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後編




 世界はたくさん存在しているといわれている。

 雪妖怪の里も、そのひとつ。

 リヒトシュルトの住む世界、魔界もそのひとつ。

 それぞれ独立して存在する世界は、けして交わらない。平行する線同士が、けして交わらないように。

 ならばどうやって、リヒトシュルトは雪妖怪の里を訪れたのか。


 ―――答えは簡単。


「……、ここ」


 華雪は、集落から少し歩いた場所にいた。凍てつく水面の小さな池。磨きあげられた鏡のように滑らかな水面は、陽光をキラキラと反射していた。


「ここが、境界……」


 例えば、大木の影の中。

 例えば、川の中。

 例えば、鳥居の影の中。

 例えば、竹藪の境に。

 日本各地には、たくさんの他界との境界が存在する。

 その境界は、簡単に越えてしまうことができる。

 昔から伝わる、神隠し。その説話の一部も、これだという。

 また、迷いこんでしまった説話もこれにあたるという―――山の中で無人の家に辿り着き、財宝を手にした話。転がるおむすびを追ううちに、いつの間にか地中世界に迷い混んでしまう話。

 昔話に見られるように、それこそ昔は簡単に境界を行き来できたという。

 しかし、近年はそうでもない。

 近年の急速に進んだ文明は、人々から未知の存在に怯え恐れる感情を奪った。そして、奪ったかわりに好奇心を植え付けた。

 好奇心、探究心。人々はおごり、科学で解明できないものはないと語るまでに至った。

 かつては、良き隣人だった人々と、人ではない存在。かつては共存していたけれども、今では共存できなくなった。

 ―――だから、人ではない存在たちは、多くの境界を閉じた。一部の境界を残して。

 華雪の目の前にある、この鏡面のような池がそのひとつ。ここは、魔界に通じている。

 昔から他界とは別に、全く異なる場所に存在する世界を異界と呼ぶ。

 他界は、ここであって、ここではないどこか、隣り合わせの場所。

 異界は、全く別次元にある、重ならず交わらない世界。

 気軽に越えられるのが他界、簡単に越えられないのが異界。

 ならば、どうやってリヒトシュルトは越えたのか。

 それは―――


「あった、扉……!!」


 華雪は、見つけた。

 鏡面のような凍てつく水面の一ヶ所に、違和感があることを。

 違和感―――時々霞んだりして、形が定まらない場所を。

 その場所は、違う気配が濃厚に漂っていた。


「……いざ!」


 華雪は、あの日リヒトからもらった便箋を手にしていた。リヒトの魔力が込められた便箋は、きっとリヒトのいる場所へ導いてくれるだろう。古くから力がこめられたものは、力の持ち主のもとへと導くものとして伝えられてきた。


