第十話 八月十五日革命の世界・サヤカの世界・赤の世界
「おはようございます。ようこそ『八月十五日革命の世界』へ。体の調子は如何ですか?」
聴きなれた薄紫色の声と共に、穏やかな心地で目が覚めた。小さな部屋を四角く縁取る窓の向こうには、見たことのない銀色の巨大な鉄塔が見えた。その麓には低層住宅が地平線まで続いている。手前には大きな仏閣もある。それが浅草寺と気が付くのに時間を要したのは五重塔の位置が異なるからだろう。凌雲閣もあるかと探してみたが、見当たらなかった。サヤカが以前、観たと言った浅草の景色だ。
「トモコ・・・リンコさん。おはよう。体の調子は頗る良いよ」
「良かったです!違和感はありませんか?」
「特にないよ。リンコさんが言った通りで、銃痕も消えているし、痛みもない」
「安心致しました。ハルオさんとキヨコさんは先行して無事にこちら側に転送致しました。準備が出来次第、向こうから連絡が来るはずです」
「有難う。そちらでサヤカの居場所は把握出来ているか?」
「はい。目白のお店にいるみたいです」
「了解した。あと、救助隊員の居場所は分かるか?」
「いえ、救助隊員の居場所は掴めません。引続き調べてみますね」
「有難う。何か分かり次第連絡をくれ」
「はい。後、万が一の事もあると思いますので、護身用の武器を手前の引き出しに入れておきました。今後、私への連絡は携帯端末を経由して下さい」
「了解した」
布団から出て、顔を洗い、歯を磨く。サヤカの世界に訪れた時と同様に一切の違和感がない。試しに腕をつねって見たが普通に痛覚もある。私の実体は市ヶ谷の地下深くにある棺の中で熟睡をしている。だが、意識はこちらの世界 にいて、あたかも実体があるかのように感じている。
ここ『八月十五日革命の世界』に来るまで、私は特に何をするでもなく、ただぼんやりと時間を過ごしていた。久し振りに奉天の両親に連絡をした以外に、やり残した事は特になかった。傷も回復して来たとは言え、たまに鋭い痛みが響く事もあり、余り外出もせず、やった事と言えば、火酒の炭酸水割りを片手に読みかけのアクタガワ・タカシの長編戦記小説を完読した事くらいだ。
組織本部に再び訪れると、リン・シユウ、リンコ、キヨコとハルオが入り口で待っていた。作戦の骨子はリンコが此方側で様々な補助をし、私とハルオが救助と説得に当たる。面白かったのはキヨコが、必要な物資を向こうの世界で創出する事が出来るという事だった。今回は、救助隊が行方不明になるという未曾有の事態の為、護身用の武器を特別に用意する事にした。それ以外に潜入する際に必要となる、リンコとの連絡を取る為の携帯端末、我々の活動拠点となる居室、現金、それと世界ごとに異なる単語集を準備して貰った。これらのものは、先行して潜入するキヨコが現地で、矛盾の起こらない場所、即ち机の中や空部屋などで創出をする。同様にユメミの世界に転送される際も、誰にも見られていない空間内を転送先にしてある。これも世界の矛盾を最小限に留める為の配慮だ。服装はキヨコに任せた。服の感性が私達の世界とあちら側では随分と異なる事は理解出来ていたが、自分が「八月十五日革命の世界」で違和感のない服装を出来る自信はなかった。何にしろ、ユメミの世界内では目立った行動をしない事が大切だ。
作戦の打合せの中で『八月十五日革命の世界』の由来を聞き面白く感じた。リンコの説明する所では、この世界は『赤の世界』と兄弟の様な関係にあるという。両方とも第二次世界大戦という、聞き馴染みのない戦争に巻き込まれ、欧米と植民地争奪戦争を戦うが最終的に日本国が敗北をする。そこ迄は共に同じ歴史を歩む。『赤の世界』では戦争を継続する選択を選んだ。一方『八月十五日革命の世界』では、昭和天皇のご聖断で条件付き降伏と成り、米国に七年近い占領を受ける。この期間に日本の国体は大きく変貌した。辛うじて天皇は残った。だが、米国中心とした連合国は国際法を無視し、日本の国体を大きく変えた。憲法は二週間で作られた張りぼてに改悪され、皇籍離脱という名の宮家解体、軍隊の解体、財閥解体、華族廃止、農地解体、教育解体、洗脳工作、国語改悪などが進められた。これこそが総力戦の本番であると知り我々は戦慄した。その中で憲法改悪を進め、自身の歪曲した憲法解釈を固定化させ影響力を拡大した憲法学者ミヤザワ・トシヨシという男がいた。ミヤザワは日本の敗戦日である八月十五日に革命が起こり、天皇制から民主制に日本は移行したという出鱈目な説を広めた。ある時、作家のミシマ・ユキオが異世界の出来事に興味を持ち組織に訪れた。彼はこの世界の惨状を見るに、皮肉と戒めの意味を込めてミヤザワの説を世界の名前にするように提案をした。
