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聖なる怪物  作者: 髪槍夜昼
三章
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第六十五話


「…やっと始まりましたか」


大聖堂に空いた穴の下から響く音を聞きながら、サロメは苦笑を浮かべた。


セーレと顔を合わせても中々戦い始めないので、焦れていた所だった。


レライハ(オセ)は本当に話が長い。


「まあ、彼の性質上、より多く言葉を交わして相手のことを知りたいと思うのは仕方の無いことですが…」


相手が今の自分より格上なら、特にその傾向が強くなる。


アレは最早目的と言うよりは、本能だ。


無意識の内に他者を観察し、その中身を写し取ろうとしている。


躊躇なく。見境なく。


「それはつまり、自分を『上書き』し続けていると言うこと。アレに『自己』なんてもう殆ど残っていないんじゃないですかね?」


あの豹の頭部を持った亜人の姿も、一時的な本体に過ぎない。


次々と蓄積されていく膨大な記憶と能力に押し潰され、いずれはあの姿も失われるだろう。


進化し続ける生物は、元の形を忘れる物だ。


「さて、私の『仕事』は終わりましたし、私の『目的』も果たせました。もうこの場に残る理由も意味も無いのですが…」


サロメは口元に笑みを浮かべ、穴を覗き込む。


人の眼では何も見えない闇が広がっているが、サロメの眼にはしっかりと二人の様子が見えていた。


「折角ですから、彼の末路を見届けるとしましょうか」








「………」


オセは聖櫃に腰かけたまま、前を見つめていた。


今までに取り込んだ全悪魔の魔性によって生み出した千の魔弾。


一発一発の威力は、セーレやアンドラスに劣るが、その数を全て打ち込まれれば七柱と言えども一溜まりもないだろう。


「…まあ、この程度で終わるとは思って無かったがな」


「ご名答だ」


オセの背後に青白い粒子が収束する。


それに気付いたオセは、振り返りもせずに聖櫃を蹴った。


「『空間切断クーペ』」


少し遅れて放たれた青白い刃は、オセではなく聖櫃の表面を切り裂いた。


外したことに舌打ちしながらも、セーレは聖櫃を見て訝し気な顔を浮かべる。


(俺の空間切断クーペでも斬れないだと? 一体何で出来てやがるんだ…)


そんなセーレの思考を読み取ったのか、オセは聖櫃へと目を向けた。


「流石は賢者カナンの作品。アンタの悪法を受けても傷一つ付かないとは」


「…今、何と言った?」


「賢者カナンがそれを作ったと言ったんだよ。アンディスサン…」


オセの声と共に、再びセーレの周囲に魔弾が形成されていく。


「チッ、またそれか…!」


セーレは聖櫃を踏み締めたまま、防御するように青白い粒子を周囲に展開する。


「『千の魔弾(ミール・バール)』」


「『空間捕縛アトラペ』」


千の矢が放たれると同時に、セーレは自身を包み込むように青白い箱を形成した。


コレは本来、空間ごと敵を捕らえる封印だが、このような使い方も出来る。


数は多くとも威力はアンドラスに遠く及ばないオセの魔弾でこの箱を破れる筈もなく、セーレの護りは全ての矢を弾いた。


「ハッ、さっきもそうやって防いだのか」


「貴様がどれだけ多くの雑魚悪魔を取り込もうと、この護りは突破出来ん」


形成していた箱を粒子に戻しながら、セーレは言った。


「聖櫃はカナンが作ったと言ったな。なら、コレの『中身』は…」


「アンタも薄々気付いているんだろう? それは棺だ。カナンの遺体が収められた棺桶だよ」


何故、ここが聖都カナンと呼ばれているのか。


それはこの聖都がカナンが没した土地だからだ。


ならば、それがここにあっても何ら不思議ではない。


賢者カナンの墓。


それこそが聖櫃の正体だ。


「聖櫃は生前のカナンが自身の遺体を悪用されないように作り出した専用の棺であると言われている。特に悪魔に暴かれることが無いように厳重に封印を施した、と」


「この中に、カナンの遺体が?」


セーレは聖櫃を改めて見下ろす。


人間にとっても悪魔にとっても伝説的な人物カナン。


その遺体がこの中に眠っていると言うのだ。


「…貴様らは、コレに何の用がある」


セーレは純粋な疑問を口にした。


カナンの遺体は、確かにケイナン教徒側からすれば価値のある物だろう。


何者にも代え難い物かも知れない。


だが、それはただの遺体だ。


生前にどれだけの力を誇っていたとしても、今は何の力も無い。


ならば、悪魔側にとっては恨みこそあれど特に欲しいと思う物では無い筈だ。


「いや? カナン本人には特に用は無い」


「何?」


「アンタは賢者カナンの最期を知っているか?」


「………」


使徒達を率いて、悪魔と百年以上戦い続けたカナンの最期はあまりにも有名だ。


七柱を率いる『憤怒のサマエル』と一騎打ちで戦った末に、共に命を落とした。


その命をかけて、悪魔側の首領を滅ぼしたのだ。


「カナンは我らが父であるサマエルをその手で滅ぼした。その武器には返り血が付き、その身体には魂の残滓が残っていることだろう」


「…まさか」


「その僅かに残ったサマエルの『痕跡』をオレが取り込めば、どうなると思う?」


ニヤリ、とオセは楽し気に笑った。


用があるのは、カナン本人ではなく彼の遺体に残ったサマエルの残滓。


レライハの遺体から残滓を取り込んだ時のように。


その残滓を取り込むことで、サマエルに『成り代わる』


「馬鹿な。不可能だ! 一体、どれだけの時間が経っていると思っている!」


サマエルの復活、と言う恐ろしい計画を聞いてセーレの顔色が変わる。


成功する筈がない。


そう言い切るが、万が一成功してしまったら?


