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聖なる怪物  作者: 髪槍夜昼
最終章
99/108

第九十九話


―――四百年前。


誰に語られることも無い、二人だけの死闘。


『聖撃!』


『無駄無駄ァ、無駄ですよ!』


カナンとサマエルの戦いは当初、サマエルが優位に立っていた。


カナンの法力はサマエルすら上回る程だったが、サマエルに法術は通用しない。


権能よりも法術主体で戦うカナンにとって、状況は不利だった。


『ギャハハハハ! カナン! お前の自慢の法術は、私を傷付けることすら出来ない! もう私の力はお前を超えている!』


勝ち誇るようにサマエルは嗤った。


『…君の努力を否定するつもりは無い。どんな形であれ、君は誰よりも過酷な修行を望み、犠牲を払うことで信仰を強めていった』


カナンは恐ろしく冷静な目で、サマエルの眼を見た。


『だが、多くの者の夢を壊す君の『理想』を、認めることだけは絶対に出来ない!』


『はは…ギャハハハハ! 認めない? 認めないだと? そんな上品な言葉を今更吐くな。お前はただ、私が憎いだけなのだろう?』


サマエルは嗤いながら、カナンの顔の下に隠れた感情を見抜く。


冷静を取り繕った仮面に隠された激情を暴く。


『全て死んだ。お前の弟子は、この私が殺し尽した! どいつもこいつも神だの救いだの、と鬱陶しかったですが、結局のところ神は彼らを救わなかった!』


『…ッ!』


『ああ、アンナは特に滑稽でしたねェ。神への救いを求めながら悪魔に変えられ、そうと知らぬ仲間に殺されるなんて! ギャハハハハ!』


『黙れ!』


憤怒の形相でカナンは叫んだ。


神の代理、神の慈悲と称えられた聖人の姿は既にどこにも無かった。


在るのは仲間を殺されて怒り狂う、ただの人間だった。


『…ぐっ…!』


激怒するカナンは突然、苦しそうに胸を抑えた。


『ギャハハハハ! 掛かった! 遂に掛かったなァ!』


サマエルは歓喜しながら叫ぶ。


弟子を殺され、サマエルにその死を嗤われ、カナンは初めて人を憎んだ。


憤怒のサマエルを、憎んでしまった。


その怒りは、サマエルの悪法によって呪いに変わる。


カナンを悪魔へと変える呪いに。


『私が百年、お前を殺さなかった理由はコレですよ! お前を、神に選ばれたお前を! 悪魔へと堕落させることこそが我が願望! 我が復讐!』


『ぐ…あ、ああ…!』


『抗っても無駄! コレは私の憤怒では無く、お前自身の憤怒だ! お前が私を憎む限り、呪いは永遠に解けることは無い!』


もう全て手遅れだ。


何が起こっても、もうカナンは悪魔へ堕ちる。


勝利を確信して、嘲笑を浮かべるサマエル。


『…悪法』


『………………何?』


青白い粒子がカナンから放たれ、サマエルの左腕を掠める。


瞬間、サマエルの左肩から先が宙を舞った。


『あ? ああああああああァ!?』


切り落とされた左腕を見て、サマエルは絶叫する。


血を噴き出す肩を抑えながら、カナンを睨んだ。


『お前、どうして悪法を…!』


『…やはり、悪法なら通じるようだね』


苦し気に顔を歪めながらも、カナンは不敵な笑みを浮かべた。


悪法に蝕まれていると言うのに、まるで勝機を掴んだかのような希望に満ちた顔だった。


『ま、さか…! その為に、わざと…!』


サマエルに法術は通用しない。


だから、カナンはサマエルにも通用する悪法を手に入れる為に…自ら悪魔へと堕ちたのだ。


もう二度と、人間には戻れないことを理解しながら。


『ハハハ! 面白い! お前の不慣れな悪法が私を殺すのが先か! お前が人の心を失うのが先か! 勝負と行きましょうか!』








