第五十話
「マナ様…」
宿舎に戻ってしまったマナを思いながら、セシールは聖都を歩く。
サロメによって暴露されたマナの過去。
それを知っても、セシールはマナが間違っていたとは思えないが、今は何を言っても無駄だろう。
セシールは少々口下手である自覚があった為、説得する自信も無かった。
マナ自身が自分を赦せるようになるまで、そっとしておこうと言うのがセシールの結論だった。
マナの部屋にセーレが侵入しているなど、夢にも思っていないだろう。
「…ん?」
何となく向かっていた先を見て、セシールは首を傾げた。
道を間違えたのだろうか。
セシールの目的地であった方向に、妙な人だかりが出来ている。
「店長さん! おススメの本を教えて下さーい!」
人だかりの中から明るい少女の声が聞こえた。
「僕は店長ではないと言っているだろう………この本はどうだ? あまり本を読まないように見えるお前でも読み易い恋愛小説だ」
「じゃあ、それにしまーす!」
「はいよ。本一冊で、一ドラクマと二レプタだ」
客から銀貨と銅貨を受け取り、本を手渡す少年。
包装された本を受け取った客は、嬉しそうに笑いながら店を出て行った。
「店長さん、私は?」
「だから店長ではないと…」
今度は先程より、やや年齢が上の女が言った。
店主と呼ばれた少年は、面倒臭そうに女の眼を観察する。
「お前は…意外とホラーが好きそうだな。コレはどうだ? 無人島に漂流した数名の男女が一人ずついなくなっていくホラー小説だ」
「それ面白そうねー。それにするわ」
「値段は一ドラクマだ」
そんな感じで一人ずつ客を捌いていく若き店主。
古書店の前に出来た人だかりは、全てが少年のおススメの本を買いに来た客だった。
明らかに女性客の方が多いのは、少年の容姿が整っていたからだろうか。
「ふう、やっと終わった。少し店の前を掃除でもするか…」
「…何やっているんだ?」
客が全て帰ってからセシールはその少年、バジリオに声をかけた。
箒を取り出してエプロンまで装備していたバジリオは、セシールの顔を見て一瞬固まる。
「…久しぶりだな。トリステス」
「言うほど久しぶりじゃないだろう。使徒コマンダン」
「ただのバジリオだ。もう使徒ではない」
訂正するように言って、バジリオは掃除を始めた。
今まで偉そうな態度を取っていた割に、それは妙に様になっていた。
どう言った心境の変化だろう。
「使徒をやめて、本屋に就職したのか?」
「違う。法王様に半ば無理やり店番を押し付けられたんだ」
どうやらセシールと同様に、ヴェラの正体は知っているようだ。
「ただ店で寝ているだけなのもどうかと思って、店を掃除したり、接客したりしていた」
嫌な仕事を押し付けられた割には律儀なバジリオだった。
使徒だけあって、根が真面目なのかもしれない。
「随分、繁盛していたな。この仕事向いているんじゃないか?」
「冷やかしが多かったから、一人一人観察して好みの本を勧めてやっただけだ」
バジリオの持つ類稀な観察眼の無駄遣いだった。
一目見るだけで相手の趣味趣向まで見透かす才能があるなら、もっと有意義に使えば良いと思う。
「それにしても女性客ばかりだったな………使徒コマンダンは意外と女好きか?」
何やら少々幻滅したような眼でセシールは目の前の元英雄を見た。
憧れていた人物の残念な一面を見たファンのような反応だ。
「バジリオだ。それと、僕の実年齢を忘れたのか? あんなガキに興味は無い」
「…? じゃあ、どんな女性が好みなんだ?」
特に深い意味はなく、興味本位でセシールは尋ねる。
てっきり無視されると思ったが、バジリオは少し考え込むように口元に手を当てた。
「………敢えて言うなら、五十路を超えた落ち着きのある女性か」
「うわぁ…」
「聞いておいてその反応は何だ」
ドン引きするような声に、バジリオは憮然とした表情を浮かべた。
どう見ても二十歳を超えているように見えない童顔の少年が、五十路を過ぎた女性にしか興味が無いと言えば誰でもこんな顔になる。
実年齢からすれば別にバジリオが熟女好きと言う訳ではないのだが、違和感が半端ない。
「使徒コマンダン。さっきの客にはそんなこと絶対に言うなよ」
「バジリオだって言ってんだろうが。と言うか、自分の趣味趣向を言い触らすような奇特な趣味は無い」
他人の趣味趣向は平気で見抜くくせに、とセシールは突っ込みそうになった。
そんなセシールの内心には気付かず、バジリオは箒で床を掃いている。
「…あー、先日は災難だったな」
「何だ?」
「風の噂で聞いたが、悪魔に誘拐されたそうじゃないか」
何やら言葉を選ぶように、バジリオは口を開いた。
「お前はシュトリに目を付けられているのだったな。それならこの先も、また悪魔に襲われることがあるのだろう」
チラチラとセシールの顔を窺いながら、バジリオは言葉を続ける。
「お前は法術使いとして、まだまだ未熟だ。このままでは命を落とすだろう」
「…何が言いたいんだ?」
バジリオの奇妙な態度が理解できず、セシールは首を傾げた。
それにバジリオは深いため息をつき、視線をセシールの顔に向ける。
「僕が訓練してやろうと言っているんだ」
「…私に、法術を伝授してくれると?」
セシールは驚いたように目を見開く。
使徒コマンダンから法術を学ぶ。
嬉しくないと言ったら嘘になる。
多少性格に難があるが、彼はシュバリエと呼ばれる従士達を鍛え、まとめ上げた英雄なのだ。
「何で急に…」
「…気まぐれだ。懐かしい奴に会ったせいか、少し昔のことを思い出してな」
誰かに言い訳するように、バジリオはそう言った。