打合せが終わると、リン・シユウは私達に小さな青い錠剤を渡した。ユメミの世界に入る為の睡眠導入剤らしい。ユメミが古来より神託を受ける際に用いる伝統的な儀式を研究した結果、錠剤一つで済む形に落ち着いた。私達はそれを飲み、打ち合わせ室の奥に用意された小部屋に移動した。そこには漆黒色の棺が三台用意されていた。棺の扉は開いており、中には黒い合成樹脂製の就寝空間が設けてある。靴を脱いで、棺の中で横になると、黒い樹脂は私の体に合わせて形を調整し始めた。これも受付と同じ技術なのだろう。数秒で私の体にぴたりと樹脂は馴染み、居心地が良くなった。
「私の声が聞こえますか?」
「ちゃんと、聞こえる。大丈夫だ」
「窮屈でしたらば教えて下さい。調整致しますね」
「問題ないよ。体にとても良く馴染んでいる」
「良かったです。向こうに着いてからは、携帯端末で私と連絡が出来ます。失くさない様に気を付けて下さいね」
「分かった。気をつけるよ」
「では、行ってらっしゃいませ」
「有難う」
「送信機の扉を閉じます。暫くすれば、深い睡眠に落ちると思います」
リンコとの会話が終わると、合成樹脂製の戸が閉まり部屋が暗くなった。中の温度も少し上がり、激しい眠気に誘われた・・・
冷蔵庫を開けると、朝食の麦餅包みが準備されていた。食べなくても大丈夫なのだろうが、体は空腹を感じている。私は体の欲求するままに合成樹脂膜で保存されている朝食を電気釜に入れて温めた。喉も渇いており、水道水を硝子の容器に注ぎ飲む。一口飲むと妙な雑味がして、吐いた。同様に冷蔵庫内の合成樹脂容器に入っていた牛乳も味が薄く飲んだ気がしない。嫌な予感がした。矢張り温まった、麦餅包みも旨味や味の深みに欠けており、失望した。気を取り直して、引き出しに用意された服を取り出した。服も面白味のない勤め人の服装だ。以前こちらの世界に訪れた際に感じた感覚だと、この程度の退屈さが妥当なのだろう。携帯端末にハルオからの連絡が入っていた。曰く、準備が完了したので一階の待合にて十分後に会おう、との言伝だ。まだ、少し時間がある。私は試しに部屋にある電波放送の電源を入れてみた。新聞を報道している。内容は外来語が多く理解に苦しむが、どうやら工作員防止法案を通す通さないといった話題が中心みたいだ。私は工作員防止法がこの世界でこれまで存在していなかった事に驚くと同時に報道員の主張が法案成立に反対的なのにも驚いた。さらに驚いた事は、番組に参加している代議士の一人が共産党員であった。此方では非合法政党ではないみたいだ。リンコ曰く、この世界は共産主義者によって情報汚染をされているそうだ。
そろそろ良い時間なので、部屋を出て、自動昇降機に乗り一階迄降りた。地階にはハルオとキヨコが見慣れない格好で待っていた。特にハルオの勤め人姿は悲しくなる位に似合わない。
「よう。キヨコの仕立てた服はどうだ?俺はこちらの世界の好みがいちいち気に入らん」
「おはようございます。用意して頂いたキヨコさんには申し訳ないですが、僕も同感です。なんと言うか、全体的に単色で味気ない感じがします」
「その通りだ。万事が淡い」
「まあ、お二人さんとも早く慣れる事ね。こっちの世界もそれはそれで面白いわ」
高層住居を出ると、こちらの標準的な服装と同様に薄く面白味のない色合いの商店街が広がっている。通りの建造物は良くてせいぜい築二十年程度のものばかりだ。電柱は地中化されておらず無秩序に空を覆っている、景観の問題だけではない。これでは地震の時に大惨事になるのではないか?看板には片仮名で書かれた外来語が溢れている。街行く人々は陳腐な服装や色合いを好んでいるらしい。
「打合せ通りに目白まで直行する。タチバナが店に直接行くと面倒かも知れないから、最初に俺達が視察に行く。お前は後方で待機していろ」
「分かりました」
「何が起こるか分からんからな」
「そうですよね・・・」
空を見上げると、歪んでいる箇所がある。街並みも一部、盲点の様にぼやけて見える。
「キヨコさん。景色に歪みがありますけれども、あれは・・・?」
「世界の秩序が崩壊し始めているのね。急ぎましょう」
我々は地下鉄浅草駅から上野駅まで行き、そこで山手線に乗り換え目白まで移動した。車窓から見える街は際限なく広がっており、ある種の目眩を感じる。電車の搭乗客を観ると色合いは暗く、負の感情が漂っている。これが戦争に負けた結果なのかと一瞬考えたが、七十年以上前の事を引き摺るなど、考え過ぎかも知れない。少なくとも、この街には精神的もしくは文化的な豊かさは欠けるが、我々の世界よりも経済的には発展している。
目白駅に到着すると雲の色合いが濃く成り、地面に黒い斑点が散見された。冷気が地面に立ち込めている。
「ちょっと、待っててね」
そういうと、キヨコは駅改札近くにある有料収納機に行き、そこの一つを開け、傘と防寒用の首巻を三つずつ持って来た。
「これで大丈夫ね」
「キヨコさん、何でも創出を出来ますね!」
「まあ、この世界に酷い矛盾が起きない程度のものは出せるわ」
