金曜日 Ⅰ
次の日、私はちょっとだけ寝坊した。昨日の夜なかなか寝つけなかったせいかもしれない。登校すると、教室の席はほとんど埋まっていた。
目立たないようにそっと自分の席に座る。
「おはようございます、深和ちゃん」
「……おは、よう」
読書をしていた美歩ちゃんが顔を上げ、肩をすくめた。
「昨日のこと、解決したみたいです。雨降って地固まる、ですね」
「え……?」
私が首を傾げると、
「深和ちゃんおはよっ」
やけに上機嫌な露実ちゃんが振り返った。まるで何かが吹っ切れたみたいな表情。
「おはよう」
そう返してから、気づいた。露実ちゃんと砂良ちゃんの机がぴったりとくっついてる……。
「深和ちゃあーん!」
バッと砂良ちゃんが立ち上がって、机越しにぎゅっと抱きついてきた。あまりの勢いに、私の座っている椅子が音を立てた。
「さ、砂良ちゃん……?」
「うわぁーん、砂良、またふられたーっ。深和ちゃんの馬鹿ぁ」
「え、あ、あの……?」
「ちょっと山根、馬鹿はないでしょ馬鹿は。純粋で無垢な深和ちゃんに向かって」
露実ちゃんが呆れた声で言って、砂良ちゃんの頭をパシッとはたく。
「自業自得なんだから、あんたもウチも」
「もーう、わかってるよぉ。でも、八つ当たりしたかったのっ」
「あーあ、めんどくさい子」
溜め息をつき、露実ちゃんは砂良ちゃんを私から引き剥がす。そしてなだめた。
「深和ちゃんを守れたんだから、それだけでもよかったでしょ」
「そうだけどーっ」
砂良ちゃんは膨れ顔だ。
私を……守る?
「園畑剣人は露実ちゃんと砂良ちゃんをオトリに使ったんです。本命は深和ちゃんだったそうですよ」
美歩ちゃんがまるで他人事みたいに教えてくれた。たしかに美歩ちゃんにとっては他人事かもしれないけど……。
「そーえば深和ちゃん!」
露実ちゃんは重要なことを思い出したという顔。
「前に剣人にコクられてるんだって? なんで黙ってたの?」
「そう、それっ。砂良も今日初めて聞いて、すっごく驚いた!」
ぎくっとした。私はとっくに忘れていたのに……ううん、忘れたふりをしていた。
「……断ったことは、あんまり言いふらさない方がいいかなって、思って」
だって私、露実ちゃんが剣人くんを好きなの知ってたから。あれはまだ露実ちゃんが剣人くんと付き合う前のことだった。だから私は誰にも言わなかったんだけど、いつ露実ちゃんの耳に入るかと思うとひやひやだった。結局、露実ちゃんと剣人くんは付き合うことになって、なんとかうまく収まったと思ったんだ。
「あいつ、ずっと深和ちゃんのこと狙ってたんだって。ウチも山根も深和ちゃんに近づくために利用されただけ。サイテーだよ」
サイテー?
暗くなった私の顔を見て、露実ちゃんが慌てる。
「あ、サイテーってあいつのことだよ? 優等生面した薄情男のこと」
「で、でも、すっごくイケメンだしっ」
なぜか涙目で声を張り上げる砂良ちゃん。
「だっからあんたはミーハーだってゆーの! ……まあ、ウチも同類なんだけど」
露実ちゃんにたしなめられ、砂良ちゃんはしょんぼりと下を向いて、
「ごめんね」
と言った。
「あの、ね、本当は砂良、ずっと嘘ついてて……砂良、今は誰とも付き合ってないの。とっくにふられてて。ダブルデートしたい、なんて見栄張っちゃったけど……」
恋人がいるという嘘。
その嘘は私の心をも痛めた。
「剣人くんが、田沼と別れたいから協力してくれって……砂良、心が動いちゃって。ほら、剣人くんの顔って、砂良の好みだから」
ハア、と露実ちゃんが溜め息をつく。
「……だからあんたは」
「ご、ごめんなさいぃっ!」
「ホント、単純で馬鹿」
露実ちゃんは観念した様子で砂良ちゃんの頭をなでた。
「許してあげるよ。ウチもあんたにひどいこと言ったしね。ウチ、口悪いからさ。でも深和ちゃんと美歩にも謝りな。ほら」
露実ちゃんの声音はすごく優しかった。
小さくうなずいて、砂良ちゃんが私たちに向き直った。
「……ごめんね、深和ちゃん、美歩ちん。田沼が絶交って言ったって嘘なの。砂良が田沼を仲間外れにしようとしたの」
正しい言葉はどれか。
「なんとなく気づいてました。砂良ちゃんが嘘つくときって目が泳ぐので」
案の定、美歩ちゃんは平然と言った。
「美歩……あんたってつくづく恐ろしいよね」
露実ちゃんがぶるっと身震いした。
「でもこれで、山根もウチも非リアかぁ。深和ちゃんと立場逆転じゃん」
「さ、砂良は別にいいもん。料理できない女の子はちょっと、なんて言う古くさい男、もう好きにならないもんっ」
「って元彼に言われたんだ?」
「田沼の意地悪っ!」
ふたりは前より仲良くなった気がする。言い合いのテンポが軽快だ。昨日の冷戦状態が嘘みたいに。
何かが……変わった?
たった1日で、何かが。
膨れる砂良ちゃんを見てお腹を抱えて笑いながら、露実ちゃんがふと言った。
「それにしても深和ちゃん、愛されてるよねー」
「え?」
「綾瀬だよ、綾瀬。深和ちゃんのことお姫様とか言ってたよ」
「俺のお姫様を傷つけるな!」
砂良ちゃんが叫んだ。
「そうそう、メッチャ怖い顔してさ、ウチらを一喝するの。それで剣人に全部白状させて」
「すっごく怖かったよね、綾瀬。殴られるんじゃないかって不安になっちゃった」
「あれ、そういえば綾瀬は?」
教室に綾瀬くんの姿はない。
やがて担任の先生が入ってきて、出欠をとった。綾瀬くんは欠席。欠席理由は風邪だった。
「おっかしいなー。学校来てたよね?」
「だよね」
砂良ちゃんと露実ちゃんが小声でささやき合っている。
綾瀬くん……続きは明日って言ってたのに。胸の内で何かがくすぶっている。なんだろう、この不安な気持ち。
……寂しい、な。




