H-049 君子危うきに近寄らず
エディに足を蹴られて起こされた。
どうやら俺が一番最後まで寝ていたらしい。吃驚して飛び起きた俺が可笑しかったのか、七海さんが口を手で押さえながら笑っている。
「先ずはコーヒーを飲んで頭をシャキッとさせるんじゃな」
ライルお爺さんが、いかにも濃そうなコーヒーを入れたカップを俺に差し出してくれた。
とりあえず手にもって一口飲んでみたけど……。思わず「ウエェ……」と声を漏らして首が横に動いてしまった。
「そんなに濃かったかのう? 砂糖を入れて、お湯で薄めれば良いじゃろう」
言われた通りにやってみると、確かにこれなら飲めそうだ。
笑みを浮かべて、お爺さんにOKサインを送る。
「開拓時代でさえ、そんな薄いコーヒーを飲む奴はいなかったんじゃないか? まぁ、最初の一口で眠気は冷めたに違いない。食事をしながら、今日の予定を話すぞ。
先ずは、ゆっくりとグランドジャンクションに近づくことになる。速度は半分ぐらいで良かろう。町の写真をたっぷりと撮っておいてくれよ」
キャシーお婆さんとパット達で作った朝食を食べながら、西に続く線路を眺める。
まだ両側が山なんだけど、直ぐにこれが広い盆地に変わるはずだ。それが地図で見たグランドジャンクションの地形なんだよなぁ。
上手くゾンビを掃討できたなら、中型の飛行機の離着陸が可能な飛行場や、四方に伸びる道路、それにソルトレイクへと続く線路も使えそうだ。
今年は無理かもしれないけど、来年の一大目標になることは間違いないだろう。
朝食を終えると、シェラカップでコーヒーを飲む。
俺は少しお湯で割った上に砂糖を入れるて飲むから、皆がジロリと見るんだよなぁ。七海さんまで見るんだから困ってしまう。
「ゆっくり飲みながら聞いてくれ。グランドジャンクションは、ワシ等が住んでいたバレナム市と同じぐらいの市じゃ。かなりのゾンビがいるに違いない。ゆっくり進んで市に近づくが、対処しきれんほどのゾンビが線路上にいたなら一目散に東に向かうぞ。
エディは後ろの機関車のエンジンをアイドリングで保ってくれ。トランシーバーの電源を入れとくんじゃ。連絡を受けたなら、直ぐに東に向かってトロッコを進めるんじゃぞ!」
「ホットスタンバイってやつだな。大丈夫、ちゃんとやっておくよ。ところでギヤはどれぐらいまで上げたら良いんのかな?」
「そうじゃのう……。基本は車と同じじゃが、ワシは『3』で巡航させておった。ワシの機関車の燃料は残り三分の一ほどじゃから、グランビイまでは燃料補給はいらんじゃろう」
いつの間にか、エンジン付きトロッコを機関車と言っているんだよなぁ。愛称と言うことになるのかな?
少し似ているけど、どうさ原理はまるで違うと思うんだけどね。
とはいえ、機関車の搭載した燃料タンクは60ℓと聞いたから、結構燃費が良いように思える。
あまり荷物も積んでないからだろうな。大型トラックの燃費は1ℓで走れる距離は5kmほどらしい。それと比べるとかなり良いんだろうけど、今俺達が乗っている荷物用のトロッコに1tずつ積み込んだなら、かなり燃費は悪くなりそうだ。
「さて、そろそろ出発しようかの。ニック、しっかり写真を頼むぞ!」
「大丈夫だよ。パットもいるしね。パットが小さいカメラを持って来てるとは思わなかったんだよなぁ」
「キャンプには必要でしょう。スナップ写真だけじゃないのよ。望遠機能もあるんだから!」
ニックが持っているのはニコンのミラーレスだ。300mmズームだから、小型双眼鏡並みの解像度が得られるだろう。パットが持つカメラはキャノンのコンパクトカメラだな。広角から望遠まで機能が付いているらしい。
2台あるなら、皆に状況を説明するにも丁度良い。たぶん撮影枚数はパットの方が多いだろう。
『こちらエディだ! 機関車のエンジンを始動。アイドリングは600rpm。以上!』
エディからの連絡がトランシーバーから届いた。ちゃんと動いたみたいだな。
「サミー、出発すると連絡してくれんか!」
「了解です! ……『こちらサミー、いよいよ出発するぞ。何かあったら連楽してくれ。トランシーバーの電源はこのままだ。以上!』」
直ぐにエディから『了解!』と応答が入ってきた。
「なら出発じゃ!」とライルお爺さんの声と同時に、トロッコがガクンと音を立てゆっくりと西に向かって動き出す。
少しずつ速度が上がって来る。
グランドジャンクションはまだまだ先だからね。両側の山が無くなった時に見えて来るはずだ。
たまに線路の両側に目を向けてゾンビの有無を確認する。
高速道路がたまに見えるんだけど、やはり高速道路にはいるんだよなぁ。
「この線路を走る列車もあったはずですよねぇ……」
「1日、1往復ぐらいなんじゃないかな。そんなに頻度は無かったはずだ。アメリカは車社会だからね。時間を気にせずに自分のペースで旅をするみたいだよ」
七海さんの素朴な問いに答えてあげた。
日本なら長距離を車で旅するようなことはしないだろう。だけどアメリカ人はピックアップトラックでキャンピングトレーラーを牽引して旅する穂と体が多いんだよなぁ。