傘はキヨコが気を使ってか、元の世界のカワクボ洋品店の簡素ながら精巧に作られた黒地のもので、少し気が引き締まった。雨自体は大した事なかったが、寒さが酷い。首巻が体を優しく温めてくれる。目白駅前は学習院以外、私の知っている場所はなかった。華族御用達の学校がある為か、この辺りは此方の世界では品の良い方だろう。
「学習院か・・・懐かしいな」
「ハルオ君、そう言えば昔、学習院に通っていなかった?」
「ああ、だが退学した。正直余り良い思い出はないな。駅前はここだけ変わっていないんだな。俺への嫌がらせか?」
「正確には退学させられた。でしょ。確かにこの辺りには名残の様なものはあるわね」
リンコから届いた周辺地図を接眼で確認すると、サヤカの居場所は私達の世界にある彼女の店と一致している。多分、此方でも同じ様に骨董屋を経営しているのであろう。駅前より旧街道に入り、サヤカの居場所に近付くに連れて緊張して来た。
「タチバナ、大丈夫か?」
「すみません。少し、緊張をして来ました」
「お前はここら辺の喫茶店で待機をしていろ」
「そうさせて貰います。では、僕はそこにある喫茶店で待機しています」
「分かった。待機している間は、リンコが開発した同期機能を使おう」
「そうですね。試してみましょう」
「リンコ、同期を試してくれ!」
ハルオが携帯端末でリンコに語りかけた。すると一瞬にして、私の見ている景色がハルオのものと入れ替わった。ハルオの声をハルオの耳から聴き、私の声を離れた場所から聴くと違和感を感じた。機能的には問題なさそうだ。
「大丈夫です。ハルオさんの接眼と耳栓の同期が確認出来ました。リンコさんも、解除して下さい。ハルオさん、何かあれば直ぐに駆けつけます」
「頼んだぞ」
ハルオ達と別れ、私はサヤカの居場所から徒歩二分ほどの所にある黄身色を感じさせる煉瓦造の喫茶店に入った。店員に「テーブル席が埋まっており、カウンター席でも宜しいですか?」と聴き慣れない外来語で問われ、一瞬困惑したが、承諾し、付け台席に落ち着いた。珈琲を頼んだ後、再びハルオの接眼と耳栓に同期した。今まで見えていた喫茶店の景色が一瞬にして変わり、骨董店の看板が見えた。「古道具 彩」と洒脱な現代的書体で書かれている。建物は混凝土造の三階建てだ。白色の陶板仕上げを施してある。此方では何処にでもありそうな建物だ。通りの感じは、私達の知っている目白の雰囲気を微かに残している。戸を開け店内に入ると、以前に見た内装と一寸も違わないサヤカの店があった。仕上げ、照明、棚に置いてある器や皿、それらは以前訪れた印象と寸分の違いない。が、肝心のサヤカはいない。どうしたのか?耳栓が小さな音を拾った。
「待ってて下さい。今、向かいます」
サヤカの声だ。私の気持ちは高揚すると共に痛みも感じた。数秒後にサヤカが現れた。ハルオの接眼を通してサヤカを見ている為か、発光色は観じない。服装は硬めの生地で出来た藍染の西洋袴に白い余裕のある襯衣という出立ちで、髪を後ろに纏めている。私の知っているサヤカとは雰囲気が多少異なるのは服装のせいだろうか。
「いらっしゃいませ。お待たせ致しました。奥で道具の整理をしてました」
「お店の器、拝見しても良いかしら?」
「ええ、勿論。ご自由にお手にとって下さい。宜しければお茶でも淹れましょうか?」
「ええ、お願いするわ」
サヤカは立ち上がり、また奥の方へと移動した。
「中々、いい店じゃないか?」ハルオの声がこもって聞こえる。
「そうね。こっちでは内装は案外自由に弄れるし、ものも古道具ならば簡単に創り出せるから自分の好みを十分に反映出来るわね。案外、こっちで店を開いて成功している人もいるのよ」
「ふぅん。キヨコも何かやってみるか?」
「私は結構よ。今の喫茶店で十分忙しいし、こちらでは余り労力を割きたくないの」
「まあな。こちらとはある程度距離を置いた方が無難かもな・・・この器は萩か・・・ひょうげてて面白いな」
際どい会話の内容だが、話しながらも、ハルオの視線は店内を観察している。今の所、特に異常はなさそうだ。
「お待たせ致しました、どうぞ」
無垢の木の盆に、陶器が二つ乗っている。古唐津の茶碗だ。見事な渦巻模様が入っており、風格もしっかりしている。盆は丸い机の上に置かれ、サヤカは二人に腰をかけるように促した。
「古唐津の茶碗か・・・香りは台湾の・・・凍頂烏龍茶辺りか?」
「はい。台湾のお茶の持つ雅やかな香りが好みでして」
「有難う。頂くよ」
接眼に茶碗が寄ってくる。音と映像からは味も香りも分からないが、何となく想像は出来た。
「美味しいわ。お水も透明感があって体に馴染む感じ」
「お水は濾過したものです。東京の水はそのままだと口に合わない事もありますから」
「こっちの水は不味い」
「あら、ご出身はどちらですか?」
「私達は信濃・・・あ、長野県の松本から来ました。親戚が近くに住んでおり、たまたま歩いていたら興味を惹かれて・・・」
