第五十二話
とある山奥にて、二つの影が戦っていた。
「チッ!」
片方は二十代前半くらいのくすんだ金髪の青年。
やや汚れた銀の鎧に身を包み、頭部以外を全て完全に覆った重装備だ。
見栄えの悪い汚れや傷はそれだけ多くの戦いを経験したことの証明であり、芸術性よりも機能性を重視した作りをしている。
仰々しい恰好の割には顔立ちは平凡で、鎧を纏っていなければその辺にいる若者と何も変わらない顔立ちをしていた。
「悪魔め!」
忌々しそうに叫び、青年は片手に握った『黄金の剣』を振るう。
その度に輝く刀身から光の刃が放たれ、木々を蒸発させていく。
「はは! はははははは! それが『聖剣』と言うやつか!」
それを容易く躱した敵対者は、大声を上げて笑った。
緑衣に身を包み、深めにフードを被って顔を隠した男の悪魔。
青年とは対照的に悪魔は軽装備で、頑丈さよりも軽さを重視した服装だ。
狩人を思わせる恰好に相応しく、その手には立派な弓を握っているが、何故か矢筒は持っていない。
「確か、人ではなく物体に権能が宿ることで生まれる神の武器だったな! 直接この眼で見るのは俺様も初めてだぞ!」
「なら、その力も味わってみろ! 権能『神の高潔』」
青年は聖剣の先端を悪魔へ向けた。
青年の身体からではなく、聖剣から直接法力が噴き出す。
「焼き払え『ジョルジュの聖剣』」
竜の吐息を思わせるような業火が、聖剣から放たれた。
それは人の域を凌駕した神の怒り。
一介の使徒に与えられた権限を越えた力に、悪魔は嬉しそうに狂笑を浮かべた。
「ははは! 素晴らしい! 相手にとって不足無しだ! 悪法『傲慢』」
悪魔が弓を弾くと同時に黒く染まった矢が形成され、青年へと放たれる。
黒い矢を飲み込んだ災厄の如き力は、周囲一帯の木々を全て焼き払った。
「ぐあー…あぁ…はしゃぎ過ぎたかー…」
一時間後、焼け野原となったそこには、瀕死の悪魔が倒れていた。
身体の半分を焼かれ、足も負傷している為に立ち上がることもままならない。
少しずつ自己修復をしているが、いつになったら歩けるようになるか分からなかった。
「全く、君も無理するね」
「お?」
聞こえた声と共に、悪魔の手足が瞬く間に治っていく。
治療ではなく、時間の逆行。
こんなことを出来る知り合いは一人しかいなかった。
「久しぶりっスね、シュトリ先輩。助かりましたよ…」
「レライハ。使徒に喧嘩を売るなとは言わないけど、相手くらい選んだら?」
「嫌ですねー。俺様が負けたみたいに…矢は打ち込みましたから、奴はちゃんと死んだ筈っスよ」
レライハと呼ばれた悪魔は、愛想の良い笑みを浮かべた。
完全に修復した手足の具合を確かめながら、立ち上がる。
「さて、それじゃあ奴の死亡確認にでも…」
「…例の計画のこと、聞いたかい?」
「ん? ああ、あのサロメとか言う人間が提案した計画っスか? アンドラスさんから聞いてますよ」
そう言うと、レライハは玩具を愉しみにする子供のような笑みを浮かべた。
それにシュトリは渋い表情を浮かべる。
「分かっているのか? 計画が成功するにせよ、失敗するにせよ…『君』は消える。この計画は君の犠牲の上で成り立つものだ」
「別に構いませんよ? 今の自分を犠牲にすることで、より良い物に変われると言うなら、躊躇う理由なんてどこにも無いでしょう?」
首を傾げながら、レライハは平然と言った。
今ある全てを犠牲にしても構わないと断言したその眼には、深い闇が見えた。
「…君がそれで幸せなら我輩に言うことは無い。後悔の無いようにね」
「ええ、先輩」
「行くよ…権能『神の慈悲』」
掛け声と共に、マナの身体から黄金の光が噴き出す。
光は蝶や雪などに変化し、ひらひらと宙を舞った。
「ふむ。悪法だけを無効化すると思ったが、多少は法力を含むのか…」
黄金の蝶に触れながら、セーレは興味深そうに言う。
触れた指先が僅かに焦げていた。
「もっと範囲は広げられないのか?」
「これ以上は駄目だよ」
マナは苦笑しながらそう答えた。
(コレが限界か。あの神の光輝とか言う権能に比べて、範囲が狭いな)
ゴモラで見たテレジアの権能を思い出しながら、セーレは思考する。
悪魔のみを滅ぼすと言った彼女の権能は、周囲一帯を包み込む程の範囲だった。
それに比べてマナの権能の範囲が狭いのは、まだマナが未熟だからか。
それとも悪法さえ無効化すると言う性質故か。
これから利用するかも知れない身としては、それを解明しておきたかった。
「思い切り展開しちゃったら、聖都中の人が迷惑するでしょう?」
「…………は?」
一瞬、マナが何を言っているかセーレには分からなかった。
聖都中の人が迷惑する?
その言い方だとまるで、
「…本気でやれば聖都中に展開することが出来るのか?」
「試したことは無いけど、多分」
「………」
甘く見ていた。
マナの潜在能力は、セーレが思っている以上に強大かも知れない。
聖都を全て覆う程の権能など、セーレは法王くらいしか知らない。
賢者カナンの弟子達に匹敵する程の才能を秘めていると言うのか。
(とは言え、コイツの立場からすればおいそれとは使えん能力だな)
何せ、マナの権能はあらゆる力を弱体化させる。
悪法のみならず、法術も権能も敵味方問わず弱めてしまう諸刃の剣。
慈悲と言えば聞こえは良いが、要は『力の剥奪』だ。
例えアンドラスの悪法を封じても、セーレ自身も悪法を封じられてしまっては意味が無い。
「まずは、権能のコントロールだな。せめて敵味方の区別くらい出来るようにしろ」
「うん。分かったよ」
そう頷き、マナは権能の訓練を開始する。
早く使いこなせるようになれば、それだけセーレやセシールを助けられる。
「あ、あの…」
サロメのことも気になるが、その為にはアンドラスやシュトリと戦うことも…
「あの、もしもし…?」
とにかく、早く権能を…
「あの!」
「うひゃあ!? な、何ですか?」
突然の大声に驚いて顔を上げると、マナの目の前に見知らぬ少女が立っていた。
歳はマナとそう変わらないだろうか、素朴な顔立ちをした少女だ。
茶色の髪を三つ編みに結び、片耳だけ花のピアスを付けている。
良くも悪くも平凡な容姿の少女であり、何もない野原のような長閑な雰囲気を持っている。
「は、はじめまして! わわ、私はクララと申します」
何やら緊張で震えながら少女、クララはそう言って手を出した。
「あの、マナさんのファンです! 握手して下さい!」
「…え?」
キョトンとしたマナは思わずそう呟いた。
視界の端で、噴き出すセーレが見えた気がした。




