第五十一話
「さて、何から教えていこうか」
場所を店の外に移してからバジリオは言った。
「コマンダン…じゃなかった。バジリオは、どんな法術が使えるんだ?」
「僕か? 僕は法術なんて殆ど使えないよ」
「え?」
いきなり不穏なことを言われ、セシールの動きが止まる。
「覚える必要が無かったからな。僕は権能の訓練だけを続けてきた」
バジリオの白金色の眼が鈍く光った。
確かに、バジリオの権能は発動が異様に速い。
それはバジリオの長年の訓練の賜物だろう。
「そんな不安そうな顔をするな。これでも数年前までは聖都で講師をしていたんだぞ」
そう言いながら、バジリオはセシールの眼を覗き込んだ。
銀貨のように無機質な視線を浴びて、セシールは思わず一歩後退る。
「ん。お前は守護よりも攻撃に才能があるな。箱舟の章はどこまで使える?」
「一応、五節までは…」
「その歳では上出来だな。法術は五節までが基本。六節以上が使えるのは高位の使徒や、一部の従士くらいだからな」
六節を超える法術は威力も高いが、それだけ消耗する法力も高い。
使えるのは余程才能のある使徒か、長い訓練を積んだ従士だけだ。
そのどちらでもないセシールに使えるとは、バジリオも思っていなかった。
「それではお前には天罰の章を伝授しようか」
「天罰の章…? それって、法力で直接悪魔を葬る『対悪法術』か?」
それはある意味では、六節以上の上位法術よりも使い手が少ない法術だった。
人や物に法力を込めるのではなく、直接悪魔にぶつけて消滅させる法術。
他の法術に比べて、特別法力を多く消費すると言う訳ではないが、使いこなすには長い実践経験が必要とされている。
習得した法術使いは、使徒と組むことなく単独で悪魔と戦えると言う。
「天罰の章を使うには何度も悪魔と実際に戦ってその性質を『理解』する必要があるんだが、お前は血の影響で悪魔への親和性が非常に強い」
「親和性…」
「要は、連中の身体の構造や弱点に深い知識を持つが故に、対悪法術に強い適性を持つと言うことだ」
そう言ってバジリオは一冊の本をセシールに投げた。
「それを読みながら試してみろ。何か間違いがあったら教えてやる」
「………」
投げ渡された物は『よく分かる法術講座』と言うタイトルの教本だった。
著者には『ヴェロニカ=アポートル』と書いてある。
「天罰の章。第一節展開…」
そう呟き、セシールは訓練を開始した。
「新しい本棚を買わないといけないね。セーレに壊されちゃったから」
聖都の店を回りながら、マナは言った。
隣を歩くセーレは流石にやり過ぎたと思っているのか、やや罰が悪そうな顔をしている。
「悪かったよ。俺が買ってやるから、もう言うな」
「寝心地の良いベッドと、枕もね!」
「…貴様、段々とイイ性格になってきたな」
マナの変化にセーレは複雑そうな表情で言った。
色々と吹っ切れたのか、マナは以前よりも遠慮がなくなったようだ。
セーレに素の自分を見せて、甘えていると言っても良い。
「ふん。何にせよ、欲に正直なのは良いことだ。どうせなら、高級品で部屋を埋め尽くしてやろうか!」
「やめて。落ち着かなくなるから、それだけは本当にやめて」
「貧乏性め。俺の契約者ならもっと…」
そう言いかけた所でセーレは視線を感じて口を閉じた。
と言うより、先程からチラチラと周囲の人間から注目を浴びている。
最初は割と顔の広いマナが注目されているのかと思ったが、どうやら視線はセーレの顔に集中しているようだった。
「…ああ、仮面を被るのを忘れていたな」
顔に手を当てたことで注目されていた理由に思い至るセーレ。
ローブの中に仕舞っていた馴染みの仮面を取り出す。
「どうして隠すの? 綺麗な顔しているのに…」
「こうして意味もなく目立つからだ。全く、俺の外見は人間と殆ど変わらないと言うのに、どうしてこうも注目を集めてしまうのか」
何故自分が注目されるのか分からない、とセーレは顔をぺたぺたと触る。
他の面々に比べ、最も人間に近いと思われる姿なのに、どうして目立ってしまうのかと。
心底不思議に思いながら、視線を遮るように仮面を被ろうとする。
「――――ッ」
