VS.フェンリル<ラグナロク①>
日が落ちて、夜の帳が空を覆い始める頃。私は一人、フェンリルの襲来に向けて佇んでいた。
あれからかなりの時間をかけて、話し合ったが有効な戦い方は思いつかず――私たちが辿り着いた結論は「どう足掻いても、私たちにフェンリルを止めることはできない」という残酷なものだった。その重さを実感しつつ、私は自分の唯一の武器であるドワーフ槍をぎゅっと握りしめる。
ラグナロク、それは神々の黄昏。魔王フェンリルが現れこの世界の全てを飲み込んでしまう。まさしく世界の終焉にふさわしい、暗く重々しい空気は私を圧迫していくようで緊張し、喉がカラカラに乾いていくのがわかる。いけない、落ち着け。私はそれを、ラグナロクを止めるためにこの世界へ召喚されたんだ――自分へそう言い聞かせながら、私は自分の首元を抑える。
やがてひゅうっ、と冷たい風が吹き、この世の全てを吸い尽くしてしまいそうな空気が流れると地平線の果てから大きな獣が現れる。それは本当なら父であるロキと同じ、真っ白に光り輝く霜のよう毛色をしていた。尖った耳に鋭い眼差し、そしてどんなものも嚙み砕いてしまいそうな頑丈な牙。が獰猛、凶悪、残忍――その全ての言葉が合わさったような禍々しいオーラと共に、巨大なオオカミが私の前へと姿を現した。
最高神オーディンの武器・グングニルをも飲み込み、今はこの世界の全てを飲み込もうとしている怪物――フェンリルを前に、私の足がすくむ。嫌だ、怖い。そんな本音を飲み込み、私は震えながら必死に呼びかける。
「来なさいフェンリル! 私は――異世界からの勇者は、ここにいるわよ!」
フェンリルに私の言葉が通じるかどうかなんて、わからない。けれどみっともなく、涙声になる私に反応したのかフェンリルはこちらをギロリと睨みつけてその大きな体躯を私の方へ近づけてくる。
そうしてその口が、大きく開かれた瞬間――腐った魚のような、強烈な匂いが辺りに立ち込めた。
「本当か!? ここに居れば本当に、ワシを革命から逃がしてくれるのか!?」
「っいいからさっさと行きなさいよこの悪臭騎士!」
隠れていたカミラが、鼻をつまみながらそう言って臭い騎士さんを前面へと押し出す。悪臭の元がこちらに近寄ってきて、私も思わず顔を顰めてしまうが――それ以上に苦しんだ様子を見せたのはフェンリルだった。
「世界を救う勇者なんてさぁ、とっくの昔に召喚してたんだよ」
かつてロキに言われた言葉が、私の頭の中でリフレインされる。
犬の嗅覚は人間のそれの、数千倍。犬の仲間であるオオカミの姿をしているなら、きっと私たちより匂いに敏感なはず……そう考えた、私の読みは正しかったようだ。大きな体を捻じらせ、嫌がる素振りを見せるフェンリルにロープが投げつけられる。鎖ほど頑丈じゃないそれは、フェンリルをそのまま封印することなどできはしないだろう。
だが――ただ縛るだけの鎖と違い、今フェンリルに巻きつけられたロープにはその先端を握る「勇者」たちがいた。
「オラオラオラオラァッ! 『堕流救世主』の全力を見せつけてやるぜ!」
「ほらほら! 曲がりも何もアンタだってサタチューの魔王なんだからしっかりして! 攻略対象もヒロインも悪役令嬢も、今はオールスターで頑張るわよ!」
「変態行為には健康な肉体が必須! 我々の筋力を舐めるなあああああっ!」
「我が軍の最新兵器、ここで見せつけてやる……!」
「そりゃー! これがワシの満ち溢れる野生のエネルギーじゃー!!!」
それぞれ勝手なことを言いながら、必死にロープを引っ張る勇者たち。一つ一つは微々たるものでも、全員で力を合わせればフェンリルの動きも鈍る。私とカミラはその隙にフェンリルの喉へ近づいた。
「飲み込むのを止められなくても、吐き出させることはできるかもしれない」
フェンリルを止めることはできない、と結論付けた上で考えたほとんど賭けのようなその作戦。私たちはその一縷の望みに縋り――カミラは自分の拳を、私はドワーフ槍の先端をフェンリルの首へと突き刺した。




