンの本能に逆らえないお嬢様が、渋々この木端王子をそのように見ていたと仮定すると。
「その場合、一番の障害は間違いなく、あなたですわよね?」
「え」
言われて子爵令嬢は、何故か戸惑いを見せた。
当人の思惑がどこにあろうが、お嬢様と殿下との仲に亀裂を入れたのは、紛れもなく彼女である。
結果、何をどう勘違いしたのか、子爵令嬢に誑かされた殿下と不愉快な仲間達は、お嬢様が嫉妬から子爵令嬢を苛んだと責め立てたのだ。
そこをヴァーヴ様に凍らされたわけだが。
「もし仮にわたくしが殿下を『つがい』としていたら――それこそ彼等の言う通り、あなたを排除しようとしたでしょうね。ドラゴンの本能に従って」
「……まあ……そうかもね。
それはそれでシナリオ通りだけど」
踏台殿下に近付く過程でお嬢様から妨害される可能性は、彼女もまったく考えないわけでもなかったのだろう。
まあ実際にお嬢様がそんなつまらない真似をするはずがなく、このどら息子共の言い分は、単なる言いがかりにしか過ぎないのだが。
しかし。
もしお嬢様が本気で子爵令嬢を排除しようと目論んだら。
「彼等の言う嫌がらせなんて、可愛いものじゃなくて? 持物を隠したり水をかけたりだなんて、随分と生温いわ。
それにわざわざ階段から突き落とさずとも、人を“壊す”術式を組んだ方がよほど早いし確実ですわね。ああ、実際に使わないからこそ言えるのだけれど――」
「……サクラ嬢……それは禁忌の術ではないのか……?」
侯爵家の子息が、震える声で。……あれ、顔色もよくないね。
彼の言う通り、代々の黒竜公が危険と判定し、王家が使用を禁じた禁断の術式――禁忌の術と言うものがある。
尤もそのほとんどは術式からして複雑怪奇なので、実際に発動出来る術者はほんの一握り。
その“一握り”の中に、お嬢様はきっちり含まれる――のだけれど。
「まあ、嫌ですわ。わたくしだってドラゴネルですのよ。
相手を本気で排除しようとしているのに、すでに世に知られている旧い術式なんて、わざわざ使うはずありませんでしょ?」
『えっ……』
お嬢様は優雅に微笑んでみせるが、木端な令息一同は青褪め絶句する。
するとヴァーヴ様も、ぼそりと一言。
「あ~……ま、禁忌の術って、どっかから言われて初めて選定するもんだからな。
『確実に禁忌扱いになるから下手に世に出さずに封印しちまおう』ってのは、うち限定ならごろごろある」
『えぇーっ!?』
考えてみれば、当たり前である。
建国から八〇〇年を経た現在でも、魔術研究の最先端は黒竜公なのだから。ごく稀に魔術の才がない者が生まれても、どう言うわけだか何かしらの秀でた能力は持っている――特に何かを“創る”方面で。
歴史を繙いてみても、敵軍を一気に瓦解させる魔光砲やら魔王を封じた聖剣やら、伝説の武器と言うかトンデモ兵器の生産地は、悉くがドラゴネル。
最近では白竜公ペンドラゴンと手を結び、ゴドディン王国全土に鉄道網を広げつつある。先代から続く大事業だ。
尤もこれもこれで、「理論は出来た! 俺の知識は全部くれてやるから後は頼んだ!」と先代様がペンドラゴンの閣下に丸投げしたも同然なのだが。
そして息子は息子で、たまに技術面で行き詰まった時に「ここをがーんってしてばーってやれば……ほら動いた」とする程度。ペンドラゴン家に作らせた公房に顔を出しても、頼まれるまでは鉄道そっちのけで、ドラゴンを模した一人乗りの機動兵器開発に勤しんでいる。
初めは趣味で造っていたその偽ドラゴンも、“機竜”とか命名されて王国騎士団で正式に採用されてしまう辺り、ドラゴネルの底力だろうか。
ゴドディン王国建国王を支えた白黒二頭のドラゴン――の末裔は、八〇〇年を経た現在でも権勢を奮っている。
国内の経済を掌握し政治にも大きな影響力を誇る、白竜公ペンドラゴン。
大陸最高峰の魔術の使い手でありながら科学技術の発展をも牽引する、黒竜公ドラゴネル。
双公と称される彼等のどちらかでも敵に回せば、仮令王家でも無傷では済まない。
考えなしの第三王子とその腰巾着、自分の都合のいい妄想に浸っていた子爵令嬢にも、さすがにご理解戴けただろうか。
連載そっちのけで構想中、たちばな立花さんの『狼伯爵の求婚』を読んで「あっ! 被った!」と思ってしまいました。
……まあ方向性は違うし、別にいいか、と投下。
ところで。
女性向け恋愛の溺愛ものだと珍しくない、“つがいを溺愛するドラゴン”ですが……
この設定はどこから来たのでしょう?
ドラゴンの歴史を繙いてみても、単に調べ方が下手なのかどうなのか、判然としませんでした。
そんな経緯もあって思い立ったのが、今作です。
因みに公爵兄妹は、構想中の別作品から引っ張って参りました。
いずれはそちらも書けるといいな……(遅筆)いやその前に連載中の方を……(遅筆)
ついでに。
仮に乙女ゲームで、ヒロインをつがいだと、生涯における唯一無二の伴侶と見なす人外キャラがいたとして。
ところがヒロインが別ルートを選んだとして。
……つがいを求める人外キャラの性格によっては、選択ルートのハッピーエンドどころか、泥沼になりませんかね?