第八話
「セーレさん。その仮面、素敵ですね」
同じテーブルに座り、ヴェラはニコニコと笑みを浮かべた。
席はセーレの隣であり、初対面にしては妙に距離が近い。
「それはどうもー。何なら貴様にも同じ物を被せてやろうか?」
「え、本当に? 嬉しいですわ!」
「………」
皮肉にすら満面の笑みを返され、セーレは渋い顔になる。
普段はハイテンションで押しが強いが、逆に押されるのは苦手なのかもしれない。
「こ、これが噂に聞く逆ナンと言うやつ…! 本で読んだことあります…!」
対面に座る文学少女は、目の前の二人をドキドキしながら見つめていた。
そんなマナを一瞥してから、セーレは胡散臭そうな目をヴェラに向ける。
「おい、そこの赤女」
「赤女? 赤女、赤女………あ、私のことですか?」
「他に誰がいる。貴様、法王に命じられて俺を監視しに来たんじゃないのか?」
セーレはワインを瓶から直接飲みながら、そう指摘した。
その指摘に驚いたようにヴェラは目を見開き、自分の服装を確認する。
おかしな所は見つからなかったのか、不思議そうな表情でセーレを見た。
「何で分かったんですか?」
「俺の存在が法王にバレている今、声をかけてくる見知らぬ聖職者なんて怪しさ満点だろうが」
本気で言っているのか、と呆れながらセーレはため息をつく。
「どうせ、法王かあの石頭に命じられて来たんだろう?」
「…石頭って誰のことですか?」
「多分、ガルグイユさんのことだと思います」
キョトンと首を傾げたヴェラに、マナは言い辛そうに補足した。
それを聞いたヴェラは思わず吹き出す。
「ぷっ、あはは! あははははは! 石頭って、全くその通りね! オズワルドはもう、脳味噌まで石で出来てるんじゃないかってくらい頭が硬いし! あははははは!」
「………………」
何がツボに入ったのか、大声を上げて笑うヴェラ。
お腹を抑えて苦しそうにしている姿に、セーレは仮面の下で険しい表情を浮かべる。
(あの石頭は法王の従士だった。それなりの地位にある人間をこうまでコケに出来るってことは………この女、まさか…)
薄々ヴェラの正体に感付いてきたセーレを余所に、マナは苦しそうにしているヴェラに水を渡していた。
あまり正体に関心を持っていないのか、素で気付いていないのか。
恐らく、後者だろう。
「…聞いても良いか?」
「ええ、良いですよ。その代わり…」
ビシッとヴェラはセーレの顔を指差した。
その顔を隠す奇抜な仮面を。
「私が質問に答えたら、その仮面の下を見せて下さい」
「!」
ヴェラの言葉に、セーレではなくマナが反応した。
食事の時ですら片時も外さなかった仮面。
セーレの素顔がどうなっているのか、マナも少し興味を持っていたのだ。
「ぷくく、交換条件か。良いだろう、悪魔は施しを与えることも受けることもない」
ヴェラの強かさが気に入ったのか、セーレは口元を愉悦に歪める。
先程までとは一変して楽しそうに笑いながら、セーレはヴェラを見た。
「法王は俺に何を求めている?」
「…法王様があなたに期待することなんて、一つだけだと思いますけど?」
敢えて互いに正体をはぐらかしながら言葉を交わす二人。
「俺の力………いや、七柱の情報か?」
「そんなところです。あなたには人類の味方になって欲しいのですよ」
「ハッ、苦節五百年。やっと重い腰を上げて本格的に七柱を滅ぼすつもりか」
嘲るように笑った後、セーレは突然席を立った。
話について行けずに首を傾げていたマナの後ろに立ち、その肩に手を置く。
「だが、勘違いするなよ。俺は人類の味方ではなく、契約者の味方だ。俺が貴様らの言うことを聞くがどうかはコイツ次第だ」
「え…」
「仰る通りですわ。セーレさんが味方になるかどうかは全て、マナさんの肩に掛かっています」
「ええ!? いきなり責任重大なのですが…!」
慌てたように目を泳がせるマナ。
こう言う所は年相応だな、とセーレは何となく安心する。
「それはマナさんに頑張って貰うとして、約束は果たして下さいね?」
「別に構わんが、どうして俺の顔なんかに興味があるんだ?」
「いえ、口元だけでも整ったお顔をしているのは分かりますが、どうせなら素顔を見てみたいと思うのが乙女心と言う物ですわ」
やや熱っぽい眼でセーレの顔を見ながらヴェラは言う。
どこまで本気なのか、とセーレは重いため息を吐いた。
特に躊躇うことなく、仮面を掴んで一息に外す。
「「……………」」
「どうだ?」
カラン、と取り外した仮面がテーブルに置かれる。
二人は仮面を外したセーレの顔を凝視し、それからテーブルに置かれた仮面を見た。
「どうだ、と言われても…」
困ったように笑いながらマナはセーレの顔を指差す。
未だ仮面がついたままの顔を。
「…何で、仮面の下に仮面を付けているのですか? しかも、全く同じデザインのやつを」
そう、セーレの仮面は一枚ではなかった。
取り外した仮面の下には、同じ仮面がもう一枚付けられていたのだ。
