拓馬と瞭司
結局、奏真は金曜の夜も土曜も瀧本の家へ泊まった。
瀧本は「帰れ」とは言わなかった。ただ一緒にいて、ギターの弾き方を教えたり、奏真に強請られ演奏しながら歌って見せた。
日曜日の夕方、「学校は行くんだろ?」と瀧本から問われ、奏真はコクンと頷いた。瀧本とカレー屋で夕飯を済ませ、バイクで近所まで送ってもらい家へ帰ったのは夜の七時半。
母親はなにも聞いてこなかった。奏真は風呂だけサッと済ませ、三日分の宿題を一気に片付けすぐに眠った。
どこにも行く場所がないと思っていた奏真だったが、無事に週末を乗り切ることができたのだ。
月曜日。奏真と隣の席の瞭司は日直当番だった。日直当番は授業が始まる前に、教材や資料などを用意しなくてはならない。
「日直、黒板消しといて。楽譜も数を確認してしまってね」
三時間目の音楽の授業が終わり、奏真が黒板に書いてある合唱メンバーの名前を消していると、瞭司が腹を押さえ切羽詰まった顔で言った。
「ごめん。トイレ行ってきていい?」
「おお、うん」
慌てて出ていく瞭司を見送っていると、直樹が寄ってきた。
「奏ちゃん、楽譜しまうよ」
「え、ああ……ありがとう」
彼女ができてから直樹との絡みがすっかり減っていた。突然の声かけに奏真は少し焦り、かしこまった口調になってしまった。直樹は気にしていない様子で「うん!」と元気に頷きバラバラに置いてある楽譜を集める。
奏真は大きく手を動かし慌てて黒板を消した。
「あ、でも数かぞえろって言われてっからちょっと待って」
「歌パートごとに数えればいいの?」
「数がそろってりゃ問題ないと思う」
「はーい」
直樹は嬉しそうな表情でテキパキ楽譜を揃えながら言った。
「奏ちゃん歌うまいからいいなー」
「え? なに? 急に。バーガーでも奢って欲しいの?」
「モコモコで? って、ちがうよ。奏ちゃん高音出るし、音程もフラフラしないし、カラオケの時も思ったけど、やっぱ歌のセンスあるなって思ってー」
「マジで? じゃあ、デビューでも目指しちゃうか」
「うんうん! 奏ちゃんが目指すなら俺も!」
久しぶりの直樹との何気ない会話に嬉しくなり、奏真はいつになくはしゃいでしまう。
直樹も変わってないじゃん。
たった数分のやり取りで奏真の中に残っていた不安は一気に消えてなくなった。
昼休みになり、前席の晋吾が「飯だぁ」と嬉しそうに両手を突き上げた。カバンから弁当を出しながら奏真の方を向く。奏真がチラッと直樹を見ると、すでに直樹の机に張り付くように彼女が立っていた。弁当を持って立ち上がった直樹が一瞬、チラッと奏真を見る。一瞬確かに二人の視線は合ったのに、直樹は彼女と教室を出て行ってしまう。
なんだよあれ。
直樹との会話で安心していた奏真の心にまたどす黒い影が忍び寄ってくる。
奏真はその気配から逃れようと携帯を取り出した。コンビニで買ったパンを頬張りながら、昨晩ベッドの中で見ていたショップサイトを開く。
「はに見へんのぉ?」
晋吾が頬を膨らませたまま携帯を覗き込んだ。
「うん、ギター欲しいなって思ってさ」
「すっげぇ。買うの? 高くない?」
「高いよなぁ。でも、せっかく買うんだったらちゃんと新品のいいの買って大事にしたいし」
「ふ〜ん。あ、これかっこいいね」
メンテナンスが大事だと言っていた瀧本の言葉通り、中古品ではなく新品をと奏真は考えていた。
「ひ~、十五万って! これはないけど、やっぱ調べたら三万ぐらいは出した方がいいみたいなんだよね。ああ~、やっぱバイト本気で探さなきゃなぁ~」
「これいいね」
「高いのばっかいうなや!」
奏真の素早い突っ込みに晋吾は頬をパンパンに膨らませいたずらっぽく二へッと笑う。
バイト、どっかいい所ないかなぁ……。
日直はいろいろと忙しい。五時間目は科学だった。
教科担任があらかじめ科学準備室にまとめて出しておく実験器具を各テーブルへ配置するのも日直の仕事。しかし、昼食を食べた奏真はそのまま席でグーグー昼寝をしてしまった。
「奏真、奏真」
「んー?」
「日直いいのぉ?」
のんびりした晋吾の呼びかけにハッと目を覚ます。壁の時計を見れば、五時間目が始まる十分前。教室に瞭司の姿も見えない。奏真は慌てて準備室にいる教師のところへ向かった。科学実験室の鍵を貰いに行くと、教師は書きものをしながら「もう藤枝が取りにきたぞ?」と言った。
どうやら眠っている奏真を起こさず、瞭司は一人で準備に行ったらしい。音楽の後の片付けを気にしてかもしれない。奏真は悪いことしちゃったなと思いながら、その足で実験室へ向かった。
まだ、間に合うかな?
