24 小太郎の真実
翌日――。
俺は、上野桜木の寛徳寺にある両親の墓参りに行った。
もうすぐ親父の命日である一月十五日になる。親父が死んで一年。本当なら盛大に一周忌の法要をやってやるべきなんだろうが、今ひとつ、そんな気分にはなれなかった。罰当たりな息子だと思うけど、俺一人が墓参りすりゃ、十分、親父も喜んでくれると思って、今日は、小太郎が作ってくれたプロレス家族四人の写真だけを持って来たんだが――。
おや?
そこには、予想外にも先客がいた。俺の両親の墓の前で女が深々と手を合わせていた。
誰だ?
俺は好奇心と不信感に駆り立てられながら、親父とおふくろの墓に近づいた。
俺が後ろに立っても、その女はまったく気付かずに両親の墓に向かって一心に合掌していた。首筋のあたりで短めに切りそろえた髪には白いものが混ざっていた。地味な紺地のコートから女の静かな祈りを感じた。
墓前には写真が一枚置かれていた。そこには、千歳飴を下げた男の子と母親らしき女が写っていた。
――これは?
俺は、女が気付くまで、後ろで黙って立っていた。
やがて、女が合掌を終えて立ち上がった。後ろに立っていた俺に気付いて、びくっと後ずさりする。
俺は愛想笑いを浮かべて頭を下げたが、女は迷惑そうな表情ですぐにその場を立ち去ろうとした。
俺はその女の腕をつかんで制止した。女は何も言わずにうつむいてしまった。
「こ、この墓は、俺の両親の墓ですが、あ、あなたは?」
「……」
「なぜ、黙ってるんです。親父の一周忌が近いからお参りに来てくれたんですよね」
「……」
俺はじれったくなった。解決の糸口になるであろう墓前の写真を強引に手に取って間近で見た。
「か、返してください!」
女が抵抗してきた。写真を取り返したいがために必死にすがりついてくるが、叩かれても蹴られてもプロレスラーの俺の体はびくともしない。
俺は、女の身長では手が届かない自分の顔の前で写真を見た。
――七五三の時の写真のようだ。母親らしき女は、今、自分の目の前で必死に抵抗している女の若い時の姿のようだ。で、千歳飴を持った子どもだが……。
どこかで見た顔だ。
と――その時、俺の股間に激痛が走った。俺は思わず写真を放り出して、その場でぴょんぴょんと飛び跳ねていた。
俺は股間を押さえながら女の顔を見た。
女の目は恐ろしくおびえているようだった。女は地面に落ちた写真をすばやく拾うとコートの内ポケットにしまって、興奮を抑えるように何度も深呼吸をしてから、
「ご、ごめんなさい……」
と言って、全身の力が抜けていくように、その場にへなへなと座り込んでしまった。
女が意識を取り戻したのは、それからおよそ三十分後くらいだっただろうか。
寛徳寺の一室で寺男に布団を敷いてもらって、意識を失った女を寝かせてから、例の写真に写っていた千歳飴を下げた見覚えのある男の子のことを思い出そうと、必死になっていた時だった。
「さ、さっきはすいませんでした。突然のことに、気が動転してしまって」
女が布団の中から顔を起こして蚊の鳴くような声で言ってきた。
「い、いや、俺も強引に写真を見てしまって……それにしても、いったいどういうことなんですか?」
「あ、あなたは、征三さんのご長男の新吾さんですよね?」
俺の名前を知っていた。いったい誰なんだ?
「はい。三刀屋新吾です」
「ああ」
女は感激の声を漏らしたまま、ゆっくりと目を閉じた。
「な、なぜ、親父のことも、俺のことも知っているんですか。あなたはいったい……」
女は布団から上半身を起こした。
「すっかりご立派になられて……あなたなら……もういいですね。わたしの思いをお話ししても」
女は自分に納得するようにうなずくと、衣服を整えながら布団の上に正座をして、俺の目を視た。
女の、どこまでも真剣なまなざしに、俺も畳の上で自然と姿勢を正して座っていた。
女が、うるんだ眼を拭いながら訥々と話し始めた。
「忘れもしない夏の終わりのある日、とてもお恥ずかしいのですが、わたしは新吾さんのお父さんの征三さんと一夜限りの恋をしました。わたしは名古屋のスナックで働いていました。その店に征三さんがふらりといらっしゃったんです。カウンターで哀しそうにウイスキーのロックを呷る征三さんに、わたしは最初は営業で声をかけました。でも、最近、奥様を病気で亡くされたということでお話を伺っているうちに、わたしの中に妙な母性本能が芽生えてきて。わたしみたいな不浄な女に心の内を話してくださった征三さんに情が移って。わたしも独り身で寂しかったんだと思います。征三さんを包み込むことで、わたしの寂しさもなくなるんじゃないかと……その夜、わたしは征三さんと一夜をともにしました。朝になって、わたしが目を覚ますと、征三さんはすでにいませんでした。枕元に置いてあった紙切れに、ひと言『ありがとう』と書いてあったんです。それから三か月後、わたしは征三さんの子を妊娠していることに気付きました。さっき、新吾さんが見た写真の子どもが、その子です」
「……」
「小太郎と名付けました」
「こ、小太郎……?」
「はい。ですが小太郎は一年半前に家出して行方不明のままです」
一年半前に……? 小太郎……小太郎……小太郎って、まさか、あの小太郎ってことかよ?
