第百話
「終わった、か」
六方を光の石板に塞がれ、アンドラスは完全に幽閉された。
宙に浮かぶ石棺を眺めながら、セーレは安堵の息を吐く。
この封印は敵を殺す為の物では無いが、神の慈悲と同じ『力を奪う性質』を持つ。
五分も封印されていれば、アンドラスは全ての力を失うだろう。
「…あの」
「ん? ああ、そうだったな」
マナに声を掛けられて、セーレは納得したように頷く。
今まで悪魔だと思っていた相手が、自分達の宗教の象徴的存在だったのだ。
何から聞けば良いのか、とマナは目を泳がせていた。
「そう緊張するな。記憶が戻ったとは言え、俺は俺だ。歴史に語られるカナン様ほど、聖人臭い性格はしていないつもりだよ」
そう言って、ニヤリと悪い顔で笑う様子は以前と変わらなかった。
何となく、それに安心してマナは笑みを浮かべる。
「それと悪いな、聖女様。恐らく、貴様が権能を使えなくなっているのは俺のせいだ」
「え? どう言う意味?」
「元々貴様の権能は俺の物だからな。俺が記憶を取り戻せば、俺の方に戻る」
言われてみれば、マナが権能が使えなくなったのはセーレがいなくなってからだった。
サマエルの一撃が原因か、他の原因があったのかは不明だが、セーレがエノクに転移した時には既に記憶喪失となっていた。
その時からカナンとしての記憶も取り戻しつつあったのだとしたら、マナの持つ権能がセーレの下へ返されていても不思議では無い。
『神の慈悲』はカナンから継承した権能だが、そのカナンが生きていたのだから。
「たっく、俺も間の悪い奴だよな。本当に、今更カナンの記憶を取り戻すなんて」
「セーレ?」
「…もう少し早く記憶を取り戻していれば『あの子』の苦労を労えたかも知れないのに」
後悔を滲ませながらそう口にするセーレは、カナンの口調に戻っていた。
あの子、とは恐らくヴェラのことだろう。
ヴェラは初めて会った時からずっとセーレがカナンであることに気付いていたのだ。
四百年もの間、カナンを想い続け、心から再会を喜んでいた。
例え、セーレがその事実を何も覚えていないとしても…
「………」
一言、言ってやりたかった。
今までご苦労だった、と。
今までよく聖都を護り続けてくれた、と。
「後悔なんて、俺らしくも無いか」
フッと自嘲気味に笑って、セーレは身に纏っていた光の王冠とマントを消した。
「それで? そこの小娘は俺に何か言いたいことでもあるんじゃないか?」
「!?」
チラッと視線を向けた先で、青い顔をしたセシールが飛び上がった。
カタカタと震えながら、ゆっくりとセーレの方を見る。
「あ、あのカナン様? お、お許し下さい! 今まで、無礼な真似を…!」
「…はぁ」
平服するセシールを見て、セーレは疲れたようにため息をついた。
「…まあ、そう言う態度を取るのも分からなくはない。自分で言うの何だが、ケイナン教徒にとっては僕は神の次に尊い存在だからな………自分で言うの何だが」
そんな風に崇められるのが嫌いなのか、心底嫌そうにそう言うセーレ。
トントンとこめかみを指で叩いた後、真剣な表情を浮かべる。
「良いでしょう。信者セシール=トリステス。汝の信仰に曇りが無いと言うのなら、我が前に跪きなさい。神の代理たるこの僕が汝の罪を裁きましょう」
「は、はい…!」
カナン口調で仰々しく言うセーレに畏れながら、セシールは懺悔するように跪く。
「顔をあげよ」
「はい…」
セーレの声に、跪いたまま顔だけ上げるセシール。
どんな裁きを受けるのか、と顔が青ざめていた。
緊張するセシールの顔へ、セーレはゆっくりと手を伸ばす。
