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聖なる怪物  作者: 髪槍夜昼
幕間
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第六十九話


遠い、遠い、昔の出来事。


まだ『ケイナン教会』も『グリモアの七柱』も存在しなかった時代。


人々にとって神も悪魔も遠い存在だった。


大陸は神秘ではなく、人の王が作った法が支配しており、そこから外れた者は『異端』と呼ばれた。


『魔女だ! 悪魔に魅入られた女だ!』


『老いず、傷の治りも異様に早い。コレが人間である筈がない!』


人々は異端を憎んだ。


それが神であろうと、悪魔であろうと関係無かった。


彼らの常識で語れない存在は、例外なく攻撃対象となった。


『………』


その女は、二十を迎えた頃から歳を取らなくなった。


父や母が、弟や妹が、歳を取って老いていく中、変わらず若い容姿を保ち続けた。


彼らの常識では語れない『何か』の力を持つ異端。


常識的な人々は彼女を恐れ、隔離した。


小さな部屋に閉じ込められた彼女には、誰も近付こうとはしなかった。


彼女の家族であっても。


『………』


女は、それでも人々を憎むことはしなかった。


間違っているのは彼らではなく、自分なのだ。


普通の人間である彼らが自分を恐れるのも無理はない。


彼らは優しい。


魔女と呼ばれた自分に一切危害を加えることは無かった。


異端であると迫害しながらも、処刑することなく、住む場所を与えてくれた彼らの慈悲を信じたい。


『………』


女は誰も何も恨まなかった。


だが、孤独だけは感じていた。


この世界に自分一人しかいないような寂しさを感じていた。


毎日毎日、部屋にある小さな窓から外を眺めるだけの生活。


『…あ』


そんな日々が終わらせたのは、ある日唐突に村を訪れた一人の男。


『君がヴェロニカ=アポートルさんだね?』


不思議な男だった。


誰よりも優しく、温かい雰囲気をしているのに、その目はどこか遠くを見ていた。


『…あなたは?』


『はじめまして。僕は、カナン=モーゼスと言います』








「どうかされましたか? 法王様」


「………オズワルド?」


机でぼんやりとしていたヴェラは、いつの間にか近くに来ていたオズワルドに気付いた。


先日、聖誕祭に起こった出来事の事後処理をようやく終わらせた所だった。


悪魔の襲撃による怪我人の治療、大聖堂に空けられた大穴を塞ぐ手配、その他諸々。


睡眠を取る必要が無いとは言え、夜通し働ければ疲労を感じない訳でも無い。


「法王様。やはり、お怪我がまだ完治していないのでは?」


「…いや、そっちの方は大丈夫ですよ」


心配そうに言うオズワルドに、ヴェラは軽く手を振る。


レライハの毒矢を受けた際には死を覚悟したが、それはもう完治した。


マナの権能により、毒の進行を抑えて貰ったこともそうだが、何よりセシールのお陰だ。


「彼女には心から感謝しないといけませんね。命の恩人です」


ヴェラは罪悪感を感じているように言った。


正直な所、ヴェラは半魔であるセシールのことをあまり信用していなかった。


彼女の人格に問題があるとは微塵も思っていなかったが、彼女に流れる悪魔の血の力に溺れてしまうのでは無いかと危惧していた。


(…全く、私も年を取りましたね。耄碌しているつもりは無いのですが)