そうか、写真の千歳飴の男の子は小太郎の面影だったのか。でも、どうしてあの小太郎なんだ。
えっ? てことは……小太郎は征三の子ってことなのか……?
俺はにわかに状況がつかめずに混乱していた。女は、そんな俺に構わず、あふれるような思いを話し続けた。
「カウンターでお酒を飲みながら征三さんは、プロレスラーという仕事をとことん理解してくれていた奥さんに感謝していたこと、プロレスの巡業で二人の子どもたちに寂しい思いをさせてしまって申し訳なかったことなどを話してくれました。二人の子どもの父親として何もできない自分をたいそう悔やんでおられました。小太郎を生んだ後、わたしは、征三さんに小太郎のことをお伝えしようと、征三さんが与作として出場するプロレス会場に幼い小太郎を連れて何度も足を運びましたが、とうとう名乗ることができませんでした。でも、そのおかげで小太郎は、征三さんが父親とも知らずに与作のプロレスを真似してはしゃぐようになりました。わたしはそんな小太郎を見るのがうれしくて、小太郎がプロレスの真似をすると、この胸にしっかりと抱きしめて褒めちぎったものでした。でも、小太郎が成長するにつれて、小太郎はわたしと一緒にはプロレス会場に行かなくなり、中学生になるとまったく口をきかなくなりました。その頃には生計を立てるために夜の仕事を再び始めていました。小太郎は、そんな母親に反発していたのでしょう。ずっと夜にひとりぼっちだった小太郎は寂しかったんだと思います。わかってます。愚かな母親です」
女は、そこまで打ち明けると感極まって目頭をぬぐった。
そういえば、小太郎の奴、なぜか家族のことはいっさい話したことがなかったな。でも……ということは、小太郎と俺と品子は征三の子で腹違いの兄弟ということになるのか。
ますます頭の中が混乱してきた。
なんで、俺と小太郎が兄弟になっちまったんだ。ましてや品子に恋する小太郎が、実は品子と血がつながっていると知ったらどういう事になるんだろうか。
気持ちを落ち着かせるしかなかった。冷静に現実を受け止めて対処していくしかない。
「でも、どうして征三の墓がここにあると知ったんですか?」
無意識のうちに素朴な疑問が言葉になって出ていた。
女はあふれ出る涙を拭きながら、
「与作の死亡記事を、偶然、新聞で見たんです。それで与作の所属していたビッグジャパンプロレスに何度も電話をして、征三さんの住所やお墓を問い合わせたのですが教えてくれませんでした。しかたなしに、わたしはビッグジャパンの事務所に直接行って、征三さんとのすべてを話しました。そしたら後日、武闘さんという方からお電話をいただき、征三さんのお墓の場所を教えていただいたんです」
武闘――ジーニアス武闘。ビッグジャパンプロレスの社長の武闘さんだ。
「さっきの写真、もう一度見せてくれませんか」
もう一度確かめたかった。女はコートの場所を目で捜しだした。女のコートは寺男がハンガーに掛けてくれていたようだ。
「見てもいいですか」
女は黙ってうなずいた。俺はハンガーに掛けてあったコートの内ポケットから写真を取り出すと、改めてじっくりと見た。
似ている。右の口元にかすかにほくろらしきものも見える。小太郎に間違いない。
「新吾さんは、もしや、小太郎のことをご存知なんでしょうか?」
女がすがりつくようなまなざしで膝を進めてきた。
「小太郎という名前のプロレスラーはよく知っています。名谷小太郎です」
「わ、わたしは名谷結子と言います」
「『ゼアミノート』は知っていますか?」
女の表情がぱっと明るくなった。
「はい。小太郎が命よりも大切にしていたものです」
確信した。俺は胸を張って言った。
「俺の知ってる小太郎は、あなたの子に間違いないでしょう」
「ああ、無事でいてくれたんだ。それも父親と同じプロレスラーに」
結子と名乗った女は泣き崩れた。
「小太郎はいい奴です。プロレスラーとしても、これからどんどん伸びていくでしょう。期待の新人ですよ」
お世辞でも何でもなかった。自然と笑顔になって小太郎のことを話していた。
結子さんは顔を上げると、俺の顔を見てホッとしたような表情を浮かべた。
俺は大きくうなずいてから、
「小太郎は、征三が本当の父親だと知っているんですか?」
「いえ、知りません。お前の父親はプロレスラーの与作なんだと、何度叫びたかったことか……でも、結局言えませんでした」
「今日のお母さんのこと、小太郎に伝えますか?」
「いえ」
結子さんはすぐに顔を横に振った。
「小太郎が自分の意志でわたしのところに戻ってくるまで待ちます。わたしは小太郎が自分で歩き始めた人生を、ただ陰ながら応援していきます」
「わかりました。今日のことはいっさい小太郎には内緒にしておきます。俺は小太郎を全力でバックアップするつもりでいますから安心して見守ってやってください」
俺は自信を持って言い切っていた。
それから一時間余り、俺は結子さんにプロレスラー小太郎のことやPWMS・匠のことなどを思いつくままに話した。そして、小太郎の住んでいるストロングジャパンプロレスの合宿所の住所と匠の事務所の電話番号を、財布に入っていたレシートの裏に書いて渡した。
小太郎と結子さんのために、俺はとことん何かしてやりたかった。