「松本ですか・・・素敵ですね。あの辺りのお水は美味しいですものね」
キヨコが県名を間違えそうになり、冷や汗が出た。キヨコの返事でサヤカも納得したようだ。
「ここでは、古陶だけではなく、東南アジア、ヨーロッパ、アメリカで見つけた生地、小物、錫など色々と置いてあります。何も生活に馴染んで来た普通のものです。ごゆっくりご覧になって下さい」
「拝見させて貰うよ」
二人ともお茶は殆ど飲んだみたいだ。ハルオ達は思い思いに店の中を見ては、気になった器を丁寧に両の手で見物した。値段を見て桁の大きさに驚いたが、大体百分の一程度で考えると私達の世界の貨幣価値と相応な感じで納得した。寧ろ、良心的と言っても良いくらいだ。視線がとみに古唐津の器に移動をする。何か違和感を感じた。何だ?器の模様だ。渦の模様が動いている。ハルオの目線安定しない。「しまった・・・」という彼の声が聞こえた。
直後、景色が急に斜めになり、打ち放しの床が迫って来た。何があったのだ?私はハルオとの同期を終了し、釣銭を余分に置いて店を飛び出した。だが、どうする?店に突入するか?普通を装い訪れるか?ハルオ達の身に何か起こっているのだ。突入しかないだろう。私はサヤカの店に向かって駆けた。
「リンコ。緊急事態だ!ハルオがやられた。多分、キヨコも危ない」
「タチバナさん。私も今、確認致しましたが、二人が・・・消えてしまいました!」
「何だって?今から、サヤカの店に急行する」
「何が起こるか分からないので、気を付けて下さい。私も最大限の補助を致します!」
「有難う」
店に着いた。外観はハルオと同期した際に見たものと同じだ。息を整えた。懐にはリンコ式を一丁忍ばせている。もう一度、深呼吸をした。戸を静かに開けた。床にはハルオ達はいない。奥から水色の発光色が見えた。
「タチバナ君。待っていたわ」
サヤカはハルオが見たままの簡易な格好で微笑みかけた。
「サヤカ。君を迎えに来たよ」
「タチバナ君・・・私はここに住む事に決めたの、子供の頃から慣れ親しんでいる世界の方が私にはしっくり来るわ。元の世界に未練はない」
「ここは・・・僕らのいた世界と比べても遜色はない。サヤカはこの世界で自由に創出が出来る。けれども、サヤカもここに長く居られる訳じゃない。元の世界に戻らないと・・・サヤカの体が持たない。僕は、君を追い続けて此処まで来たんだ。もう、君を失いたくない」
「タチバナ君、元の世界で唯一の心残りが貴方なの。ね、だからこっちで一緒に暮らしましょ?」
「でも、僕らが来た世界の本体が朽ちれば、僕らも消滅してしまう・・・」
「大丈夫よ。ここはユメミの無意識が作った世界。私達は好きなものを自由に想出する事が出来るのよ。例えそれが・・・人でも」
「どういう事だ?」
「トモミお姉ちゃんから聞いて知ったのだけれども、ユメミは一人で千名近くの人を無意識に創出しているの。創られた一人一人は自立した行動をしていて、想像主とは関係なく活動をしているわ。それならば、同じ原理でこの世界の住人を意識的に創出する事も出来るわ」
「そんな事が出来るのか?」
「ええ、可能よ。既にいる人とか、誰もが知っている様な有名人でなければ問題ないわ」
「でも、サヤカが好き勝手に創出を続けると、この世界の秩序が崩れて、世界そのものが崩壊してしまう」
「組織に吹き込まれたのね。別に目立つ事をしなければ問題ないわ。それに貴方が思っている以上にこの世界は丈夫よ」
そう言われると返せる言葉がない。
「向こう側の体が朽ちても問題ないわ。その前に、こっちの世界に移住すれば良いの。こっちに移住したユメミの老人から教えて貰ったのだけれど、私がこの世界の創出者から創出物になれば、ユメミとしての力は失われるけど、こっちに移住も出来る。勿論、タチバナ君だって住人に成れるわ。そうすれば、元の世界の束縛とか関係なく生きて行ける!」
サヤカを否定する言葉を私は持ち得なかった。
「僕は・・・君を連れ戻しに来た。でも、僕はサヤカを元の世界に引き戻す理由が見当たらない」
「別にこの世界は組織だけのものではないわ。こっちに長く居て分かったけど、組織外のユメミも多くいるし、移住者もいる。ここは一つの独立した世界よ」
自分の中のサヤカと共にいたい欲望、作戦の遂行、組織や国への忠誠、会う機会は少ないけど私を気にかけてくれる家族、自分を引き止めるものと、自分を惹きつけるものの間に挟まれ、私は答えが出せない。苦し紛れだが、自分が一番納得する考えを言葉にした。
「僕は・・・サヤカと共にいたい。けど、僕はまだ準備が出来てないんだ。一旦、元の世界に帰ってから、一緒に考えようよ」
「嫌よ。何でタチバナ君は理解してくれないの?私はずっと、皆なが幸せに生きて行ける方法を考えて来た。けれども、貴方はそれを全部壊した・・・もう、どこかへ行って!お姉ちゃんお願い」