「仮面の下を見たい、と言う約束は果たしたぞ」
「あ、ああああああああ! その手があったかぁ…!」
がくり、とヴェラは本気で残念そうにテーブルに伏せる。
どれだけセーレの素顔が見たかったのだろう。
監視よりもそちらが目的だったのでは、と思う程だ。
「別にそこまで顔を隠す理由はないのだが、求められると逆らいたくなるのだよ。悪魔的にな!」
セーレは本当に容赦が無かった。
「ううううう…」
テーブルに伏したまま、悲し気に呻くヴェラ。
外見はマナより少し上くらいに見えるのに、中身はまるで子供のような女だった。
「…ケイナン教には変な奴しかいねえな」
「待って。それは私も含めてですか?」
「貴様が筆頭だ。狂信者」
「どうしても仮面の下を見せては貰えませんか?」
食事を終えてレストランを出た後、ヴェラは真剣な表情で言った。
素顔を見るまで付き纏う、とでも言いたげな姿にセーレは内心呆れる。
「別に見せても良いが、俺の仮面が二枚で打ち止めだとは限らないぞ?」
「ま、まさかの三枚重ね…!」
「それはそうと、貴様はそろそろ戻った方が良いのではないか?」
戦慄した表情を浮かべるヴェラに、セーレは大聖堂の方角を指差す。
「あの石頭がどれだけ優秀でも、法王がいつまでも不在と言うのはマズいだろう」
「ああ、それなら大丈夫。今日の分の仕事は全部片づけ………な、何の話でしょうか?」
あっさりと口を滑らせてしまい、ヴェラは慌てて誤魔化した。
自分でも苦しいと思っているのか、だらだらと冷や汗が流れている。
その苦しい言い訳をするヴェラを呆れたように見つめ、セーレは肩をすくめた。
「だから貴様が法王だと…」
「わああああああー!? ちょっとストップ!?」
急いでセーレを口を止めながら、ヴェラはマナの方を見る。
二人のやや後ろを歩いていたマナはぼんやりと噴水を眺めており、話は聞いていなかったようだ。
そのことに安堵の息を吐き、ヴェラはセーレの顔を睨む。
「お願いですから私の正体は秘密にして下さい。と言うか、何で分かったのですか?」
「アレだけヒントがあって気付かないのは、馬鹿と人を疑うことを知らない馬鹿だけだ」
セーレはマナを見ながらそう言った。
どちらにせよ馬鹿だった。
「彼女は純粋なんですよ。今時、彼女ほど清純な使徒も珍しいくらいです」
「そうだな。どこぞの法王なんかはその清純な使徒様を利用しようとするほど腹黒いしな」
「む…!」
セーレの皮肉にカチンと来たのか、ヴェラは険しい表情を浮かべる。
「言っときますけどね! 本来なら彼女は死刑なんですからね! そこを私が何とかして…」
「おい、聖女様。さっきから何を熱心に見ているんだ?」
ヴェラの発言はスルーして、セーレはマナの近くに歩いて行った。
マナの視線の先には噴水がある。
水場の中心に設置された石像の持つ瓶からは絶えず綺麗な水が流れている。
「あ、セーレさん。いや、あの石像なんですけど…」
瓶を傾けている女性像を指差し、マナは不思議そうに首を傾げた。
「アレ、ヴェラさんに似ていませんか?」
「!?」
その瞬間、ビクッとヴェラの身体が震えた。
確かに石像はヴェラとよく似ていた。
目を凝らせば、石像に刻まれた『ヴェロニカ=アポートル』と言う名前も見える。
恐らく、この自称ヴェラの本名だろう。
「…だから言ったのに。私は恥ずかしいからやめてって言ったのに…! オズワルドめェ…!」
どうやら石像を作ったのは、本人も不本意なことだったようだ。
もう話した方が早いんじゃないか、とセーレは思う。
流石にこれだけ手掛かりがあれば、馬鹿でもヴェラの正体に気付くだろう。
「あ…」
ヴェラが怯えた顔でマナの様子を窺っていると、マナが唐突に声を上げた。
いよいよ気付いたか、と思うセーレを余所にマナは少し不安そうな表情を浮かべる。
「…すいません。私、さっきのレストランに忘れ物をしたみたいです」
その言葉に、ヴェラが安堵の息を吐き、セーレが舌打ちする。
「急いで取りに行ってきますね」
「待て」
駆け足で取りに戻ろうとしていたマナをセーレは引き留めた。
不思議そうに振り返るマナへ片手を翳す。
「さっきのレストランで良いんだな? 俺が送ってやるよ」
言うが早いか、翳した手から青白い粒子が吹き出す。
「え? 良いんですか?」
「貴様とは長い契約になりそうだからな。サービスだ」
パチン、と指を鳴らす音と共にマナの姿が消える。
送った座標が間違っていないことを確認していると、小さな笑い声が聞こえた。
見ると、ヴェラが嬉しそうに笑っていた。
「…何だその、微笑ましい物を見るような眼は」
「ふふふ…いえ、嬉しいんですよ。あなたがそうであることが」
「ハン、俺の何を知っているつもりだ? 一応言っておくが、コレはアイツを堕落させる為の布石だぞ?」
「ええ、分かっていますよ。あなたはそう言う方ですから」
心底不機嫌そうに言うセーレを、楽しそうにヴェラは見ていた。




