29 ビッグマッチへの期待と病気への不安
翌日は、匠のスタッフ全員がオフだった。
朝一番で、贋作・与作との好勝負に感動したと言って、ビッグジャパンプロレスのジーニアス武闘さん、プロレスリング・ナビのエルボー光沢さんの両団体の社長から直々に電話で出場のオファーが舞い込んできた。
武闘さんからは、ビッグジャパン恒例のサマーナイトワンマッチのメインイベントで、武闘さんことオリエンタル・ケイジとゼアミがタッグを組んで、ビッグスリー王者のコジ・サトとストロングジャパンプロレスから参加予定のバッファロー天野のアマコジタッグとの一戦を組みたいんだが出場できるかというものだった。
光沢さんからは、なんと、ナビの真夏の東京武道館決戦で「俺とシングルでやってみないか?」といきなり言われて胸が高鳴った。それも素顔の三刀屋新吾での出場要請だった。
俺は、どちらも二つ返事で引き受けたかったが、昨日の飲み会での体の変調が気になって返事をためらった。武闘さんと光沢さんには、匠のスケジュール調整を済ませてから返事をするので数日待ってくださいと嘘をついた。
昨日、俺の部屋に泊まった品子はたった今、小太郎の車で熱海に帰っていったところだ。
小太郎の奴、内緒で自動車の免許を取って、おまけに贋作シリーズで稼いだ金で自家用車まで買ったようだ。品子の送り向かいのためだとぬかしやがった。俺は涙が出るほどうれしかったが、二人が腹違いの姉弟だとばれることが怖かった。
一方で、俺は自分自身の身体の心配で精いっぱいだった。おふくろや品子のように身体の自由がきかなくなるんじゃないかという不安で心が折れそうだった。弱い性根の自分がまた戻ってくるんじゃないかと思うと、じっとしていられなかった。
事務所内を歩いたり、スキップしたりした。特に異常はなかった。スクワット、腕立て伏せ、腹筋、反復横跳び、縄跳び――と、簡単な運動メニューをこなしてみたが、体に特におかしなところは感じられなかった。昨夜の異常は、第四回大会に向けて根を詰めてきた疲れが出たのかもしれない。俺はそう思うことで自分を納得させていた。
夕方になって、熱海から小太郎が戻ってきた。伊豆半島の恋人岬まで足を延ばして品子とドライブを楽しんだと上機嫌だった。俺はますます頭を抱えてしまった。
小太郎には疲れているところすまなかったが、スパーリングを所望した。俺の身体がどこまで動いてくれるのか、急いで確認したかった。
「なんだよ、休みの日に。せっかく品子さんとドライブできて楽しかったっていうのにさ――」
小太郎はぶつぶつと文句を言いながらも、俺のわがままに付き合ってくれるようだ。根っからのプロレス好きだ。
俺は事務所で、段ボール箱の中からビニールの包みを取り出して、小太郎が立っている前の長机に放り投げた。
「今日届いたばかりのトレーニングウエアだ。辰波さんの提案で匠の第四回大会を記念して作ったものだ。デザインは鈴木さんだ」
「へえ」
小太郎は興味津々な顔でビニール袋を開ける。上下セットだった。上着は目に沁みるようなスカイブルーの生地に、前にはにぶいゴールドで「匠」のロゴタイプ、後ろには見事な人間橋・ジャーマンスープレックスを描いたイラストがシックな黒でデザインされていた。
「ベースの生地を青にしたのは、単純明快にストロングジャパンの赤いジャガーと間違わないようにということだ」
「いいね!」
小太郎は着ていた服を脱ぎ捨ててパンツ一丁になると、あっという間に新調のトレーニングウエアに身を包んだ。
「見てくれよ、新さん。どうだい、似合うだろ」
小太郎は無邪気にはしゃぎながら体を回転させて俺に見せてくれた。
「うん、よく似合ってる。スズさんのデザインもシンプルで匠らしいな。今後はこれが匠のユニホームになる」
「へへ、おれが匠のユニホームに袖を通した第一号ってわけだね」
「その通りだな。俺もすぐに着替えるから道場で待っててくれ」
「わかったよ」
小太郎は鼻唄交じりに事務所を出て行った。
俺はスカイブルーのトレーニングウエアに着替えると、体がスムーズに動くことを願いながら「よしっ!」とひと声気合を入れて、向かいの道場に入った。
道場のリングで小太郎と相対した。お互いが礼をしてからスパーリングが始まった。
ロックアップからロープワーク、投げ技から関節技、飛び技に丸め込み技と様々なバリエーションで手合わせした。二十分ばかり続けた後、俺と小太郎はリング上で大の字になった。
「あー、すっきりした。今日は一日中事務所にいたんで体がなまってたんだ。で、どうだった?」
「えっ、どうだったって、何が?」
小太郎が大の字のまま、怪訝な顔で俺の方を見た。
「い、いや。体の動きがどうだったかって聞いたんだ。俺も四十二だからな、やっぱり体の衰えが気になるのさ」
「そうだよな。四十っていったらおじんだもんな。でも、安心しな。この前の贋作・与作の時と同じ。動きにも技にもキレがあってコンディションは最高だと思うよ」
「そうか。そりゃあよかった。実は、ジーニアス武闘さんとエルボー光沢さんから、それぞれオファーがあってな。ビッグジャパンの方は、サマーナイトワンマッチのメインでオリエンタル・ケイジ、ゼアミ組とコジ・サト、バッファロー天野組でのタッグマッチを組みたいと言ってもらった」
「えっ、サマーナイトワンマッチって、荒川の河川敷公園で毎年七月下旬に行われるビッグジャパンの夏の大イベントじゃないか。一試合ごとにド派手な花火が上がって大盛り上がりだそうだよ。それもメインでオリエンタル・ケイジとタッグを組んで、現ビッグスリーチャンピオンのコジさんと、去年のJ1クライマックスの優勝者の天野さんのアマ・コジタッグと闘うなんてすごいじゃないか」
「そして、ナビの方なんだが、なんと東京武道館のセミファイナルで光沢さんから素顔の三刀屋新吾とシングルで闘いたいという要請があったんだ」
「ええ、ほんとかい! すげえな、新さん。こんなチャンスめったにないよ。今日みたいなベストコンディションでいけたら年間最高試合賞は確実だよ。光沢さんに何発エルボーを出させるかがポイントだね。ああ、おれも光沢さんのエルボーを一度でいいから受けてみたいな」
小太郎ががばっと起き上がって、興奮気味に光沢のローリングエルボーの真似をしてみせた。