サヤカの発光色は赫灼と輝き、悲しみ、怒り、憎悪、そしてやり切れなさを含んだ視線で私を射抜いた。刹那、それまで感じていなかった気配、忘れもしない桃色の香りを背後に感じた。私が反応するよりも先にリ・トモミは私を羽交締めにした。見事に鍛えられた肉体が密接し、身動きが取れない。
「タチバナ君。久し振りね」
「ぐ・・・トモミ・・・どうする気だ」
「あっちで頭を冷やして貰うわ」
「・・・みんなを監禁してるのか?」
「誰にも私達の小さな幸せの邪魔はさせない」
抵抗も虚しく、意識が遠のいて行く。
暗い・・・何も見えない・・・首に濃茶色の痛みを感じる。接眼を確認しようとしたがない・・・多分、トモミが奪ったのだろう。ここは・・・サヤカの店なのか?床や壁の質感は、触った感じだと混凝土の様だ。人の感触がある。が、冷たい。
「タチバナ・・・聴こえるか?」
ハルオの声が聞こえた。声は混凝土壁に反響している。さして広い空間ではないみたいだ。
「ハルオさん!無事でしたか!」
「ああ、何とかな。キヨコも無事だ」
「見えないと思うけど、私はここよ」
「良かった・・・二人とも無事で」
「俺らは無事だが、状況は良くない」
「ええ、良くないわ。私達はどうやら、別の世界・・・サヤカさんが作った世界に閉じ込められているみたい。さっきから創出した通信機や携帯端末を使用しているけれども、何処にも通じない。組織の管理が行き届いている世界であれば何処でも通じる筈なの・・・考えたくないけど私達は、組織の管理していない世界、多分、サヤカさんが創出した世界に閉じ込められているみたい・・・そう考えると、色々と説明が付くわ。最初に救助隊が来たけど、この世界を離れたくないサヤカさんは過剰な防衛をして、彼らを行動不能にした。その後、彼らを処分する為に新しい世界を創出して、『八月十五日革命の世界』と接続したのね。無理に二つの世界を繋げた結果、世界の秩序が不安定になった。で、タチバナ君が触れたのは哀れな調査員達。彼らはここで監禁されて、既に息絶えている。多分、サヤカさんは自分で手を汚すのが嫌なのね。ここで放置されれば、私達の本体が元の世界で先に限界に達するか、こちら側で事切れてしまう・・・」
「万事休す、ですね。何か案はありますか?」
「色々と試してるわ。外への通信手段がないので、壁を削る事もハルオさんが試したの。でも、駄目だった。ここの壁の質感は混凝土だけれども硬度は全く別物。びくともしない。扉が一つだけあるけれども、こちらも頑丈で効果なし。タチバナ君も部屋を確認すると良いわ」
言われた通りに立ち上がり、壁に手を当てながら歩いたが、扉以外は全て混凝土製だ。狭い空間の中を移動した為、調査員の遺体やハルオとキヨコにつまづいた。感覚的にこの部屋は一辺二十尺程度か。
「どうしようもないですね・・・」
「ええ・・・私達もずっと考えいたけれど、多分、サヤカさんは私達を死ぬまでここで放置するつもりね。だから、ここで待つのは得策じゃない。元の世界の肉体だって限界があるわ。で、一つだけ脱出する方法がありそうなの。でも・・・賭けよ」
「教えて下さい」
「・・・未だ試した事はないけれど、私もサヤカさんと同じ事をすれば良いの。つまり、この部屋と別の世界を繋ぐの」
「成る程・・・危険はありますが、試してみる価値はありますね」
「ええ。別の世界への入り口は作れる筈。それにここは暗がりだから、創出は自由に出来るわ。適当に部屋の真ん中に穴でも作って『八月十五日革命の世界』に繋げれば脱出出来る可能性がある」
「という事だ。やってみる価値はあるだろう」
「そうですね」
「キヨコ、どうだ繋がりそうか?」
「いま、やっているわ・・・多分、中央に穴がある筈。私達が来た浅草の部屋に繋げておいたわ。ハルオ君行ける?」
服が擦れる音が聞こえる。が、ハルオは移動していないみたいだ。
「キヨコ・・・何もないぞ」
「うーん・・・どうしたのかしら・・・やっぱり無理があったのかしら」
「繋げる場所が遠いから駄目だったとか?」
「じゃあ、目白駅の化粧室に繋げてみるわ・・・タチバナ君、同じ場所に入口を作ってみたので試してみて?」
手をそっと部屋の中央辺りに伸ばしたが何も反応がない。
「何もありません・・・」
「困ったわね・・・」
「・・・あ、そうだ。『赤の世界』に繋げられますか?」
「『赤の世界』・・・そうね!もしかしたらこの部屋から『八月十五日革命の世界』へは行き来が出来ない様にサヤカさんが決めているかも知れないけれども。サヤカさんが知らない世界であれば、あるいわ・・・」
「あの世界はかなり物騒だろ?」
「そうね。あそこの治安は最低で、街中で暴動や戦闘が連日起きている。脱出した先でお釈迦様になったら笑えないわね。貴方達を頼りにしてるわ」
「先に武器を創出出来ますか?」
「ええ、文思南部式拳銃、防弾着、短刀、携帯端末、接眼、耳栓を用意するわ」