 つーっと、凍る水面を滑り、華雪はその場所へ今にも踏み入れようと、した。


「待ちなさい」


 華雪は振り返らなかった。長の声に振り返らずに、言葉を返す。


「待ちません」


 ―――もう、待たない。


「なぜ!」


 長の声は必死だった。懇願にも近い、慌てた声。そして近付く気配。


「私は、自分で確かめたいんです! 何もしないまま流されて、自分の気持ちに蓋をしたくない! 自分の気持ちの行く末を確かめたいんです! ……ごめんなさい!!」


 ―――守られるだけの、籠の中という安全圏にはいたくありません。



 華雪は長の制止を振り切って、異界へと飛び込んだ。








 その場所は、空が一面雲に覆われた場所だった。


「……暗い……」


 華雪は、墨を垂らしたように黒い雲の広がりを見上げ、血の気が引くのを感じた。

 雪妖怪の里も、空が一面雲に覆われる日が大半だった。里の雲は、雪妖怪にとっての源となる雪を降らす、灰色と銀と白が入り混じる恵みの雲だった。

 しかしこの雲は何だろう。けれども、こんなにも禍々しい雲ではなかった。この世界の雲は、見るものを落ち着かなくさせ、不安にさせる。


「……これが普通なの……?」


 あまりにも禍々しい闇色の暗い雲は、空を隙間なく覆い尽くしている。

 華雪は空から目を離して、周囲を見渡した。


「……禍々しい……」


 大地は、そんな言葉が思わずついて出てしまうほどだった。

 里の池の入り口から入り、眩むような光を感じて目を瞑り、光が引いたなと思い目を開けて―――辿り着いた、魔界。

 そこは空が黒い雲で覆われ、大地は所々炎が燃えている、どこまでも灰に覆われた大地が続く場所であった。


「きゃっ」


 一歩踏み出し、華雪は足下の何かに躓き、たたらを踏んだ。あやうく前のめりに転倒しそうになった。


「な、に?」


 華雪は反射的に足下を見た。そこは灰が盛り上がっていた。華雪はその盛り上がりに足を引っかけたようだった。

 灰の盛り上がった箇所は、華雪が足を引っかけたことにより、覆われていたモノが剥き出しになっていた。


「―――ひっ!?」


 灰が覆い隠していたモノのは、どう見たって獣の……亡骸であった。


「あ、あぁ……」


 灰で着物が汚れるのもお構いなしに、華雪はしゃがんだ。灰を手で少し取り去り、獣の亡骸を露にした。


「どうして」


 獣の顔は苦しそうに歪み、血走った瞳を極限にまで見開いていた。


「どうして」


 華雪は、そっと獣の瞼を閉じてやった。そしてゆっくりと血にまみれた頭を撫で、残された声を聞いた。


「……そう」


 華雪は立ち上がり、獣の亡骸に静かに手をかざす。華雪の掌から雪が生まれ、獣の亡骸を覆っていく。


「安らかに、眠ってください」


 すすぐは雪ぐと書く。雪には祓い浄める力がある。華雪の雪は、獣の汚れた気を雪いだのだ。

 華雪は周囲を見渡した。 灰が盛り上がっている箇所がほとんどだった。とてつもなく、数が多い。


「臭い……」


 そして鼻につんと来る、燃えたあとの独特の匂いが辺りに充満している。耳をすませば、ぱちぱちという小さく燃える音が聞こえる。

 華雪は周囲を見回した。風もなく、幾つも幾つも煙が空に立ち上っていく。よくよく見れば、遠くに少し大きな炎が見えた。


「え……?」


 そこには―――時折、きらっと何かが光っている。燃える炎を反射して、何かが輝いているようだった。


「まさか」


 炎に反射して輝くものなど、限られている。その答えに、華雪はさらに血の気がひく。


「刀……?」


 金属だと答えを出して、華雪は直感した。反射する何かは刀だ、刀。武器だ。しかも数から考えて、たくさん。


「……何が起きているの……?」


 たくさんの刀、武器が使用されるなんて限られている。しかも、この場所から考えて普通の戦いではない。

 たくさんの武器、たくさんの灰、たくさんの灰の盛り上がった箇所。

 導き出される答えは、ひとつ。


「戦……!!」


 ここは魔界、リヒトシュルトの故郷。リヒトシュルトはその故郷で、尊い位置にいる。リヒトシュルトは、確かあの日―――何か起きていないか見回りをしていた。トラブル等といったいさかいごとが起きていないか、巡回していた。


「リヒト!!」


 華雪の懐には、リヒトの便箋がある。この便箋が導いた場所が、ここならば。


「リヒトー!!」


 華雪は瞬時に吹雪く風を纏い、空へと翔んだ。向かう先は、あの煌めく炎の場所。

 白と銀の雪を纏った雪女は、愛しい人のもとへ駆け付けるため、魔界の空を翔る。







「くそっ!!」


 魔王の王弟・リヒトシュルトは数人の部下と共に、暴走させられたモンスターたちを相手に死闘を繰り広げていた。

 魔薬―――媚薬を発展させた、体内に摂取したものは操り人形と化してしまう薬品。狂気にかられた研究者が、ひたすら好奇心を満たすためだけに作り上げた代物。

 狂気に満ちた研究者は、手当たり次第にモンスターたちへ薬をまいた。今の政権を快く思わない輩も、彼に協力した。

 そうして広まった被害は甚大。緑豊かな大地は汚され、空にも汚染が広がり、いつのまにや緑野は荒野となり果てた。

 今は、もう研究者も協力した輩も捕らえられた。

 あとは―――汚された獣を、倒すだけ。

 それだけ、けれども対峙するリヒトシュルト達は苦悶に満ちていた。苦渋の決断に迫られていた。


「―――キリがない!」


 リヒトシュルト達が立ち向かうモンスターは、一匹。空の覇者とも呼ばれるモンスター、ドラゴン。一見して建物の二階の高さはある大きな巨体は強靭な鱗に覆われ、口から吐く炎の息は対峙する相手を近づかせない。

