第九十二話
「はぁ…はぁ…コレで、五回って所か」
荒い呼吸をしながら、セーレは前を睨む。
頭部と心臓。
失った二つを再生させていくサマエルに弱った様子は見えない。
既に五度は殺している筈だが、サマエルは命が残っている限り、完全に再生できるようだ。
「ははは…! たった五度殺した程度で、もう息が上がっているのですか!」
肉体を再生させたサマエルは、セーレの奮闘を嘲笑う。
頭蓋を砕いても、心臓を潰しても、滅びることのないサマエル。
その姿を見ていると、心が折れそうになる。
(…キリが無いな)
サマエルから距離を取りながら、セーレは息を吐く。
(ちまちまと一回ずつ殺してたんじゃ、こっちの身が持たねえ)
今のところ大きなダメージは負っていないが、セーレの体力にも限界はある。
疲弊した所で法術の一つでも受ければ、一撃で消滅だ。
せめて、サマエルが大量の悪魔を解放するなど、一気に残数を減らす機会があれば話は別だが…
(とは言え、四百の悪魔なんて解放されたら、それはそれでヤバいか)
聖都に四百の悪魔が解放されれば、五分と持たずに聖都は終わる。
今の状態のサマエルでは殺し切ることが出来ず、全ての悪魔を解放されればその大群にこっちが滅ぼされてしまう。
完全にジレンマとなっていた。
(たっく、幾ら悪魔を無尽蔵に創造出来るからって、流石に作り過ぎだろ…!)
思わず泣き言を言いたくなるセーレ。
大体『悪魔を無尽蔵に生み出す能力』と言うのが意味不明だ。
使徒である筈のサマエルに、どうしてそんな能力が…
「焔の蛇よ! 神罰の化身よ! 蒙昧なる者に抱擁し、その罪を自覚させよ!」
「チッ!」
思考するセーレの前で、業火が揺らめく。
現れるのは灼熱の蛇。
人を喰らい、焼き尽くす神話の怪物だ。
「かつての戦いでは国一つ滅ぼしたことのある災厄の一つだ! 今度は止められない!」
地獄の業火を思わせる焔の蛇はその口を開き、セーレへと迫る。
先程バジリオ達に向かって放った時よりも、明らかに規模を増している。
(空間捕縛で封印を…)
セーレは粒子を集めることで封印しようとするが、燃え盛る炎は勢いを増すばかりだ。
こちらの攻撃も、何もかも呑み込んで突き進む。
「なら、丸ごと異空間に転移させて…!」
「セーレ! 私が…!」
封印することを諦めて、転移に切り替えようとしたセーレにマナが叫んだ。
光を放つマナの身体から、無数の黄金の蝶が溢れ出す。
それは意思を持つかのように宙を舞い、焔の蛇へと呑み込まれていった。
「何を…」
「権能『神の慈悲』」
瞬間、焔の蛇を内側から突き破るように光の柱が出現した。
以前、ベリアルの策略で権能を最大解放した時と同じ光。
天を貫く程の光が、焔の蛇を跡形も無く消し飛ばした。
「聖女様、いつの間にそんな力を…」
「…サロメに魔眼を掛けられた時の影響かな。前よりもずっと、扱える力が強くなっているみたい」
本人も僅かに戸惑っているように、マナは自身の手を見つめた。
『全力を出せ』とあの時のサロメはマナを洗脳した。
普段から抑え気味だった力を完全に解放した結果、マナの権能は日増しに大きくなっていた。
まるで、本来の力を取り戻しているかのように。
「何にせよ、力が強化されたのは朗報だ。奴は悪魔を無尽蔵に生み出せる。一気に攻めるぞ」
「………」
「…あ? どうした?」
「いや、ちょっと思ったんだけど…」
セーレの言葉を聞き、何かに気付いたようにマナは訝し気な顔をした。
「本当に悪魔を無尽蔵に生み出せるんなら………何で『四百』なのかな?」
無尽蔵。
その言葉が引っ掛かっていた。
幾らでも限りなく悪魔を創造できるなら、何故たった四百で満足したのだろうか?
「…確かに、そうだな」
サマエルの性格上、手を抜くと言うことは考えられない。
出来ることは全て行って、目的に突き進むのがサマエルと言う男だ。
もし、本当に悪魔を限りなく生み出せるなら人類と同数の悪魔を用意する程度は行っても不思議では無い。
それをしないと言うことは…
「奴の能力にも限界があるのか? 一度に生み出せる悪魔の数には限りがある?」
つまり、これ以上悪魔の総数が増えることは無い。
仮に増やせたとしても、何らかの代償か、時間が必要と言うことか。
マナとセーレは、少し離れた場所に佇むサマエルの方を向く。
サマエルはどこか驚いたような顔で、マナの方を見ていた。
「薄々は感じていましたが………やはり、そうか」
納得したように頷くサマエルの眼には、警戒と怒りの感情が見えた。
「お前が、カナンの権能を継承する者か」
「え…?」
サマエルの言葉に、マナは思わず呟いた。
カナンの権能を継承する者?
