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帝都モダン  作者: 藤堂高直
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最終話 帝都モダン

恋に落ちるとは良い表現だ。微睡んだ意識の中でしみじみと感じた。直ぐ隣から安らかな寝息が聴こえて来る。私はその水色の温もりを強く抱き締めた。二つの胸が触れ合い、互いの鼓動が響き合っている。私は乾いた唇に接吻をした。相手も私に答え、互いにゆっくりと舌を絡め合う。西洋松露の濃厚な味がする。この様な日がこれまでも続いて来たし、これからも、そして、いつ果てる事なく続いて行くのだろう。


私はこの世界の住人となった。私と言う存在が仮に誰かの無意識が作り出した影の様なものだとしても構わない。五感は私の脳を刺激し、美しいものを見れば魂が震え、涙をし、喜び、そして高鳴る。それらの官能が伝える情報を私の不思議な共感覚は様々な色彩で彩る。目白の小さな骨董屋で、私、サヤカ、そしてトモミの細やかな生活は営まれている。勿論、想像をしていた様に万事が順調に行くわけではない。互いの生活習慣のずれが原因で諍い事になる事もままある。しかし、それらの苦痛さえも、私にとっては全て鮮やかで価値がある。


私達は昔交わした約束を果たす為に、上方へ古美術を巡る旅に出た。古都を巡る旅は東京の猥雑さに辟易していた私達の心を癒した。


ハルオ、キヨコ、そしてリンコも私達の店に遊びに来てくれる。彼らも色々と思う所はあるだろうが、私達の前では新しい生活を祝福をしてくれている。私はサヤカと祝言をあげた。それは満洲の両親、それに数人の知り合いだけという、細やかなものだった。勿論、組織の仲間達も来てくれた。


暫くして、サヤカの体調がおかしくなった。正確に言えば、よく眠るようになった。その様な時は仕事を私が引き受けた。医者に行くと、サヤカは懐妊をしていた。それは、扉を一つ開けて前に進む、いや進まされる、どちらでも構わないが、それ自体が私の生きる新たな指針となった。サヤカは時折、気が荒くなり、人として言ってはいけない言葉を私に吐く事もあった。その苦痛さえも私は美しい感情だと感じた。


長く厳しい時が過ぎ娘が生まれた。それは難産だった。緊張が続き胸が締め付けられる様な心持ちが続いた。だが、生まれて来た娘が私の指を強く握り、そこにサヤカと私の特徴を見るに、魂というものは転生するものではなく、引き継がれるものだと知った。


仕事をしながらの子育ては決して楽ではなかった。特に骨董と子育ての相性は最悪で、価値のある器が娘の悪戯で一瞬にして無に帰す事もあった。幸いにも、トモミが娘の世話を助けてくれたお陰で、何とか生活は破綻をせずに続ける事が出来た。


娘はしっかりとした骨格を有し、すくすくと成長をした。私達は子供をもっと作りたいと望んだ事もあった。だが、出産後、サヤカは体調を壊す事が多くなり、その機会は来なかった。それでも家族が増える喜びを知るには十分であった。


サヤカの体調は回復しなかった。が、一時期よりも小康状態が続く様になった。その様な中、私の体調も少しずつだが、崩れ始めた。終わる事のない悪寒、頭痛、疲れ、呼吸の乱れ、それらが日常の上に覆いかぶさって来た。生きる事とは時として争う事の出来ない暴力に呑み込まれる様なものだと知った。


互いに体調不良の中でも娘は健やかに育っていった。娘は思春期を迎えると共に気性が激しくなり、何度も家庭が崩壊する危機に見舞われた。その危機が過ぎると、娘は落ち着き始め、一人の美しい女性へと成長をした。私は自分の娘を深く愛した。高等学校を終える頃、娘は上方の大学へ受験を希望し、無事に試験に合格をした。学費はそれなりにしたが、店は繁盛をしており、私達は娘を送り出した。娘のいなくなった日々は静かで、晩秋の街路樹を思わせる。


トモミが家にいない時間が増えて来た。そして、ある日を境にトモミを一切、見る事がなくなった。私達は体調が優れない事もあり、外出する機会も互いに減って行った。たまに遊びに来てくれていた組織の仲間もとうとう来なくなった。私の視力が低下したのか、定かではないが周りの景色もぼやけ始めている。それでも、古と戯れる仕事は小さな空間を満たし続けてくれた。


