消えない過去 Ⅰ
俺には時間がない。
俺の身体の中にいるあいつがそろそろ目を覚まそうとしている。
1週間でかたをつけるつもりだった。しかし甘かった。
おそらく……今日が最後だ。
教室に入ると、既に目的のふたりはいた。
「剣人くんと別れて」
そう言ったのはふたりのうちのひとり、山根砂良。
「あんただったの……?」
もうひとり、田沼露実が目を見開き、次の瞬間無数の針をたたえたような刺々しい目で山根を睨み付けた。
「ああ、そう。そういうこと……。相手があんただったなんてね。彼氏とは別れたわけ?」
「……そ、そんなの田沼に関係ないでしょっ」
「……いいよ、剣人とは別れる。あんたに言われるまでもなくそのつもりだったしね。勝手にすれば? あんたたちが付き合おーが何しよーが……っ、ウチの知ったことじゃない、から」
本人は叫び罵るつもりだったのだろうが、声がつまり消えかかりそうになっている。田沼は相当ショックを受けているらしい。
ふいにあの人が言っていたことを思い出す。
『露実ちゃんは、ちょっと強引なところもあるけど、本当は……すごく、友達を大切に思ってるんじゃないかな』
「さ、砂良はそこまで言ってないよっ。剣人くんと付き合おうなんて……!」
「じゃあ何!? いったいあんた、どういうつもりで今ここにいるわけ? あんたの頭の中ってマジで空っぽなの?」
「……か、空っぽって!」
「あんたは何を考えてんのって聞いてんだよ!?」
『砂良ちゃんはちょっと見栄っ張りなところがあるの。露実ちゃんのことが好きで、うらやましく思ってるみたい』
窓ガラスがビリビリと震えた。
ふたりは教室に他にも人がいる気配があるのに気づく様子もなく睨み合っている。
そのとき、廊下に快活な足音が響いた。その音はどんどんと近づいてくる。
「悪ィ、綾瀬。遅くなって」
バスケ部の練習着姿の園畑剣人が駆け込んできた。それを見た田沼と山根は硬直する。
「いや? 約束の時間ちょうどだよ」
俺はやっと口を開いた。
「……あ、綾瀬!? それと……剣人も!?」
「立ち聞きしてたのっ?」
悲鳴のような声をあげるふたりに、剣人も絶句している。俺に呼び出された先がこんな修羅場になっているとは想像もつかなかったのだろう。彼女たちふたりは、剣人が今もっとも会いたくないふたりだったはずだ。剣人が裏切ったふたり。
「醜い争いをしてるところ悪いと思ったんだけどね。俺の方にも義務があるから」
できるだけ顔には笑みを浮かべて言ったつもりだった。ところが目の前の彼らはそれぞれに恐怖の表情を浮かべた。
「はじめに言っておくと、俺の義務は君たちを和解させることじゃない」
義務、そうこれは義務だ。
幸せになる資格のない俺に課された唯一の義務。
俺は目を閉じ、“あの人”の顔を思い浮かべた。記憶の奥底で淡い夢となりかけているあの人を。
それから、仮の制約で結ばれた彼女。俺のお姫様。
「小笹深和を傷つける全てのものを抹殺する」
偽りの俺が言葉を発した。俺を包む嘘の鎧。彼女のついた嘘よりもよっぽどたちの悪い嘘。俺は彼女を傷つけたくないがために彼女をだました。
「まずは剣人」
「……な、なんだよ」
「君から話をつけようか」
1歩、剣人が後ずさった。その頬を冷や汗が流れる。
俺は視線でしっかりと剣人を捕らえ、微笑んだ。
さあ、話してもらおうか。