キヨコの創出は不思議なもので、部屋の中央にどんどんと必要な装備が準備されていく。恰もそれらが以前からそこにあったかの様に。
「準備は完了ね。では、行くわよ!」
暫くすると、呻き声の様なものが聞こえて来た。風洞だ。穴が開いた。
「やった!僕が先に行きます」
私は足をそっと伸ばし、穴に足を入れた。穴は案外と深そうだ。意を決して、風洞に飛び込んだ。穴は子供の頃に訪れた遊園地の乗り物の様に暗い中をうねりながら移動している。途中に肘や膝が軽くぶつかる。隧道は長く続く。暫くすると、先が見えて来た。
再び暗がりに放り出されていた。常闇の中にいた為か、目は直ぐに慣れた。鉛色の風が吹いた。空気が重い。排気瓦斯や木炭を焚べた様な匂いだ。私はどうやら屋外空間にいるらしい。空には大きな赤い月が出ている。先程通って来た隧道は背後にある建屋の壁にあり、現代芸術の如く穴が空いている。足元は混凝土だが、長い事放置された為か草が無造作に生えており、眼前には鉄骨が剥き出しになった壁がある。少し歩き、崩れた壁の向こう側を見ると、剥き出しの錆びた非常階段がある。ここは地上十階建て程度の建築物みたいだ。その先には低層の肋小屋が続いており、各所で煙が登っている。更に先には古ぼけた混凝土建築が数学的な規則正しさで並んでいる。眼下を望むと、道は所々に穴が開いている。電光掲示板には露西亜語、英語、支那語が溢れており、肩身が狭そうに国語の表記も見える。全体からは異種独特の黄緑色が漂っている。
どさっ。背後から、物音が聞こえた。多分、ハルオだろう。続いて間を置く事もなくキヨコも到着した。
「何とか、脱出出来ましたね!」
「タチバナ、逃げるぞ!何処へ行けば良い?」
「え?はい!こちらに非常階段があります!」
「よし、キヨコ、走れるか!急ぐぞ」
「何があったのですか?」
「追っ手だ。タチバナ、一緒に連中を迎え撃つぞ。キヨコは先に階段を降りてろ!」
どさっ。物音が建屋から聞こえた。黒い影が動いている。その影は我々の方に向かって来た。まさか・・・影から発砲音が聞こえ、背後の壁が弾けた。私とハルオは非常階段近くの壁を盾にして、反撃をした。キヨコの非常階段を降りる白い音と古い鉄柱の軋む赤茶けた色が混ざり気持ち悪い。どさっ。別の黒い影が隧道より落ちて来た。
「一体、何があったのですか?」
「お前が隧道に入ったすぐ後に、足音が幾つか聞こえた。サヤカが異変に気が付いたのかも知れない。連中に突入されたら逃げ場がないから、俺とキヨコは急いで隧道に飛び込んだ」
混凝土片が弾ける音が直ぐ近くでした。
「・・・ハルオさん。僕が応戦して時間を稼ぐので、キヨコさんを守ってあげて下さい」
「分かった。すまない。先に行く」
影は私の放つ銃弾を上手に避けながら近付いて来る。文思南部式拳銃はあくまで護身用なので、破壊力も低く、銃弾も限られており無駄には出来ない。どさっ。どさっ。再び建屋の方から音がして、影が二つ増えた。これ以上ここを守り切れない。そう判断し、私は錆びた階段を急いでおりた。所々、足場が抜けており、軋む音がする。頭上から銃弾の音が響く。地上から紅い女性の悲鳴が聞こえた。キヨコの声だ。その後に、銃声が下から響いた。ハルオか?急がなくては・・・階段を降りると、キヨコとハルオがおり、周りを八名の男達が囲んでいた。男達の顔立ちは濃く、肌は褐色で南洋系だ。
「どうしました?追っ手が来てますよ!」
「階段の下でたむろをしていた連中だ。俺らに団欒を乱されて、御機嫌斜めの様だ。銃で威嚇をしたが効果がない。武力行使をするぞ」
「僕の銃弾は殆ど残ってません」
「構わない、一点突破だ。俺が正面の奴を撃つ、お前は脇の二人を撃て」
「はい」
私達は銃を相手に向けようとすると、棟梁風情の大男が手を胸の辺りで横に振った。
「まてまて。おまえら、にほんじん?」
「そうだ!道を開けてくれ」
「にほんじんは、なかま。おれ、ガルシア・タロウ。おまえらたすける。いけいけ」
ガルシア・タロウと名乗った男が良く聞き取れない言語で合図をすると道が開いた。兎に角、助かった。我々が急いで褐色肌の間を抜けると階段の方から発砲音が聞こえた。私達が抜ける途中、ガルシア・タロウは「しょきかんに、ぼくのなまえつたえて」と言うのが聞こえた。しょきかん・・・書記官であろうか?日本人である事がこちらの世界では何かの特権なのか?背後から銃声が響き、胡麻色の呻き声が聞こえた。褐色の連中は散開して応戦を始めた。
「兎に角、助かった」
「余り、時間の余裕はないですよ、次々に増援が隧道から出て来ています。先ずリンコさんに連絡をしないと」
携帯端末を取り出し、組織にいるリンコに電話をかけた。呼鈴音が鳴る前にリンコは電話に対応をした。
「タチバナさん!私も丁度、タチバナさん達を『赤の世界』で確認出来た所です。只今、タチバナさん達の現在位置から組織に転送出来る最適な空間を探しております」