「それだと鉄道が廃れてしまいそうですが?」
「廃れているみたいだよ。鉄道駅を持たない大都市もあるみたいだからね。輸送は大型トレラーを使っているみたいだけど、観光需要や貨物需要がある場所については、ここみたいに鉄道が残っているみたいだ」
「アメリカ大陸を、東から西に乗り換えずに汽車の旅をすることは出来ないんじゃ。出来たら便利じゃろうが、現状はシカゴやデンバーのような鉄道のハブ都市で乗り換えねばならん」
ライルお爺さんの話によると、アメリカ創世時には鉄道会社が沢山あったかららしい。日本のような国策ではなかったんだな。
トロッコの後方で一服していると、ニックが大きな声で「だいぶ近付いてきたぞ!」と教えてくれた。
南の峰がだいぶ低くなってきたし、人家も見えてきた。
町から離れた別荘なんだろう。そろそろ一服を終えて監視を強化しないとな。
遠くに密集した的並みが見えたところでトロッコが停まる。
休憩と言うことなんだろう。
素早く周囲を見たけど、やはりゾンビの姿は無かった。
軽く一服と言う感じの休憩を終えると、トロッコが再び動き出した。
今度は速度を上げないようだ。俺達が歩くほどの速度を維持してグランドジャンクションに近づいて行く。
何時ゾンビが草むらから現れるか分からないからなぁ。速度が出ていないから振り切ることも出来ないだろう。イエローボーイをしっかりと握り締めて周囲に目を光らせる。
「少し速度をあげるそうよ!」
七海さんが教えてくれた。
確かにこの速度ではねぇ……。遅いとは思っていたんだ。
少し速度が上がったけど、自転車の方が早くないかな? 前よりは確かに上がってはいるけど……。
線路の上を歩いているゾンビはいないようだけど、町の通りにはだいぶゾンビの姿が見られるようになってきた。
線路のつなぎ目でガタン! と音が出るからゾンビが一斉にこちらを見るんだよなぁ。線路に向かって歩き始めても、次のつなぎ目の音でゾンビの進行方向が変わる。しばらく見ているとその場に立ち止まるから、一定の音が続かないと動かないということになるのかな?
「だいぶ数が増えて来たよ。ライルお爺さんの話では、駅まで3kmほどあるそうだ」
「それより写真は取っているのか? 今回の大事な役目なんだからな」
「それは問題ない。それよりゾンビの姿に気付いたか?」
んっ? 何のことだ?
双眼鏡を取り出してゾンビの姿を確認する……。
衣服がボロボロのゾンビがけっこういるようだ。腕や足を無くしたゾンビまでいるぞ!
「焼け出されたのか!」
「爆撃を受けたようじゃな。この位置からでは分からんが、何発かナパーム弾を投下したに違いない。それより……、この辺りが限界かもしれんぞ」
トロッコの速度が急に落ちてきた。
ライルお爺さんの言葉に線路の前方に視線を向けると、ゾンビの一団が黒々と蠢いている。
「駅はもう少し先なんじゃが、あれを突破するのは無理じゃろう。まだこちらには進んでこんが、近づけば間違いなく襲って来るに違いない。……『エディ聞こえるか! 東に進んでくれ!』」
ライルお爺さんが機関車のアクセルレバーをアイドリングに戻し、クラッチを『N』 にしたようだ。
ガクン! と大きな音を立ててトロッコが停まると、今度は東に向かって進み始めた。
エディでも動かせるんだな?
たぶん最初の休憩でライルお爺さんが運転を代わるんだろうけどね。
ゾンビの群れからどんどんトロッコが遠ざかっていく。
今度は速度を気にせずに済む。時速30kmを越えたぐらいの速度でグランドジャンクションの町を後にした。
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帰りはそれほど気を遣う必要もない。
速度をさらに上げて、一気にグランビイに向かう事にした。
エディだけじゃなくて、ニックまで機関車の運転をするんだからなぁ。おかげで2時間交替のシフトを組んだようだ。
俺も名乗りを上げたんだが、全員からダメ出しを食らってしまった。
自動車だって運転できるようになったんだけど、あまり信用してくれないんだよなぁ。
「その内に運転させて貰えるさ。だけど、それより先に自動車だ!」
「そうそう、とりあえず急ブレーキは止めた方が良いぞ。ジェットコースターよりスリルがあるってパットが言っていたからね」
「まあ、その内に慣れるはずだ。今のままだと、ナナは絶対に2人一緒では乗らないと思うぞ」
バイクなら自信があるんだけどなぁ。
そういえば、町に何台か置いてあったな。あれを調達してくるか。出来ればモトクロス用バイクが欲しいんだけどね。結構小高い山があるから、偵察用には最適に思えるんだよなぁ。
夜になってもトロッコを停めることなく進む。
すでにウイル小父さんには、帰投することを伝えてある。グランドジャンクションには線路までゾンビが溢れていると伝えたら、トランシーバー越しに驚く声が聞こえてきた。
俺達の帰りを首を長くして待っているに違いない。
先ほど、グレンウッド・スプリングスを過ぎたところだ。明日の昼までにはグランビイに到着できるんじゃないかな。




