第八十二話
「さてさて! 一体どんな法術で殺されたいですか? リクエストがあれば聞いてあげますよ、セーレ!」
「そのうるせえ口を閉じろ! サマエル!」
「ギャハハハハ! 閉じる訳無いじゃないですか! ヴェロニカ=アポートルは死ぬ! コレでカナンの弟子は全て死んだ! 嬉し過ぎて、笑いが止まりませんよ!」
げらげらと醜い笑い声を上げながらサマエルは法術を放つ。
その威力はヴェラの放っていた物と同等。
否、ヴェラ以上だ。
「ほらほらほらァ! 上手く躱さないと死にますよ! 『五連聖撃ィ』」
陣を展開することも無く、手を振るだけで次々と聖撃が放たれる。
同時に五発も放たれた光の砲撃を紙一重で躱し、セーレは舌打ちをした。
「…何故だ! 悪魔の魔性と、使徒の法術は相反する力の筈だ!」
「ハッ。それを決めたのは一体誰ですか? 悪魔が法力を…『信仰』を持ってはいけないと決めたのは?」
「何だと?」
信仰、と言ったのか。
悪魔が神に祈るとでも言うのだろうか?
悪魔の王であるサマエルが?
「ああ、誤解しないで下さいね。誰も、あのクソッタレな神に信仰など捧げておりません」
冷ややかな笑みを浮かべてサマエルは訂正した。
「私の神は、私自身に他ならない」
サマエルは己の信仰の正体を語った。
「私の力は既に、悪魔の枠さえも超えている。神に匹敵する力を有しながらも、何者も救わぬ神『邪神』とでも呼ぶべき存在。私の信仰は全て邪神に捧げられているのです」
それこそがサマエルの力の根源。
ただ、己のみを信じると言うあまりにも純粋な信仰。
そして、己以外の神が生み出した全てを滅ぼすと言う悪意。
「自分に対する信仰心を、法力に変えているだと? そんなことは不可能だ…!」
「ハハ…ギャハハハハ! この世に不可能なことは何一つ無い! 不可能と言う言葉は、諦めた人間が己の自尊心を満たす為に生み出した戯言に過ぎない!」
世界を相手にしても何ら揺らぐことの無い意思。
己に不可能は無い、と自分を信じる歪んだ信仰心。
「執念こそが不可能を可能に変える! 我が意思は、神にも運命にも阻めないのだ!」
サマエルはまるで祈りを捧げる聖職者のように手を合わせた。
それに合わせて、セーレの周囲に方陣が展開する。
セーレは身を退こうとしたが、足が地面に縫い付けられたかのように動かない。
その足に、ベリアルに似た赤い蛇が絡みついていた。
「しまっ…!」
「滅び去れ『十連聖撃』」
「洗礼の章展開!」
サマエルとセーレの戦いから少し離れた場所で、マナはヴェラの治療をしていた。
全身に酷い火傷を負ったヴェラに対し、法術を展開する。
疲弊した身体を無理に動かして治療を開始した。
しかし、
「どうして…! 傷が、治らない…!」
ヴェラの身体に刻まれた傷が治ることは無かった。
全身に刻まれた火傷跡。
どれだけ手を尽くしても、それは呪いのように、ヴェラの身体を蝕んでいた。
「…う」
「ヴェラさん、動いたら駄目ですよ!」
「…もう大丈夫、だから」
ヴェラは身を起こしながら笑みを浮かべる。
無理を隠し切れていない笑みだった。
マナの治癒は少しも効いていない。
今もヴェラは苦痛に苛まれている筈なのに、マナを心配させないように笑っていた。
「セーレさんが戦っている。私も、いつまでもサボってはいられないわ」
「ッ! 無理ですよ! 手も足も、こんな酷い火傷で…!」
ヴェラの手足は殆ど炭化しているような物だ。
こうして起き上がっただけでも、想像を絶するような激痛が走っている筈。
「…それでも、私は法王だから。サボってばかりで、いい加減だったけど、自分で始めたことだから」
最期までやり遂げたい、とヴェラは告げた。
何かを決意したようなその顔に、マナは涙を流す。
「泣かないで。何も、悲しむことなんて無いんだから」
「うっ…ぐすっ…ヴェラ、さん…」
「あなた達は強い。私が思っていたよりもずっと。だからもう、私がいなくても大丈夫」
ボロボロの手でマナの頭を撫でてから、ヴェラは前を向いた。