「苦肉の策とは言え、我ながら無理をしたものだ」


セーレはかつて自分が行ったことを思い出し、苦笑する。


サマエルを倒すには、同じ悪魔になるしか手は無いと思った。


故に敢えてサマエルの罠に嵌まり、自ら悪魔と化した。


人の心を失う前にサマエルを倒し、まだ理性が残っている内に自害する為。


結果は、大失敗。


サマエルを殺し切ることも出来ず、自ら命を絶つ余裕も無かった。


「カナ、ン…!」


「久しぶり、と言っておこうか?」


アンドラスへ不敵な笑みを向けたセーレの姿が光に包まれる。


光の王冠とマントを具現化したその姿は、神々しさすら感じられた。


表情が、雰囲気が、明らかにセーレとは違う。


先程までの記憶喪失だった時とも異なる。


「セーレが、本当に…カナン、様?」


「様なんて付けるなよ、水臭い。俺と貴様の仲じゃないか、契約者様」


動揺するマナが可笑しいのか、子供のように笑いながらセーレは言う。


雰囲気が変わっても、その口調も態度もセーレのままだ。


カナンとしての記憶を取り戻しても、セーレとしての記憶も残ったままらしい。


「聖女様達も聞きたいことは山ほどあるだろうし、俺も言うべきことが山ほどあるのだが…」


「カナン…! 貴様、よくも…!」


「…彼女の相手が先らしい。少し待っていて貰えるか」


怒り狂うアンドラスを冷静な目で見つめながら、セーレは一歩前に出た。


同胞だと思っていたセーレがカナンだったこと、


今までカナンと気付かずに接してきたこと、


その屈辱に顔を歪めたアンドラスが、感情のままに襲い掛かる。


「さて、どれを使おうか。久しぶりだから少し迷うな」


どこまでも緊張感の無い様子でセーレは、手を軽く振るう。


それに合わせて虚空に光の文字が描かれていき、消えていく。


「コレは違う。コレは…少し威力が強すぎるな。流石に故郷の地形を変えるのは忍びない」


ブツブツと呟きながら、何やら唸ったり首を傾げたりするセーレ。


そうしている間にも、黒い翼を広げたアンドラスは矢のような速度で迫る。


「うん。やっぱり、コレが良いか…『十戒デカローグ』」


パチン、とセーレが指を鳴らすと同時に、セーレの前に巨大な石板が出現した。


神々しく光り輝く石板は、外敵から身を護る盾のように悠然と佇む。


「障壁か…!」


「いや、コレは封印だ」


空中で動きを止めたアンドラスの四方を囲むように、更に三つの石板が出現する。


「くっ、こんな物!」


それを突破しようとアンドラスは魔弾を放つが、光の石板はびくともしない。


傷一つ付かないどころか、放つ光によってアンドラスの力を削ぎ落としていく。


「こんな、こんな物で、私が!」


アンドラスは憤怒に顔を歪ませる。


認めない。


サマエルに敵対するカナンの存在を。


サマエルを四百年も封印したこの男を。


あの時、父親サマエルを奪われた苦しみと悲しみを、この男に思い知らせてやる。


「カナン!」


自身の命すら削り、アンドラスはその爪を振り上げた。


魔性を込めた黒い爪は遂に石板に亀裂を入れ、小さな穴を空ける。


例え、道具としか見られていなくても父親は父親なのだ。


「ッ!」


もし、この手でカナンを殺せば、サマエルはアンドラスを見てくれるかも知れない。


道具としてではなく、家族として見てくれるかも知れない。


この胸に燻ぶる嫉妬心を癒すことが出来るかも知れない。


「…言った筈だ。アンドラス」


その過去か心を読んだのか、少しだけ同情するような眼でセーレは言った。


「戒めは『十』だ」


瞬間、残る六つの石板が出現し、アンドラスを完全に幽閉した。

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