生かされている。
空気は凍っていた。
石畳を踏む車輪の音だけが、馬車の中に重く響く。
リノは足元を見つめていた。
視線は床を一点に縫い付けられたまま動かない。
その姿は断頭台に向かう罪人ようだ。
揺れが止まる。
「リノ、いらっしゃい」
先に降りたセシリアが振り返る。
鋭い声。
隣のクラリスはただ微笑むだけ。
リノは俯いたまま、その後ろを歩いた。
「おかえりなさいませ」
メイドたちは揃って頭を下げる。
クラリスの専属メイド、イレーネが静かに歩み寄った。
「何かございましたか?」
声は小さいが、よく通る。
クラリスは困ったように目を伏せた。
「リノに仕事を教えようと思っただけなの。だけど私の指示が足りなかったせい…。お客様にも、リノにも恥をかかせてしまったわ。」
セシリアにそっと目を向ける
「それでセシリアが怒ってしまって。」
イレーネの口元が歪む。
「リノにはお部屋で夕ご飯食べるように伝えたわ。ゆっくり休ませてあげたいの。」
クラリスは優しく話す。
ー愛人の子と同じ食卓なんて。
「後は私にお任せください。」
深く頭を下げるイレーネ。
クラリスは安堵したように微笑み、階段を上がっていった。
「後ほど、お茶をお持ち致します。」
その背にイレーネは優しい声で伝えた。
イリーネはリノの腕を掴む。
力は強く、リノは顔を歪める。
セシリアは何も言わず、口元だけで笑った。
この邸でリノに目を向けるものなどいない。
メイド達はヒソヒソ会話をする。
「クラリス様もセシリア様も可哀想。役立たず愛人の子と姉妹なんて⋯」
物置部屋は冷えていた。
扉が閉まる。
リノの体は床に叩きつけられ、埃が舞う。
思わず咳込んでしまう。
「クラリス様はお優しい方です。」
イリーネは静かに話す。
冷たい汚れた水が、リノも頭に落ちる。
「埃まみれの様でしたので洗って差し上げました。こんな程度の水では汚れた血筋までは洗えませんが。」
リノはただ床を眺める。
木板の床に水が染み込んでいく。
「クラリス様にご迷惑をおかけしないでください。どれだけ恵まれているかわかりますか?私は優しく教えて差し上げているのですよ。」
イリーネは棚から鞭を取り出した。
革の軋む音。
「言われないとわかりませんか?これだから馬鹿は困る。」
リノは立たさせる。
「裾を。」
従うしかない。
イリーネは脛を目掛けて鞭を叩きつける。
ビシッ。
遅れて、熱が走る。
リノの顔が歪む。
止まることは知らない。
二撃目。
三撃目。
床に膝がついた。
「何が悪かったか答えなさい。」
リノは答える。
「お姉様のご機嫌を損ねました。」
「違う。」
ビシッ。
リノは俯いたまま答えない。
ー答えは決まっている。
「生きていることよ。」
ビシッ。
「感謝しなさい。教えて差し上げてるのです。」
ビシッ⋯。
イレーネは優しくリノに説く。
ピシッと良い音が部屋に響き続ける。
空気が震える。
リノは目を瞑る。
何度目か分からなくなった頃、音は止んだ。
リノは暗闇で目が覚める。
周囲を見渡すとイリーネは消えていた。
体は冷え切っている。
立ち上がると足に激痛が走る。
フラフラと歩き出す。
廊下で継母に会う。
ヴィオラ夫人は目を大きく見開いたが、直ぐに無表情に戻る。
その視線は、一瞬だけ脛へ落ちる。
そして何も見なかったように整えられた。
「どうしたの?」
心配の形だけした声。
「⋯。お母様⋯。」
慌てたイリーネが小走りでかけつける。
「奥様申し訳ございません。桶に足を引っ掛けてしまったようで。私がついております。」
「そう。任せます。」
ヴィオラ夫人はそれ以上言わない。
何事もなかったように去っていく。
「勝手に部屋から出るとは何も学ばれないですね。」
イリーネの声が小さく低く響く。
リノは体を強張らせた。
自室に戻される。
机の上に封筒が置かれた。
「こちらに。」
差し出された手紙。
内容など教えてもらえない。
リノは黙ってサインをする。
扉が閉まる。
1人。
リノは床に沈む。
ーハンナがいなくて。良かった。
心配かけてしまう。
イリーネに出張を命じられたハンナを思う。
天井を見上げる。
そして、そのまま床で眠りについた。