 王侯貴族の紋章獣にも選ばれる尊いモンスターであり、高い知性を持つ。特にこのドラゴンの個体は、セルンという名を持ち、かつては教師としてリヒトシュルトを導いた賢しいドラゴンだった。しかし今やかつての面影はない。

 普段ならば知性に満ち溢れ穏やかに細められる瞳は、血走って獲物を狙う飢えた捕食者のそれだった。優しい声は人語を紡いでいたが、いまやただ唸りを紡ぐだけ。


「―――覚悟!!」


 セルンが吐いた炎が、激しく燃え上がり、広がる。リヒトシュルトは軽やかに炎を避けながら、剣を構え、セルンに肉薄し―――


「リヒト!」


 あと少しで剣の切っ先がセルンに届く、その段階で有り得ない声が響いた。

 油断したリヒトシュルトに、セルンはさっと後退り、一人と一匹の間に距離が開く。


「リヒト!!」


 名を呼ばれたリヒトシュルトは、警戒を続けながらも、声が聞こえた方を見上げ―――絶句した。









「リヒト……」


 空を翔る華雪は急いでいた。

 あの獣が残した意識、それは嫌だという感情に満ちていた。

 嫌だ、やめて。したくない―――そんな、反抗する気持ち、抗う気持ち。けれども、体の自由がきかない、助けてという感情。

 あの炎の場所に近付くにつれ、大きな体を持つ爬虫類のような獣がいた。濁り血走った目は、あの亡骸と同じ。そして、獣と対峙するのは数人の鎧に身を包み、武器を構える男性たち。彼らの中の一人が、ドラゴンと対峙していた。彼の後ろにいる一人が、彼をリヒトシュルトと呼んだ。


「リヒト!!」


 リヒトシュルトが、華雪のいる方を見上げた。驚愕に満ちた表情を浮かべる彼の髪は、あの日確かに見た深緑だ。成長した彼がそこにいた。


「ダメーっっ!!」


 華雪は、降下しながら大量の吹雪を放った。リヒトシュルトたちに当たらないように、彼らを炎から守るように展開させる。

 びゅおう、と雪混じりの冷たい強風が激しく唸る。リヒトシュルトを守る吹雪とは別に、華雪はドラゴンを覆う吹雪を作り出す。


「雪いで!!」


 華雪はありったけの声で命じた。吹雪を強め、けれども傷つけることなく、“悪いもの”だけを雪ぎ落としていく。


 ―――オオゥオオ……


 ドラゴンが、唸る。

 吹雪に次第に黒い煙が混ざっていき、雪に浄化されていく。雪に祓い浄めてられていく。


「……殿、下」


 次第におさまっていく吹雪の向こうから、目に理性の光を取り戻したドラゴンがいた。





 ―――その日、魔界はひとりの雪女によって救われた。

 まだ若い雪女は、魔王陛下の王弟、リヒトシュルト殿下の想い人であった。

 魔王陛下は、実は彼女を遠ざけていたのだ。混乱期にある魔界は、彼女にとってとても危険であったから。

 雪女の長と相談し、適当に理由をつけて。

 けれども、彼女はやってきた。成長して、単身で魔界に乗り込んだ。


「華雪……」


 あのあと、華雪は妖力を使い、全ての汚れを祓い浄めた。

 魔界は救われたが、力を使い果たした華雪は倒れ―――


「華雪……」


 力を使い果たした雪女は眠りについた。

 恋をした雪女は、その恋叶わなくば雪に還る。

 しかし華雪は、想いを告げる前に力を使い果たし、雪に融けて還る寸前だった。

 魔界でも屈指の氷魔法の使い手により、急遽作られた雪室の中で、雪に横たわり回復を待つ状態だ。

 あと少しすれば、雪女の長が迎えに来る。日本の妖怪である雪女は、雪の化身である。魔法で作る雪と、天然の雪では回復が違うのだそうだ。

 リヒトシュルトは、眠る華雪に口づけを落とした。


「華雪」


 愛しげに、名を呼ぶ。

 眠り続ける華雪は、目覚めたら驚くだろうか。

 華雪は、過去の雪女のように、恋が叶わずに融けて雪に還ることはないのだから。

 リヒトシュルトは、雪女の長が来るまでずっと華雪を見つめ続けていた。




 ―――そして、雪に融けて還る心配がなくなった華雪はゆっくりと目を覚ます。




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