第九十九話
―――四百年前。
誰に語られることも無い、二人だけの死闘。
『聖撃!』
『無駄無駄ァ、無駄ですよ!』
カナンとサマエルの戦いは当初、サマエルが優位に立っていた。
カナンの法力はサマエルすら上回る程だったが、サマエルに法術は通用しない。
権能よりも法術主体で戦うカナンにとって、状況は不利だった。
『ギャハハハハ! カナン! お前の自慢の法術は、私を傷付けることすら出来ない! もう私の力はお前を超えている!』
勝ち誇るようにサマエルは嗤った。
『…君の努力を否定するつもりは無い。どんな形であれ、君は誰よりも過酷な修行を望み、犠牲を払うことで信仰を強めていった』
カナンは恐ろしく冷静な目で、サマエルの眼を見た。
『だが、多くの者の夢を壊す君の『理想』を、認めることだけは絶対に出来ない!』
『はは…ギャハハハハ! 認めない? 認めないだと? そんな上品な言葉を今更吐くな。お前はただ、私が憎いだけなのだろう?』
サマエルは嗤いながら、カナンの顔の下に隠れた感情を見抜く。
冷静を取り繕った仮面に隠された激情を暴く。
『全て死んだ。お前の弟子は、この私が殺し尽した! どいつもこいつも神だの救いだの、と鬱陶しかったですが、結局のところ神は彼らを救わなかった!』
『…ッ!』
『ああ、アンナは特に滑稽でしたねェ。神への救いを求めながら悪魔に変えられ、そうと知らぬ仲間に殺されるなんて! ギャハハハハ!』
『黙れ!』
憤怒の形相でカナンは叫んだ。
神の代理、神の慈悲と称えられた聖人の姿は既にどこにも無かった。
在るのは仲間を殺されて怒り狂う、ただの人間だった。
『…ぐっ…!』
激怒するカナンは突然、苦しそうに胸を抑えた。
『ギャハハハハ! 掛かった! 遂に掛かったなァ!』
サマエルは歓喜しながら叫ぶ。
弟子を殺され、サマエルにその死を嗤われ、カナンは初めて人を憎んだ。
憤怒のサマエルを、憎んでしまった。
その怒りは、サマエルの悪法によって呪いに変わる。
カナンを悪魔へと変える呪いに。
『私が百年、お前を殺さなかった理由はコレですよ! お前を、神に選ばれたお前を! 悪魔へと堕落させることこそが我が願望! 我が復讐!』
『ぐ…あ、ああ…!』
『抗っても無駄! コレは私の憤怒では無く、お前自身の憤怒だ! お前が私を憎む限り、呪いは永遠に解けることは無い!』
もう全て手遅れだ。
何が起こっても、もうカナンは悪魔へ堕ちる。
勝利を確信して、嘲笑を浮かべるサマエル。
『…悪法』
『………………何?』
青白い粒子がカナンから放たれ、サマエルの左腕を掠める。
瞬間、サマエルの左肩から先が宙を舞った。
『あ? ああああああああァ!?』
切り落とされた左腕を見て、サマエルは絶叫する。
血を噴き出す肩を抑えながら、カナンを睨んだ。
『お前、どうして悪法を…!』
『…やはり、悪法なら通じるようだね』
苦し気に顔を歪めながらも、カナンは不敵な笑みを浮かべた。
悪法に蝕まれていると言うのに、まるで勝機を掴んだかのような希望に満ちた顔だった。
『ま、さか…! その為に、わざと…!』
サマエルに法術は通用しない。
だから、カナンはサマエルにも通用する悪法を手に入れる為に…自ら悪魔へと堕ちたのだ。
もう二度と、人間には戻れないことを理解しながら。
『ハハハ! 面白い! お前の不慣れな悪法が私を殺すのが先か! お前が人の心を失うのが先か! 勝負と行きましょうか!』
「苦肉の策とは言え、我ながら無理をしたものだ」
セーレはかつて自分が行ったことを思い出し、苦笑する。
サマエルを倒すには、同じ悪魔になるしか手は無いと思った。
故に敢えてサマエルの罠に嵌まり、自ら悪魔と化した。
人の心を失う前にサマエルを倒し、まだ理性が残っている内に自害する為。
結果は、大失敗。
サマエルを殺し切ることも出来ず、自ら命を絶つ余裕も無かった。
「カナ、ン…!」
「久しぶり、と言っておこうか?」
アンドラスへ不敵な笑みを向けたセーレの姿が光に包まれる。
光の王冠とマントを具現化したその姿は、神々しさすら感じられた。
表情が、雰囲気が、明らかにセーレとは違う。
先程までの記憶喪失だった時とも異なる。
「セーレが、本当に…カナン、様?」
「様なんて付けるなよ、水臭い。俺と貴様の仲じゃないか、契約者様」
動揺するマナが可笑しいのか、子供のように笑いながらセーレは言う。
雰囲気が変わっても、その口調も態度もセーレのままだ。
カナンとしての記憶を取り戻しても、セーレとしての記憶も残ったままらしい。
「聖女様達も聞きたいことは山ほどあるだろうし、俺も言うべきことが山ほどあるのだが…」
「カナン…! 貴様、よくも…!」
「…彼女の相手が先らしい。少し待っていて貰えるか」
怒り狂うアンドラスを冷静な目で見つめながら、セーレは一歩前に出た。
同胞だと思っていたセーレがカナンだったこと、
今までカナンと気付かずに接してきたこと、
その屈辱に顔を歪めたアンドラスが、感情のままに襲い掛かる。
「さて、どれを使おうか。久しぶりだから少し迷うな」
どこまでも緊張感の無い様子でセーレは、手を軽く振るう。
それに合わせて虚空に光の文字が描かれていき、消えていく。
「コレは違う。コレは…少し威力が強すぎるな。流石に故郷の地形を変えるのは忍びない」
ブツブツと呟きながら、何やら唸ったり首を傾げたりするセーレ。
そうしている間にも、黒い翼を広げたアンドラスは矢のような速度で迫る。
「うん。やっぱり、コレが良いか…『十戒』」
パチン、とセーレが指を鳴らすと同時に、セーレの前に巨大な石板が出現した。
神々しく光り輝く石板は、外敵から身を護る盾のように悠然と佇む。
「障壁か…!」
「いや、コレは封印だ」
空中で動きを止めたアンドラスの四方を囲むように、更に三つの石板が出現する。
「くっ、こんな物!」
それを突破しようとアンドラスは魔弾を放つが、光の石板はびくともしない。
傷一つ付かないどころか、放つ光によってアンドラスの力を削ぎ落としていく。
「こんな、こんな物で、私が!」
アンドラスは憤怒に顔を歪ませる。
認めない。
サマエルに敵対するカナンの存在を。
サマエルを四百年も封印したこの男を。
あの時、父親を奪われた苦しみと悲しみを、この男に思い知らせてやる。
「カナン!」
自身の命すら削り、アンドラスはその爪を振り上げた。
魔性を込めた黒い爪は遂に石板に亀裂を入れ、小さな穴を空ける。
例え、道具としか見られていなくても父親は父親なのだ。
「ッ!」
もし、この手でカナンを殺せば、サマエルはアンドラスを見てくれるかも知れない。
道具としてではなく、家族として見てくれるかも知れない。
この胸に燻ぶる嫉妬心を癒すことが出来るかも知れない。
「…言った筈だ。アンドラス」
その過去か心を読んだのか、少しだけ同情するような眼でセーレは言った。
「戒めは『十』だ」
瞬間、残る六つの石板が出現し、アンドラスを完全に幽閉した。