「では、罰を与えましょう………いい加減、うざいからその言葉遣いを止めやがれ!」
バチーン、と痛そうな音がセシールのデコから響いた。
「あああああああァー! 額が割れるー! カナン様が、カナン様が私にデコピンをー!」
赤くなった額を抑えて絶叫するセシール。
相当痛いのか、目に涙すら浮かべて地面を転がっている。
「カナン様じゃねえ! 俺はセーレだ!」
「う、ううう…!」
「まだ言うつもりなら、もう一度俺のゴットフィンガーが唸るぞ」
「ひィ…!」
怯えたように額を隠し、セーレから距離を取るセシール。
それを眺めながらセーレは息を吐く。
セシールの気持ちも分からないことも無いが、急に態度を変えられるのも気分が悪い。
元々カナン時代から、権力を振るうのは嫌いなのだ。
「神の下、人は皆平等だ。半魔である貴様も、神の代理と呼ばれた僕も、人間の女から生まれたことには変わりない。そこに何の違いがある?」
「…セーレ」
「劣等感も優越感も抱く必要は無い。自分には無い物を他人が持っていたからと言って、それが何だと言うのか」
少しだけ真面目な口調になり、セーレはセシールを諭す。
「生まれた瞬間から、生命には価値がある。その人生には理由がある。それ以上、何を望むと言うのか」
「………」
「…少し説教臭くなってしまったか? カナンの記憶の影響かもな」
ふっ、と苦笑しながらセーレはそう言った。
それは生命には価値が無い、と言ったサマエルとは正反対の考え。
神が人を救わない理由を悲観的に捉えたサマエルとは異なり、それを好意的に受け止めた。
楽観主義とも言える、底抜けのお人好し。性善説論者。
そのカナンとしての人格は、セーレの中で確かに生きている。
「…まだやる気か」
「え?」
唐突に何かを呟いたセーレに、マナは首を傾げる。
セーレの視線の先には、宙に浮かぶ石棺があった。
バキバキ、と音を発ててそれに亀裂が走る。
「まさか、まだ…!」
「やめておいた方が良い。アンドラス。これ以上無理をすれば、貴様は死ぬ」
石棺に空いた小さな穴から、アンドラスの爪が飛び出す。
その手は、焼け爛れてボロボロだった。
「死など、初めから恐れていない…!」
アンドラスは血を吐くように、そう叫ぶ。
「私が死ぬことなんて、初めから決まっている! 役目を終え、サマエル様の為に死ねるのなら本望!」
「…そこまで」
何がそこまでアンドラスを駆り立てるのか。
命すら投げ打って、サマエルに尽くそうとするのか。
「…ただ一度。ただ一度でも、私をサマエル様が認めてくれたなら! 私の人生に価値はあった! それで私は十分なのよ!」
歪んでいるが、それは親子の情だ。
逸れた子が、親を求めるような純粋な感情だ。
たった一度も、子として見られなかったアンドラスの唯一の願いだ。
サマエルに『娘』と呼んで欲しい。
自分が何者なのか、教えて欲しい。
「が、あああああああ!」
絶叫しながら、強引に石棺から脱出する。
その身体は満身創痍だった。
それでも、目は闘志を捨てずにセーレを睨んでいる。
例え、刺し違えてでもこの手で殺す、と。
「…もういい」
その時、アンドラスの前に光の陣が出現した。
現れたのは、アンドラスが求めてやまない人物。
心から敬愛する父親。
「サマエル、様…?」
何故ここに? と言う疑問の後に歓喜が浮かぶ。
いつか考えたことを思い出す。
アンドラスが殺されそうになった時、サマエルは助けてくれるのか。
娘を護る為に、命を賭けてくれるのか。
それは、正しかった。
(サマエル様が、私を助けに来てくれた…! 私は、私は娘と認められていた…!)