セーレと戦うサマエルの姿を。
「クソ、が…!」
聖撃を何度も受け、セーレは既に瀕死だった。
足は両方潰され、今は大地に力無く倒れている。
一悪魔に過ぎないセーレと、全ての悪魔を創造したサマエル。
その力の差は、歴然だった。
「想像以上に、呆気ない決着でしたねェ」
倒れた身体を踏みつけながら、サマエルはセーレを見下す。
「これでも少しは期待していたんですよ? 何せ、私が手ずから作った悪魔ですからねェ」
「…ぐ」
「つまらない。ヴェロニカ=アポートルは既に死に、私に逆らう裏切り者はこの程度。四百年も待ったにしては、あまりにも呆気ない」
「舐めるな…! 『空間消却』」
踏み締められたまま、セーレは手の中に青白い渦を作り出す。
普段より小ぶりだが、コレはセーレの切り札。
空間ごと敵を消失させる一撃である。
「ふん、そんな物…」
失笑したサマエルはあろうことか、渦の中に自ら手を入れた。
空間の渦がサマエルの手を引き摺り込み、消滅させる。
「『転移』」
その寸前に、渦は消え去った。
「な、な…」
「転移が使えるのはお前だけじゃない。お前程度の悪魔に出来ることなど、私にも全て出来るのですよ」
転移とは、法術にも存在する。
ただそれを万全に使いこなす法力を持つ者がいなかっただけであり、転移はセーレの専売特許では無い。
法王すら凌駕する程の法力を持つ者ならば、セーレと同等以上に転移を使いこなすことが出来るのだ。
「万策尽きましたか? では、終わりにしましょうか」
サマエルは手を天に翳した。
「天罰の章。第十節『改悪』展開」
浮かび上がった十の陣で空が赤く染まる。
その範囲はセーレだけに留まらない。
降り注ぐ硫黄の雨は、聖都の全てを焼き尽くして余りある。
「十の使徒。十の災い。ここに神の恐怖を示せェ!」
最後の呪詛が完成する。
後は腕を振り下ろすだけで、聖都は滅ぶ。
「…あ?」
酷薄な笑みを浮かべて振り下ろそうとしたサマエルの腕が止まる。
指先から肩に向かう様に、その腕が石化していた。
「………死に損ないが」
その正体に思い至り、サマエルは冷ややかな殺意を込めてヴェラを見た。
「………」
「こんなことをしても無駄だと言うのが分からないのですか? お前はもう死ぬ。無益に! 無意味に! 無価値に死ぬんだよ!」
苛立ったように叫び、サマエルは大地を蹴る。
無事な方の腕を凶器のように振るい、ヴェラへと突き出す。
「やめろ…!」
「ギャハハハハ! 死ね!」
セーレの悲痛な声を聞きながら、サマエルは腕を振るう。
満身創痍のヴェラは躱す素振りすら見せず、その身を貫かれた。
「ぐっ…ゴホッ…!」
胸を貫かれたヴェラの口から血が零れる。
「コレでお前も聖都も終わりです。無念ですねェ」
サマエルはヴェラの顔を覗き込みながら、嗤った。
どんな使徒も、死ぬ時は無念を抱えて死んでいった。
サマエルが手にかけたカナンの弟子達も皆、そうだった。
悪魔に敗北したことを後悔し、絶望して死んだ。
ヴェラの顔がそうなる所を見てやろうと、サマエルは嘲笑していた。
「終わりでは、ありません」
しかし、ヴェラの顔には何の後悔も絶望も無かった。
「多くの命が失われた。それでも、人々は生きることを諦めなかった。賢者カナンの遺志を継ぎ、悪魔から人々を護り続けた」
最初はカナンを含め、たったの十一人だった。
その殆どが死に絶えた後、人々の中から次々と使徒が出現した。
「私の庇護など、必要無かったのです。彼らは自分の足で立つことが出来るのだから」
優れた個人など要らなかった。
人類は皆、それぞれが助け合って生きてきたのだから。
「サマエル。私は確かに死ぬ。だけど、それは決して人類の終わりではありません」
ヴェラが死んでも、きっと人類は再び立ち上がることが出来る。
ならば、ヴェラの最期の仕事は………その手助けをすることだ。
「私は、皆の力を信じています」
瞬間、ヴェラの身体が太陽のような眩い光を放った。




