85 執事と高速道路
昨日決まった突然の予定に、暁、水船、雲川は落ち着きのない様子で動き回っていた。それに比べ月若と日ノ内は落ち着いていた。
「目的地は名古屋。高速道路を使い、午前十一時を目安に向かいます。それまでに駅周辺の手配をお願いいたします。訪問場所の確認も再度徹底してください」
悠斗も手慣れた様子で、周囲の使用人たちへテキパキと指示を出していく。華凛と大和の疑似デートや学校行事での先回りなど、この手の急なスケジューリングには嫌というほど慣れていた。
玄関を出て、数十台の車が整然と並ぶ駐車場へと向かうと、そこにはすでに幹也の姿があった。
「幹也様、本日はよろしくお願いいたします」
「任せとけ。今日の車はこれな」
子どもたちを含めた総勢六人という大所帯になったため、当初予定していたスポーツカーなどの車両は使えない。そのため関西から六人乗りのミニバンを急遽手配した。
「まぁ、ホントは走りのいい車で飛ばしたかったんだけどな。雅や敬介も乗るし、名古屋での運転だからな。これが一番だろ」
キーを指先で回しながら笑う幹也の横から、「ダーリン、おはよー!」と元気な声が響いた。私服姿で黒色に髪を染めた朱莉が、雅と敬介の手を引いてこちらへ駆け寄ってくる。その後ろからは、手さげ袋を抱えた瑠衣も少し緊張した面持ちで歩いてきた。
「皆さま、おはようございます。そして朱莉様。変装と車の準備ありがとうございます」
「問題なし。この中なら関西住みのうちで手配するのが一番だしね」
「ご協力ありがとうございます」
朱莉が嬉しそうに胸を張る横で、雅と敬介が車体を見上げて目を輝かせた。
「悠斗にいちゃん! この大きな車で名古屋に行くの!?」
「ぼく、一番うしろの広い席がいい!」
「ええ、安全運転で参りましょうね。おふたりとも、乗り降りで転ばないよう気をつけてください」
悠斗が腰を落として優しく声をかけると、二人は「はーい!」と元気よく返事をして車内へと乗り込んでいった。続くように朱莉と瑠衣も乗り込み、悠斗たちも最前席に座る。
「よし、全員乗ったな? それじゃあ名古屋に向けて、安全運転で出発だ!」
幹也がエンジンをかけると、静かで力強い重低音が駐車場に響いた。
高速道路に乗ると渋滞などもなく順調に進んでいった。年の瀬なのもあり上りへ向かうほうも空いている。
「やはり運転がお上手ですね。お仕事でも運転とかを?」
「そうだな。パトって誰でも運転できるわけじゃないから」
「パトカー運転できるんだ! かっこいいー!」
二列目から敬介が身を乗り出すようにして歓声をあげると、幹也はバックミラー越しに少し得意げな笑みを浮かべた。子どもにとってパトカーを運転できるなんて憧れの的だ。
「今日も俺の友達が皆のこと守ってやるから。なんか警察署の見学もできるらしいから」
「はい? なんですかその話?」
「あー言ってなかったわ」
後頭部を掻きながらあっけらかんと言う幹也に、悠斗は助手席で思わず眉をひそめた。予定になかった訪問先をタブレットで改めて確認するが見当たらない。
「いやぁ、名古屋に行くから警備しろって幼馴染に話したらさ、『ちょうど警察署で年末の防犯キャンペーンやってるから立ち寄れば?』って言われてさ。子どもたちも本物のパトカー乗れた方が楽しいだろ?」
「やったー! 本物のパトカー乗れるの!?」
「けいくん、すごい! パトカー乗れるんだって!」
後部座席で敬介と雅が大はしゃぎで歓声をあげ、朱莉も「えー、うちも乗ってみたいかも!」と乗っかってくる。子供たちのあふれんばかりの笑顔を見せられては、無慈悲に却下することも難しい。
「……なるほど。失礼いたします」
悠斗はレシーバーのチャンネルを合わせ、急いで各家へ連絡を入れる。報告を受けた側の反応は、溜息に、悲鳴に、呆れにと見事なまでに三者三様だった。
「警備に関しては大丈夫だぞ? 一応、日本が誇る『安全と秩序の鬼』だからな」
「そうかもしれませんが……その幼馴染の方は、信頼に足る人物なのですか?」
「俺より優秀で、俺より怖い奴。女なのに男より強くて、中部エリアで検挙率第一位。うちの親父のお墨付きだ」
確かに暁幹也には一般家庭の幼馴染がいて、その家族は警察一家だと聞いたことがある。それに確か……「幹也の許嫁」という噂も流れていたはずだ。
「それなら、まあ……」
言葉を濁した悠斗の横で、後部座席から朱莉が「えっ!?」と鋭い反応を示した。
「ちょっと待って幹也くん! その人って、噂の許嫁!?」
「元、な。断られたんだよ」
幹也は苦笑いしながら肩をすくめたが、どこか切なげな雰囲気を隠しきれていない。朱莉はニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべ、瑠衣も興味津々といった様子で身を乗り出してきた。
「へぇ~、そんなことになってたんや。何が理由?」
「……『今のあたしじゃ、暁の家名に釣り合わないから』ってさ」
幹也の口からこぼれた言葉は、どこか自虐的で、悲壮感に満ちていた。車内の一瞬の静寂を破るように、朱莉が「あー……」と得心のいったような声を漏らす。
「真面目な人なんやねぇ。うちらなんかはそんなの気にしないのに」
「そうなんだよな。別に家柄じゃなくて、人として好きになったのに……。あー、今の話は忘れてくれ」
照れ隠しのようにへらりと笑って誤魔化す幹也だったが、ハンドルを握る指先には少しだけ力が入っていた。
悠斗は、心の中でその幼馴染の女性に強い同情を寄せていた。
当事者である幹也たちが考える以上に、「五家」の苗字を名乗るという責任の重さは計り知れない。それを背負う覚悟を決めた時、周囲の環境も、人々の眼差しも、すべてが大きく一変してしまうのだから。
この恐怖と葛藤は、五大財閥という特別な世界に生きる彼らと、一般人である悠斗たちの間にある、大きな感覚の溝でもある。彼らには到底理解しきれない現実の壁だ。
「言えばよかったやん! 『暁なんて関係なく、俺の嫁になれ!』ってさ!」
「ハハッ……今だったら言えるかもな、なんてね」
幹也はおどけたように言って見せたが、その声の端々には捨てきれない未練が入り混じっていた。