「こちらはちょっと困った事になっている!サヤカの追っ手が迫って来ている。そいつらの場所も確認出来るか?」
「了解致しました。情報は以降、直接接眼に送ります」
「分かった、有難う」
私達は一旦、建物の影に隠れ、キヨコから貰った銃弾を充填した。接眼からは周辺の地図が確認出来るようになった。地図によると、ここが銀座の交差点近くという事が分かった。まさかと思い振り返ると、我々が到着した建物は和光建物だ。和光の立面には巨大な男の肖像画がかかっていた。肖像画は年季が入っており、額も斜めで文字が剥げているが、国語でセジマ・リュウゾウ国家主席と書かれてある。建物の周囲からは褐色肌の男どもが絶命する声が聞こえる。余裕はない。追っ手も直ぐに追い付くだろう。通りを移動していると、妙な視線を感じた。脇目で確認すると通りを行き来する男や女どもが葡萄色の視線で我々を見ている。これ以上近付いたら危害を加えるという、無言の意思だ。リンコから転送場所を示した地図情報が送られて来た。
「転送場所が分かりました。近くに組織が管理をしている建物があります!」
「良し、急ぐぞ」
地図通りだと、ここから走れば三分程度で行けそうだ。ハルオと目が合い、互いに頷いた。目的地に向かい駆け出す。悲鳴、呻き声、そして銃声が近付いて来る。視線の先の建物の角が歪んで見えた。サヤカが送り込んでいる北支那兵の影響で此方の世界も崩壊を始めているみたいだ。国民解放軍と書かれた腕章を付けた武装兵が銃撃戦の現場に向かっている。彼らの肌の色は日本人のそれに近い。武装兵は我々に一瞬視線を向けたが、そのまま通り過ぎた。騒ぎが大きくなれば、世界はより不安定化するが、時間稼ぎにはなりそうだ。大通りを横に曲がり、あばら家を脇目に暫く進むと混凝土造の建造物が見えた。接眼に言伝が出た。曰く、手前の建物の三階に組織の休息場所があり、入るには、自己認証が必要との事だ。目的の建物に到着した。我々は薄暗い階段を登る。三階に到着すると、頑丈そうな鉄扉がある。傍に組織と同じ仕組みの自己認証機があった。先頭にいた私の指紋を読み込ませると、開錠する音が鳴り扉が開いた。最初にキヨコ、続き私が部屋に入った。部屋の中は簡素ではあるが綺麗に整備されており、安心出来そうだ。何とかなった・・・
ぱんっ。銃撃音が背後で響いた。階段に出ると、紺色の戦闘服を着た北支那兵が銃を構えている。兵が撃った銃弾は私の耳元を掠めた。反射的に拳銃を構え反撃に撃った弾丸は相手の頭部に吸い込まれ、北支那兵はその場でぐたりと倒れた。ハルオは?振り返るとハルオは腹部を抑えている。
「大丈夫ですか?」
「夢の中だというのに、痛みは一丁前だな。キヨコ、包帯、鎮痛剤と消毒液を創ってくれ」
「分かったわ」
「今の音で更に増援が来る可能性があります。先ずは部屋に入りましょう」
私はハルオの肩を支え、部屋の中にいれた。キヨコは急いで扉を施錠し、一旦目を閉じ、衣嚢から包帯、鎮痛剤と消毒液を取り出した。ハルオの傷口を消毒した後、そこに包帯を巻いて簡単な止血をし、鎮痛剤を注射した。銃弾は貫通をしているみたいだ。階段の下の方から甲高い支那語が聞こえた。次いで、銅鑼を叩くような足音で階段を登って来る音がする。
「先ずは、ハルオさんから転送しましょう。僕が最後に行きます!」
「分かったわ。ハルオ君を奥の部屋に連れて行き、携帯端末でリンコさんと繋げられる?」
「はい!」
「タチバナ・・・すまない。最後に馬鹿をしてしまった」
外から扉に体当りをする音が響く。扉はいつまで耐えられるか?ハルオを奥の部屋まで連れて行き、携帯端末へ連絡をした。
「リンコさん、聞こえますか?」
「はい。聞こえます!」
「今からハルオさんを組織に転送します!」
「分かりました。携帯端末をハルオさんに渡して扉を閉めて下さい。あと、転送の途中で部屋の扉は絶対に開けないで下さい。世界の狭間に飛ばされて戻れなくなります。こちらに転送するには数分かかります。転送が終わりましたら、タチバナさんの携帯端末に連絡を致します」
「急いで頼む。ハルオは負傷している」
「了解です!」
携帯端末をハルオに渡し、開口部の一切ない部屋の扉をしめた。ハルオが視界から消える間際、彼は弱々しい声で「キヨコを頼む」と言った。北支那兵が外の扉を激しく蹴っている。気のせいか鉄扉の形状が徐々に変わって来た。
「キヨコさん。壁は混凝土打放しですの耐えられそうですが、扉が心配です。これから、扉を家具で塞ぎます。それと、軽機関銃を端の棚の中に創出して下さい!」
「分かったわ。ちょっと待ってね」
鉄扉の形は変わるが、その割に丈夫と判断した支那兵は何やら支那語で話し始めた。会話が止むと、銃声と共に扉に異常なへこみが出来た。銃声はその後も続き、扉の数カ所が変形した。キヨコは耳を塞ぎ、床に崩れた。