カナンのいない今、サマエルが復活すれば人類の終焉だ。


それは同時に、悪魔の終焉でもある。


「試す前から否定するなんて傲慢だな。可能か不可能か、試した所で損は無いだろう?」


「例え成功したとして、それが何を意味するのか分かっているのか!」


「ああ、分かっているさ。身も心もサマエルとなった時、オレと言う自己は消えてなくなる」


変身とはそう言うことだ。


オセとしての過去も記憶も捨て、完全にサマエルとなる。


「だからどうした? オレと言う存在はサマエルとして世界に名を刻まれる。この世界を滅ぼす悪魔として君臨する。コレほどの名誉なことは他に無いだろう?」


そうでなければ意味が無い。


外見だけ取り繕った変装など、何の価値も無い。


外側も内側もサマエルと成り果てた時、偽者は本物になる。


「…狂っているな。自己に未練はないのか」


「無いな。今まで演じてきた『顔』もサマエルに比べれば全てゴミ同然だ」


オセは黒く染まった弓を構える。


「オレは高みを目指すんだよ! それ以外は何も要らない! 殺せ『傲慢オルグイユ』」


使徒殺しの黒い矢が放たれる。


セーレはそれを躱すこともせず、左腕で掴んだ。


「無駄だ。俺にこの矢は…」


言いかけて、セーレは言葉を止めた。


矢を掴んだ左腕が麻痺したように動かない。


目を落すと、矢を掴んだまま左腕が冷たい石に変わっていた。


「バーカ! 矢は一本だけじゃねえんだよ!」


「『虚飾ファクティス』を込めた矢か!」


自身や他者を変身させる悪法。


変身させる対象は何も生物に限らない。


応用すればヴェラの権能のように、他者を石化させることも可能だ。


「オレがその気になれば、アンタなんていつでも石像に出来たんだよ。なのにどうして、アンタと長々と会話をしていたのか分かるか?」


オセは残忍な笑みを浮かべる。


「それはアンタを『記憶』する為だ。何せ、聖櫃からその『中身』を取り出すのに、アンタの悪法が丁度良いからな」


「ッ! 貴様、この俺にも成り代わるつもりか!」


「そう言っているだろ」


オセが弓を弾く。


千を超える矢が、再び形成される。


今度はただの魔弾ではない。


触れた者を石化させる呪いが込められた呪矢だ。


「片腕が石化した状態でもう一度護りを展開できるか? 放て!」


「チッ…!」


舌打ちをしながら青白い粒子を収束させるセーレ。


瞬間、全ての矢が放たれた。








「…マズイな」


同じ頃、大聖堂前でヴェラの様子を見ていたバジリオは呟く。


マナの権能によって毒の進行は抑えられていた筈だったが、ヴェラの顔色は先程よりも悪い。


身体にも奇妙な痣が浮かび上がっている。


「理由は分からんが、呪いが明らかに強くなっている。使徒グラースの権能はあくまでも悪法を弱体化させるだけの物。このままでは持たないぞ」


「そんな…!」


マナは懸命に治療を続けながら、声を上げる。


今まで休むことなく続けていたことで額には汗が浮かんでいるが、その手はしっかりと繋いだままだ。


「………」


ヴェラはもう声を上げることすら辛いのか、何も言わずにマナを見ている。


「…どうする。法術使いをどれだけ集めても悪法に手は出せない。このままでは」


バジリオは独り言のように呟く。


そもそも悪法に対して有効な手がマナの権能のみだ。


他の人間では、例え使徒であっても何も出来ない。


バジリオは焦りから、大きく舌打ちをした。


「…ッ」


そんな二人を、セシールは唇を噛み締めながら見ていた。


この場で自分に出来ることは何もない。


自分は一体何の為にここにいるのか。


ヴェラやマナを護ることも出来ず、何の助けになることも出来ない。


レライハが正体を現した時も、ただ指を咥えて見ていただけだ。


(私に出来ることなんて…)


「法術では悪法を打ち破れない。セーレの悪法なら或いは?…いや、しかし」


その時、バジリオの呟く声が聞こえた。


法術や権能で悪法は破れない。


悪法を解けるのは、本人のみだ。


しかし、


(悪法…?)


セシールは自分の手を見つめた。


何かが引っかかる。


悪法。


ヴェラの呪いを、傷付いた肉体を癒す悪法。


そんな物を、どこかで見たような…


「ッ!」


思い至った瞬間、セシールは弾かれたようにヴェラの下へ駆け寄った。


そのまま、その手を苦しんでいるヴェラへと翳す。


「セシール?」


マナが首を傾げたが、言葉は返さなかった。


使い方など分からない。


だが、確かにこの身には流れている筈だ。


人を癒す悪法を操る『シュトリ』の血が。


「戻れ『色欲(アンピュルテ』」


口にした瞬間、セシールの身体が熱を持った。


悪魔の血を自覚し、受け入れたことでその血が、目覚める。


「ほんの少しだけで良い。傷つく前へ! 毒を浴びるその前へと、戻れ!」


セシールの手の平から黒い霧のような物が放たれる。


それはヴェラを包み込み、その能力を発揮する。


ヴェラの顔色は、みるみるうちに良くなっていった。


「やった…!」


それを確認し、セシールは安堵の息を吐いたのだった。

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