焦っていた奏真の足がピタリと止まる。実験室の中から声が聞こえてきたのだ。瞭司と級長の拓馬の声だった。奏真の代わりに二人で準備をしているらしい。奏真が扉に手をかけた時、聞き慣れない声音がした。
「ねぇねぇ、拓馬」
それは確かに瞭司のものだった。でも、いつもと様子が違う。トロンとして、どこか甘えたような声。
「ん?」
対する拓馬の声もいつもと違う。親密さとこちらも甘ったるさを帯びている。入っていけない空気が伝わってくる。奏真の手が引っ込む。
拓馬と瞭司なのに……。
おそるおそるドアの窓からそっと中を覗き込むと、向かい合ってる二人が見えた。拓馬のいつもキリッとした顔が穏やかに溶け、瞭司はいつにも増して甘えん坊のような顔。瞭司が一歩近づき、拓馬に顔を寄せる。
空気が急に薄くなったような息苦しさを感じた。
これって……。
「しようヨ」
奏真の目が見開く。
「うん」
拓馬が両腕を開くと、瞭司は嬉しそうに腕の中に納まり、二人は微笑みあいながらもっと顔を寄せ唇を触れ合わせた。
キスだ――。
初めて生で見たキスシーンに奏真は完全に固まってしまった。
なんであの二人が?
二人のことは前から仲が良いとは思ってはいた。でもそれは奏真にとっての直樹みたいなものだとずっと思っていた。自分の知らない二人を目の当たりにして、真っ白な頭の中に言葉が浮かぶ。
……あぁ、そっか。二人は付き合ってたんだ。
長いキスのあと、ふたりが額をくっつけ微笑み合う。
「そろそろ戻るか」
「うん!」
我に返った奏真はクルッと向きを変えダッシュで逃げようと思ったが、隠れる場所のない真っ直ぐな廊下を前に無理だと悟る。走り去る姿をふたりに見られれば、秘密がバレたと思われてしまう。
奏真は咄嗟に大股でその場から数歩離れると、また実験室へ向いた。ガラッと扉が開いたのと同時に歩きだす。出てきた二人がビクッと立ち止まり、一瞬驚いた表情をした。奏真がすかさず口を開く。
「ごめん! 任せちゃって! もう、終わっちゃった?」
「う、うん」
奏真が謝ると、瞭司は喉になにか引っかかったような返事をして目を伏せ、拓馬をチラ見した。
「拓馬もごめんね。俺の代わりに手伝ってもらっちゃったみたいで」
「あ、ああ。全然いいよ。どうせヒマだったし」
拓馬は笑顔で「あははは」と清々しく笑った。あまりに清々しくて呆気にとられるほどだった。さすが級長なだけあって肝が据わっている。隣の瞭司はずっと目が泳いでいるし、奏真も笑いながら、妙な空気を感じていた。
うまく演技できたと思うんだけど……とドキドキしている奏真の肩を拓馬がポンと叩く。
「行こうぜ」
「あ、うん」
二人に挟まれ教室へ戻る。
「そういえばさ、数学の北島がね、」
「ん?」
普段と変わらないよう振舞おうとしている瞭司に相槌を打ちながら思った。
二人は前から付き合ってたんだ。いつからだろう。俺の停学中? ちがうか……。さっきは二人きりだったから、違って見えただけ。一緒にいる時はいつもの二人だ。停学明けの時だって、他のヤツらが遠巻きに見てても変わらない態度で接してくれた。拓馬と瞭司、晋吾も。直樹だってあのボディガードの彼女さえいなければ引きつったりしないし、前と同じように話せる。
拓馬と瞭司が付き合っているのはちょっとビックリだけど、そんなの関係ないじゃん。むしろ幸せそうだったし、応援してやりたい。
なのになんだろ……。
奏真の違和感は教室に戻っても、科学実験室での授業のあいだも消えなかった。
自分の立つ場所を居心地悪く感じてしまう。
皆が肩を寄せ合い実験に盛り上がっているのを、一人丸椅子に座ってボーッと眺める。
週末は楽しかったなぁ……。
ポケットへ手を突っ込み携帯を握る。
考えるのは瀧本のことばかりだった。