その時、その人物と目が合った。
少し離れた所から二人を見ていたその女、ヴェラは目を見開いて固まっている。
何か信じられない物を見たような顔でもあるし、想像通りだったと安心したような顔でもある。
ヴェラの視線は真っ直ぐセーレの素顔に向けられていた。
「…何か用か?」
「え? あ、ヴェラさんだ」
仮面を被ったセーレが訝し気に言い、マナもそれに気付いた。
「え、あ………ひ、久しぶりですね」
どこかぎこちなく笑いながらヴェラは頭を下げた。
「久しぶりです。ヴェラさんも何か買い物ですか?」
「いや、私は仕事の息抜きに店に顔を出そうと思って…」
そう言うと、ヴェラは微妙な表情を浮かべる。
「お店、バジリオに任せてたんだけど、何だか私の時よりも繁盛しているみたいなのよね…」
「あー…」
繁盛するのは嬉しいが、それが自分のいない時であるのが、複雑。
そんな感じの表情だ。
「このままだと店長の威厳形無しだから、たまには顔を出さないと」
「と言うか、ガルグイユさんだけじゃなくてコマンダンさんとも仲良かったんですね」
セシールと違い、バジリオが古書店の店番をしていることを知らないマナは意外そうに言った。
「そうよ。彼は幼い頃から知っている気難しい子供のような…」
「幼い頃から?」
「…じゃなかった。とにかく、付き合いは長い方よ」
またボロが出そうになって、慌ててヴェラは誤魔化した。
セーレは頭の悪い物を見る様な目でヴェラを見ている。
いい加減、正体を打ち明ければ良いと思っているのだろう。
「おい、古書店主」
「何でしょうか? セーレさん」
「前々から思っていたのだが、貴様は俺とどこかで会ったことがあるのか?」
セーレは初めて会った時から気になっていたことを遂に告げた。
元々疑っていたが、先程セーレの素顔を見た時の反応で確信に至ったのだ。
「…ッ」
セーレの言葉を聞いたヴェラは、一瞬だけ悲し気な表情を浮かべ、そして苦笑いを浮かべた。
「…会ったことはありませんよ。少なくとも『あなた』は」
どこか含みのある言葉だったが、嘘は言っていないように聞こえた。
長い歴史を振り返っていたセーレは、ヴェラの言葉にそれを止める。
「…そうか。ならいい」
「ええ、良いんです」
朗らかに笑って、ヴェラは切り替えるようにマナに目を向けた。
「あ、そうだ。聞きましたよ。マナさん達、怠惰のシャックスを倒したそうね」
「は、はい。殆どセーレのお陰ですが…」
「何言っているんですか。生き残っただけで十分ですよ。あの嫉妬のアンドラスもその場に現れたと聞いた時は私、卒倒しそうになりましたよ」
お守りを渡して快く送り出してしまった身としては、気が気ではなかったのだろう。
シュトリだけならセーレがいれば問題ないと思っていたが、まさかアンドラスまでゴモラに現れるとは夢にも思わなかった。
「アンドラスにも会ったなら、もうマナさんは全ての七柱と遭遇したことになりますね」
「え? 全て、ですか?」
「はい。知ってましたか? 実は七柱って、七体では無いんですよ」
子供に勉強を教える教師のようにヴェラは人差し指を立てた。
「四百年以上前に憤怒のサマエルが賢者カナンと共に倒れ、百三十年前のゴモラでの戦いで傲慢と暴食も倒されました。だから残っているのは、色欲、嫉妬、怠惰、強欲の四体なんです」
その内、シャックスは既に倒され、セーレは現在悪魔側と敵対している。
既に七柱は半壊状態に陥っていた。
「傲慢はともかく、暴食までくたばってたのは知らなかったな。誰が殺ったんだ?」
それを聞いて意外そうにセーレは言った。
一応は兄弟の話だが、あまり興味は無さそうだった。
「残る脅威はアンドラス、ですかね」
「アンドラス…」
ヴェラに言われ、マナはあの女悪魔を思い出す。
恐ろしい力の持ち主だった。
七柱は皆、人知を超えた力を持っているがその中でも別格だ。
セーレですら、アンドラスの前では逃げることしか出来なかった。
真っ向勝負では敵わない。
付け入る隙があるとすれば、悪法を無効化するマナの権能だろう。
(…早く、コレを使いこなせるようにならないと)
改めて、マナはそう決意した。