「神より与えられた権能は、使徒が手放せば次の人間に移る。私の復活に反応し、目覚めたのですか」
思えば、マナの権能が覚醒したのは三年前。
サマエルの分身であるベリアルと出会った時である。
カナンとサマエルは対を成す存在。
善悪のバランスを取る為、片方が復活すれば、もう片方も自然と復活する。
「あの時もそうだ。お前達は何度殺しても、姿を変えて復活し続けた。虫けらのように! 未練がましく! この世界に執着し続けた!」
かつての戦いを思い出すように、サマエルは憤怒の形相で叫んだ。
何度使徒を殺しても、必ず次の後継者が現れる。
すぐに終わると思っていた戦いも、百年以上続いてしまった。
「私が人類を滅ぼす理由はそれですよ! お前達が二度とこの世界に戻れないように! 器となる人間を一人残らず殺し潰してやる!」
それは底知れぬ憎悪だった。
五百年前から現代に至るまで続いてきた人類の全てを憎む憎悪だった。
「天罰の章。第十節、改悪」
「ッ!」
「十の使徒。十の災い。ここに神の恐怖を示せ」
サマエルの唱える呪詛と共に、空に巨大な十の陣が展開される。
赤く濁った陣に浮かぶのは、蝗や虻を模した不気味な模様だ。
それは全人類を呪う悪意の権化。
大地を焼き、文明を破壊する滅びの雨。
「くッ…! 権能『神の慈悲』」
「その光の柱で、この地獄を防ぎ切れるか。試してみると良い!『聖呪』」
マナが光の柱を展開すると同時に、空から灼熱の雨が降り注ぐ。
マナの権能は、あらゆる法術を無効化するが………出力が足りない。
地獄の業火を雨で消そうとするような物。
「防ぎ、切れない…!」
一時は拮抗したが、次第に押されていく光。
段々と光が弱くなるのに連れて、灼熱の雨が地上へ近付いてくる。
「さあ、いつまで持ちますか! 人類の未来はお前の肩に掛かっていますよ! ギャハハハハ!」
「く、うう…!」
呻きながらもマナは手を休めない。
サマエルの言うように、一瞬でも気を抜けば聖都は業火に包まれてしまう。
「もう少しだ。もう少しだけ、持ち堪えろよ」
「…セーレ?」
必死に権能を維持するマナに、セーレは静かな声で告げる。
真剣な顔で空を見上げるセーレの身体に、青白い粒子が集まっていく。
密度を増したそれは、最早群青の濃霧に近く、潮のように虚空を流れている。
「悪法『強欲』最大展開! 空間の果てまで消し飛べ!」
その瞬間、空に浮かんだ十の陣を覆い尽くす程の巨大な青い陣が浮かび上がった。
「座標補足! 超広範囲異空間転移!」
ギギギ…! と空間が軋みを上げて音を発てる。
虚空に空いた巨大な穴。
空間を喰らったかのように空いたその穴に、灼熱の雨は残らず消えていった。
「やった…!」
権能を解除し、空に変化が無いことを確認するマナ。
安堵の表情でコレを成し遂げたセーレの方を向く。
「…まさか、ここまでやるとは思いませんでしたよ」
それほど離れていない位置に、セーレはいた。
「実力の話ではありませんよ? 人間なんかの為に、ここまで全力を出すとは思わなかったのですよ」
「………」
呆れたようなサマエルの言葉に、セーレは答えない。
苦し気に顔を歪めるセーレの胸からは、サマエルの腕が生えていた。
「お陰で自分は隙だらけ。それとも、それを理解した上で人間共を護ったのですか? だとすれば、無念でしょうねェ」
セーレの身体を右腕で貫きながら、サマエルは嘲笑を浮かべる。
人類の為に命を賭けた結果、本当に命を散らした愚か者を嘲笑った。
「どうせ、お前が死んだ後に皆殺されるのですから」
「…ッ! ぐ、ああ…!」
「まだ息がありましたか。ですが、それも無駄な足掻き!」
サマエルは右腕を振るい、セーレの身体を大地に叩きつける。
胸に空いた穴から血が零れ、セーレの血が大地を汚した。
「さようなら!『聖撃』」
「待っ…!」
マナは権能を使おうとするが、先程無理をした影響か何も起こらない。
なら、代わりに盾になろうと走り出すが、遅すぎる。
力無く地面に倒れるセーレにサマエルの法術が直撃する。
「まだまだ終わりじゃないですよォ!『十連聖撃ィ』」
浄化の光を受けて宙を舞うセーレの身体に容赦なく、サマエルは追撃を撃ち込む。
「ははは…ギャハハハハ! 死ね! 死ね! 死ねェ!」
光の中にセーレの身体が消えても、サマエルは次々と聖撃を撃ち続ける。
マナの口から悲鳴が上がったが、それさえも聖撃の音にかき消された。
「あ、あああ…」
光と音の暴力が収まった時、そこには何も残っていなかった。
セーレの身体は、跡形も無く消えてしまったのだ。