髪に白いものが目立つ様になったサヤカは、私にある日、懐かしい高麗の白磁に台湾の高山茶を淹れてくれた。

「タチバナ君。長い様な短い時間だったけど、こうして一緒にいてくれて有難う」

「こちらこそ有難う。こうやって飛び込んでみて、一緒に暮らせて僕は全ての瞬間に満足しているよ」

「タチバナ君、この生活を始める前に交わした会話を覚えている?」


勿論、忘れる訳もない・・・その会話は、太古の昔に交わしたようにも思えたし、数時間前の事にも思えた・・・リンコと最後の会話を終えた私はリ・トモミに投降をした。崩れる行く世界を脱出すると、「古道具 彩」でサヤカが待っていた。


「タチバナ君・・・」

「・・・僕は決心をした。一緒に暮らそう。勿論、トモミも一緒だ」

「・・・有難う」

「その代わりに、サヤカが創った、この世界を不安定にする創出物を全て消してくれないか?」

「分かったわ・・・」

「・・・これで、組織への義理は果たした。でも、何処で暮らそう?『八月十五日革命の世界』で生活をするには色々と面倒があるし・・・」

「ねえ、タチバナ君。提案があるの。既存の世界で生活するのが大変ならば、私が三人だけの世界を新しく創れば良いわ。ねえ、そうしましょ!そうすれば、もう誰にも邪魔されない。そこで時間を圧縮すればいつまでも私達はずっと一緒にいられる。万が一、タチバナ君が先に逝っても、私が貴方を創出するから大丈夫よ」

「それは心強いね!」

「・・・ただ、私が逝ったらばタチバナ君も一緒に消えちゃうけど・・・」


・・・そう、その会話を交わしてから、私達は自分達の好きなもので溢れた世界を創出した。その世界を僕らは「帝都モダン」と名付けた。最初にサヤカの店を基にして骨董屋を創った。そこに、記憶の中にある器を思い思いに創って行った。流石に硝子の向こう側にある様な器は不恰好だったが、一度でも触れた事のあるものは記憶のままに現れた。それから、街を、人を、自然を、空を、凡ゆるものを最も好ましい形で創って行った。そうして、創作をしている内に自然に私達の生活は始まった。


「色々とあったけれど、僕はサヤカと大切な時間を共有出来た・・・」

「タチバナ君、聡い貴方だから、もう気付いてはいると思うけれど、私の与えられた時間は残り僅かみたい。最後まで一緒にいてくれて有難う・・・私・・・もう、お腹いっぱいよ・・・」

「・・・ねえ、僕も一緒にいても良いかな?」

「タチバナ君・・・貴方はまだ、帰れる場所があるわ。だから、生きて!そして、私の事を忘れないで!」

「・・・サヤカのいない世界なんて意味ないよ!僕にとっては、君の創ってくれた世界以外に生きる場所はないんだ!」

「嬉しいわ・・・でも・・・ねえ、分かって。貴方が生きる限り、私は生き続けられるの」

「サヤカ・・・僕は生きなくてはいけないんだね・・・」

「・・・そうよ。タチバナ君は向日葵の様に強く生きて。さあ、もう少しでこの世界は私と共に消滅するわ。向こうの部屋に携帯端末を用意しておいたわ」

「また・・・会えるよね・・・」

「ええ・・・タチバナ君。さようなら。愛してるわ」

「うん・・・」


私は震える手で、白磁の茶碗に注がれた、白金色の高山茶を飲み干すと、振り返る事なく、奥の部屋に入り、携帯端末を手に取り、リンコに連絡をした。


「もしもし、リンコさん!聞こえますか?」

「タチバナさん!?タチバナさんですか!ずっと、ずっと、ずっと・・・待ってました。あ・・・え・・・す、すみません。声が・・・上手く出せなくて・・・何度も・・・そう、何度も組織はタチバナさんの生命維持装置を切ろうとしました・・・でも、私が止めていました・・・そう、私が止めました。私が・・・生きていて良かったぁ」

懐かしい声を通じて、私は元いた世界の光を感じた。

「リンコさん、僕は元の世界で強く生きなくてはいけないんだ。転送をしてくれ」

「は、はい!」


















・・・先ず始めに暖かな熱を感じた。次いで、睫毛の間に白い光が差し込んで来た。障子硝子の遮光機能が自動で切となり、桜色の和音が耳元で聴こえ、私は片手で音の聴こえて来る辺りに手を伸ばした。その先にある携帯端末の操作盤を弄ると音は止み、リンコが話し始めた。


「タチバナさん、お早うございます。今日も一日頑張りましょう!昨晩はよく眠れましたか?」


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