歓喜の表情を浮かべるアンドラスへ、サマエルは労う様に手を伸ばした。
その手を掴もうと、アンドラスも手を伸ばす。
「お前はもう不要だ。アンドラス」
「…………え?」
ズブリ、とサマエルの腕がアンドラスの胸を貫いた。
心臓を潰される音と共に、魂を奪われていく悍ましい感覚を感じる。
アンドラスの眼が、サマエルの眼を見た。
その眼は、決して娘を見る父親の眼では無く、
出来の悪い道具を見るような無機質な眼だった。
「お父………様…」
そう呼びたかった。
サマエル様、などと他人行儀な言葉では無く、
父親と呼びたかった。
そう最期に思いながら、アンドラスは跡形も無く消滅した。
「………」
アンドラスの魂を取り込んだサマエルの姿が変質する。
背中からカラスを思わせる黒い翼が生え、手首にも黒い羽毛が出現した。
以前にも増して悍ましい姿に変わったサマエルは肉体の具合を確かめ、笑みを浮かべる。
「…ふう。元々私の一部だったからか、融合は上手くいきましたね。コレで少しは力が補強できた」
この手で殺したアンドラスのことは、何も思っていないかのようにサマエルは言った。
「出来れば、マナ=グラースを手に入れて置きたかったが、四百年掛けても人類を滅ぼせない出来損ない共には、荷が重かったか」
サマエルの為に四百年、献身を続けたアンドラスに対し、サマエルはそう吐き捨てた。
自身の内から生まれた物だとしても、関係無い。
サマエルの世界には初めから、サマエル自身しかいないのだ。
「だとするなら、五百年掛けても人類を滅ぼせない貴様は何なんだろうな?」
「………カナンか。記憶を取り戻したようだな」
セーレの顔を見ながら、サマエルは憎々し気に顔を歪ませた。
「『無限の魔弾』」
そして、一切の躊躇なく最大限の魔弾を放った。
サマエルの背後に描かれる、巨大な眼球を模した不気味な陣。
それより放たれるのは、生命を毒す黒い雨。
一つの都市を容易く滅ぼす死の雨だ。
「天罰の章。第十節展開」
それを迎え撃つべく、セーレは最上級法術を展開する。
「十の使徒。十の戒め。ここに神の威光を示せ」
地に浮かぶのは、弟子達を模した十の陣。
サマエルを含む、十人の弟子によって作られた法術。
「『聖絶』」
地上から天へと放たれた浄化の光は、死の雨を雲ごと消し飛ばした。
晴れ渡る空に、サマエルは顔を憎悪に歪める。
「悪魔に堕としたと言うのに! 心も記憶も壊したと言うのに! まだお前は光の下に生きるのか、カナン=モーゼス!」
それは憎悪と同時に、嫉妬の情もあった。
アンドラスから力を回収したことで、捨てた筈の嫉妬の情まで取り戻してしまったのだ。
「…君だって、光の道を歩んでいた筈だ。それを外れたのは、君自身だよ。シモン=マグス」
「…は。ギャハハハハ! 光の道をこの私が! ただの一度でも歩んでいたと?」
狂ったように嗤いながら、サマエルは叫ぶ。
嗤っているが、心は少しも愉快では無かった。
地獄の業火のような、憎しみの炎を燃やしていた。
「私は神に選ばれた時から、ずっと地獄を歩んできた! 使徒に選ばれたその時からなァ!」
「…使徒?」
「そうだ! 私は使徒『神の悪意』。この身に宿る権能は『悪意』。悪魔を生み、地上全てを呪う神の呪詛だ!」
悪魔を創造する能力は、神から授かった権能だと、サマエルは告げた。
生まれた瞬間から、サマエルは人類の敵となることが決まっていたのだ。
「『運命』なんて物が本当にあるのだとしたら、それは全て私の敵だ! 私は憎む! 私にこんな物を押し付けた神を! この理不尽な運命を!」
善に倒される悪として生まれてしまった絶望。
神の悪しき部分だけを継承してしまった悲劇。
「…だから殺すのか、人類を」
「この世に不可能は無い! 我が手はいつか神にだって届く! 神が創り出した使徒を殺し! 候補である人間共を殺し尽し! それでも現れないと言うなら、私自身も殺そう!」
地上に存在する神の作った物を全て殺し、壊し、滅ぼす。
それが、神への反逆と信じて。
「コレは神への報復なのだ! 私は諦めない! 何十年経とうと! 何百年経とうと! 何千年経とうと! 必ず成し遂げて見せる!」
最早、その精神は神に近かった。
『復讐』と言う一つの目的に特化し過ぎた、純粋過ぎる邪神。
それ以外の事柄など何ら関心を持たず、ただ前へと突き進み続ける。
「そして、お前は真っ先に殺してやる。カナン=モーゼス! 善であることを押し付けられた者よ! 神に支配されていると知りながら、行動しない愚者よ!」
サマエルの身体が光に包まれていく。
「お前だけは、必ずこの手で…」
そう言い残し、サマエルの姿は完全に消えた。