彼女は悪魔の力を完全に制御していた。


悪魔としての自分を受け入れながらも、己を見失わず、ヴェラの命を救った。


彼女は、ヴェラが思っていたよりもずっと強い人間だった。


上から目線で勝手に決め付けるなど、神にでもなったつもりか。


「…我々は神ではなく、ただの人間、か」


「何です?」


「カナン様の言葉ですよ。あの人は、一度も自分が特別だとは言わなかった」


使徒は確かに神の力を引き継いでいるが、神になった訳では無い。


単なる人間に過ぎない使徒に出来ることは限られている。


たった一人で全てを救おうとする必要なんてない。


「神様が力を一人に与えるのではなく、多くの者に分け与えたのは、人間が手を取り合えると信じたから」


それもカナンの言葉だ。


もう遥か昔のことなのに、つい昨日のことのように思い出せる。


「珍しいですね。あなたが、昔のことを話すなんて」


「そう? 聞きたければ、色々話してあげますよ?」


「当事者の語る賢者カナンの伝説ですか。興味が無いと言ったら嘘になりますね」


普段の仏頂面がどこへ行ったのか、興味津々と言った様子でオズワルドはヴェラを見た。


敬虔なケイナン教徒としては、興味深い話だったのだろう。


「伝説と言っても、七柱が現れるまでは派手なことはしていませんでしたよ。カナン様に同行して大陸中を旅したくらいで」


「旅、ですか?」


「そうです。私は九番目。カナン様の弟子の中では、後の方に入ったのですが…」








『僕らは一つの場所には留まらず、大陸中を旅しているんだ』


ヴェラが旅に同行してすぐにカナンは言った。


『僕らがいつまでも一か所に留まり、権能を振るい続ければ、人々を怯えさせてしまう。だから僕らは誰かを助けたら、すぐに次に助けを求める者の下へ向かうんだ』


カナンは、使徒と言う存在の異常性をよく理解していた。


助けられた当初は感謝する者も、次第に力を恐れるようになるだろう。


それに恒常的に助け続ければ、人間は楽を覚えて、堕落してしまう。


だからこそ、カナンは旅を続けた。


『でも、どの村でもあなたとの別れを惜しんでいましたよ?』


『大丈夫さ。彼らなら僕がいなくなっても正しく生きられる。どんな人間にだって、善性は宿っている。一から十まで他人の助けを必要とする程、人間は弱くない』


それがカナンの口癖だった。


楽観主義とも取れる程に人間の善性を信じていた。


カナンの弟子達は皆、使徒としての力を持っていたが、彼はその中でも特別だった。


カナンが権能を振るっている姿をヴェラは一度も見たことが無かった。


彼は傷付いた人を見つけ、ただ話を聞くだけだった。


それだけで、どんな人間も自身に宿る善性を自覚した。


その精神は、どこか人間とは違う物のように思えた。


彼の雰囲気は超然としていて、その鋭さには時に恐ろしさを感じるが、その眼差しはいつも優し気だった。


当初は差別される使徒を助ける目的で始めた旅だったが、彼の人柄に惹かれた使徒達は彼の弟子となり、彼のようになりたいと思うようになったのだ。


『行かせませんよ、シモン! カナン様がこんな俗な話を聞く必要は無いわ!』


『アンナさん。貴女に用は無いのです。私はカナン様に火急の要件をですね…』


『また法術を金で売ったと聞いたわよ。この魔術師め、神の奇跡は金儲けの道具ではありません!』


『ああ、もう! 布教にはお金が掛かるんですよ! 旅の路銀も、権力者達に払う通行税だって…!』


擦り切れた法衣に身を包んだ長身の女性と、両目に包帯を巻いた盲目の男性が口喧嘩している。


法衣の女性は、アンナ。


カナンの一番弟子である女性であり、見た目は若々しいがカナンとの付き合いは最も長い。


弟子の間に序列など無いが、基本的にカナンの補佐をするのは彼女であり、彼女も最も頼りにされていることを誇りに思っていた。


盲目の男性は、シモン。


カナンの十番目の弟子である男性であり、最後の弟子である彼は唯一使徒では無い。


それ故に直接的な人助けではなく、常人でも使用できる法術の開発や権力者との交渉役など、他の弟子には出来ないことでカナンの助けとなっていた。


共にカナンの信頼する弟子だが、理想主義者のアンナと現実主義者のシモンはよく衝突していた。


『二人とも、何を揉めているんだい?』


『カナン様! 報告があります。以前より問題となっていた権力者達が、通行税を引き上げるなど露骨に妨害をしてきました。つきましては、少々の賄賂を贈って心証を良くしようかと…』


『何を言っているの! 賄賂など腐敗の象徴。そんな物に手を染める訳にはいきません!』


『清濁併せ吞んでこその信仰ですよ。と言うか、このままだと本気で潰されますよ。我々』


そう言って、シモンは懐から何枚かの紙切れを取り出した。


『なので、ここは私が以前考案した免罪符と言う物を売り捌いて資金繰りを…』


『天罰覿面!』


『ああ!? 何をするのですか! 今、破いたでしょう!? 見えなくても音で分かるんですよ!』


『この背教者が! まだ奇跡を売ることを諦めていなかったのですか!』


『やめなさい、私の作品が! 目が見えないのに、頑張って書いた傑作が!?』


そのまま取っ組み合いの喧嘩を始める二人。


あまりの騒ぎに周囲の弟子達が何事かと目を向けるが、すぐにいつものことだと興味を失ったのだった。








「…賢者カナンの弟子達が、取っ組み合いの喧嘩を?」


衝撃の事実に、オズワルドは目を見開いて驚いていた。


賢者カナンの一番弟子であり、その慈悲深さから『聖母』と称される使徒アンナ。


賢者カナンの最後の弟子であり、法術や聖剣を作り出した功績から『法術の父』と称される使徒シモン。


その二人が子供のような喧嘩をする仲だったなんて、歴史家でも知るまい。


「そうそう。いつもいつも大喧嘩していてね。あの二人の仲の悪さには、カナン様も手を焼いて…」


言いながら、ヴェラは思い出すように目を細める。


「いや、そうでもなかったですね。あの人もあの人で、楽観的と言うかやや天然な所があったので、喧嘩するほど仲が良いとか言って、特に止めなかったような…」


「………」


「…ああ、もしかしたら」


あの時、慈愛に満ちた目で弟子達を見ていたカナン。


それは今、ヴェラがマナ達に向ける物に似ていた気がする。


「彼も、こんな気持ちだったのかも知れませんね」


儚げな笑みを浮かべるヴェラ。


カナンとの別れは唐突だった。


七柱が出現し、百年の戦いの中でアンナもシモンも死んだ。


最後の戦いの日、サマエルと一騎打ちを行ったカナン。


ヴェラがその場に駆け付けた時、そこには誰もいなかった。


カナンが自身の為に作った棺『聖櫃』だけがそこにあった。


だからヴェラはそれを地下に安置し、そこに聖都を築いたのだ。


彼の死を、彼が護った物を、決して忘れない為に。

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