「いや・・・怖い・・・タチバナ君、頼まれたものは棚の中に入れておいたわ」
キヨコの声は震えており、目に涙を溜めている。私が守らなくては。私は机や棚などの家具で扉を塞いだ。が、扉を破られればここも、直ぐに突破されそうだ。端の棚を開けると、中には頼んでおいた武器があった。扉の外が妙に静かだ。何やら外の連中は支那語で話している。耳栓で音を拾うと、向かい・・・建物・・・射撃・・・と聞こえて来た。危ない。私はキヨコを抱きそのまま床に押し倒した。一瞬の沈黙。窓硝子が弾け、硝子片が体の数カ所を切った。
「キヨコさん。窓際は危ない」
「はい・・・」
キヨコは、恐怖で動けない。取り敢えず、部屋の隅の安全な場所にキヨコを移動させた。衣嚢の中の携帯端末が振動している。
「タチバナさん。無事にハルオさんを転送出来ました!」
「有難う、次はキヨコさんを頼む」
私は、窓から見えない様に死角の床を這いながら、転送用の部屋の扉を開けた。その動きを捉え、北支那兵の撃つ銃弾が扉の端に当たる。
「キヨコさん、行けますか?」
「痛い・・・さっきの硝子片が足に刺さったみたい。手伝って」
「分かりました」
私は再び匍匐前進して、キヨコを抱きかかえ、転送用の部屋まで駆けた。私の後を追うように銃弾が飛び、壁が弾ける。私達はそのまま奥の部屋に飛び込んだ。床は生温かいハルオの血で濡れている。再び携帯端末を手に取り、リンコと繋げ、それをキヨコに渡した。
「有難う、タチバナ君、気を付けて。後・・・世界の崩壊が可也進んでるわ。見て、この部屋の壁まで微妙に歪んでいる・・・」
「確かに・・・」部屋の隅が歪んで見える。
「室内まで歪んで見えるのは危険な信号って聞いた事がある。先に戻って対策を考えるわ」
「分かりました。後は任せて下さい」
キヨコは最後に「御免なさい。頑張って」と言った。私は会釈をして、部屋から素早く出て、扉を閉め、死角に逃げ込んだ。が、どうすれば良い?手前の窓からは狙撃、背後の鉄扉もいつ迄耐えられるか分からない。持ち合わせの武器は軽機関銃のみ。キヨコは転送中でこれから先、新しい武器などの創出は頼めない。更に時間が経つと、世界が崩壊をして、多くのユメミを巻き込んでしまう。此方から攻めるか?
・・・接眼で向かいの建物にいる射撃手の位置を確認し、そこを軽機関銃で撃った。一瞬の沈黙。壁から窓の外を覗こうとすると、奴さんは無傷で腕が良いのか、的確に撃ち返して来た。
「リンコさん。敵はどれ位いるのか確認出来る?」
「接眼に情報を送りますので確認をして下さい!」
「有難う」
リンコは転送の作業で余裕がないのだろう。接眼を見ると建物の周辺が平面で表示され、支那兵の位置が赤い点で表示された。扉の向こう側に三点。向かいの建物に二点。建物に接近している新たな二点。そして、三つの赤い点が建物の位置と重なる様に表示されている。何処だ?屋上か?屋上を伝って窓から突入されたらお仕舞いだ。このままだと、私自身の転送が出来ない。打つ手なしか・・・
「タチバナ君!察しのいい貴方なら、もう理解出来てると思うけど、貴方は既に詰んでいるわ。後、一分もあればここは制圧出来る。増援も集まって来ているわ。大人しく出て来なさい。サヤカが貴方を待っているわ」
リ・トモミの声だ・・・接眼を見るとキヨコの転送は済んでいる。残るは私のみ。トモミの言うように、鉄扉も突破されそうだ。動けば射撃手に蜂の巣にされる。飛び降りてもここは地上三階だ。無事には済まない。トモミと会話を続けたとしても、私一人を転送させてくれる時間的な余裕はなさそうだ。転送するまでの時間にこの部屋は制圧される。キヨコの創出も使えない今、私に残された手は・・・
「リンコさん。万事休すだ。僕の力だけでは組織に戻る事は難しい。組織の側から、こちらの世界に干渉する事は可能か?」
「・・・いいえ。世界を管理する事は出来ても、その中で起こる事に関してはユメミや調査員以外干渉は出来ません。御免なさい、私には出来る事はありません・・・タチバナさんがこんな事になるなんて・・・」
「良いんだ・・・このまま、僕が抵抗を続ければこの世界は確実に崩壊する。リンコさん、視認出来る歪みや盲点が彼方此方に散見出来るよ」
「はい。崩壊の兆しは確認出来ています。正直・・・危険水域です」
「そうか・・・このままサヤカを放置すれば、組織にいるユメミも犠牲になる・・・よし。覚悟が出来た。僕はこれから世界の崩壊を止める為に、サヤカを説得しに行くよ」
「でも、そんな事をしたら・・・」
「僕も正直どうなるのか分からない。けれども、あえて最後まで飛び込んで見ようと思う。その先にあるものは絶望かも知れない。それでも良いんだ。僕は僕の選んだ選択の果てを知りたい。最後に話せたのが、リンコさんで良かった」
「タチバナさん・・・私・・・待ってます。最後まで希望を捨てないで下さい」
「ありが・・・」




