第三話
「さあ、我は働いたぞ! 貴様の願いを叶えたぞ、契約者様よ!」
「願い…? 契約者…? マナ様が…?」
困惑するセシールを無視して、セーレは呆然とするマナに駆け寄る。
妙に芝居がかった口調のまま、マナの手を取った。
「故に、その対価として貴様の魂を頂きたい」
「なっ!」
セーレの口から飛び出した言葉に、セシールは驚愕する。
慌てて二人の間に入り、マナを守るように背中に隠した。
「マナ様に何をする気だ!」
「言っただろう。対価だよ、対価…労働には報酬が。忠誠には褒賞が。人間でもそれは変わらんだろう?」
「ッ!」
「俺はその娘と売魂契約を結んだ。この町に巣食う悪魔を全て殺す。俺はその願いを叶えた。故に対価を求めて何が悪い?」
「…この、悪魔め!」
セシールはナイフを強く握り締めた。
ニヤニヤと笑みを浮かべているセーレに向かって構える。
「この町に巣食う悪魔を全て殺すと言うなら、お前も消えろ!」
握ったナイフを全て投擲するセシール。
相手はバフォメットを全滅させた強敵だが、外見だけなら人間と変わらない。
バフォメットのような硬い皮膚は持たないだろうと予想し、人体の急所を狙う。
「ほう…?」
だが、全て無駄だった。
たった一度、セーレが指を鳴らしただけで全てのナイフは跡形もなく消えた。
「くっ…!」
苦い表情を浮かべてセシールは腰のベルトに触れる。
新たなナイフを抜き取ろうとして、そこに何もないことに気付いた。
「お探し物はコレか?」
セーレの手から数本のナイフが地面に落ちる。
全て、セシールから掠め取ったナイフだった。
「ふむ。契約の抜け目を狙う屁理屈。実に悪魔的で、俺は少し感心したぞ」
緊張感のない様子でセーレは呟く。
バフォメットと戦っていた時も似たような態度だった。
セーレにとって、バフォメットもセシールも『敵』ですら無いのだろう。
「とは言え、流石に消えてやる訳にはいかん。いかんのだが、その言葉に免じて代替案を授けよう」
「…?」
「俺は魂一人分で悪魔を皆殺しにする契約を結んだ。良いか? 魂一人分だ。それは何も、そこの小娘の分でなくても構わん」
「…ッ!」
そこで、セシールは目の前の悪魔が言いたいことを理解した。
対価を受け取ればセーレは大人しく引き下がる。
対価とは魂一人分。
セシールが代わりに差し出せば、マナが差し出す必要はない。
「悪魔の中には魂の『味』に拘る者もいるが、俺は選り好みしない。貴様でも構わん」
「――――ッ」
それは正しく、悪魔の囁きだろう。
セシールが犠牲になれば、マナは救われる。
すぐにでも、セシールはそれを口にしようとした。
だが、何故か声が出なかった。
身体が意味もなく震える。
悪魔に喰われた魂がどうなるか、考えてしまう。
天上に行けなかった魂はどこへ行くのか。
安息を迎えられない魂は、どんな苦しみを味わうのか。
敬虔な聖職者故に、セシールはそれを恐れてしまう。
「わ、私を…」
鋼の信仰心を持つ信徒は存在する。
死をも恐れない使徒は存在する。
しかし、彼らが死を恐れないのは死後の世界を信じているからだ。
例えこの身が朽ち果てようとも、信仰が報われると信じているからだ。
悪魔に喰われた者にはそれが、存在しない。
悪魔の腹に収まった魂に待ち受けるのは、永劫の苦しみだけだ。
「私を、代わりに…!」
「…もういいよ。セシール」
震えながら呟くセシールの肩に、マナの手が置かれた。
優しく引っ張られ、マナが代わりに前に出る。
「ごめんね。私がもたもたしていたから、あなたを苦しめた」
「マナ、様…」
泣きそうな表情で呟くセシールから目を背け、マナはセーレを向く。
仮面で隠れているが、セーレは少し驚いているように見えた。
「ここで貴様は死ぬ訳だが………抵抗しないのか?」
「私なんかの命でセシールが、この町が救われた。それだけで十分です」
「………………」
今度こそ、セーレは言葉を失う程に驚愕した。
五百年近く生きてきたが、このような人間は見たことがなかった。
全てを救う為なら、喜んで自分の命を捨てる聖人。
自己犠牲の心。
聖女と呼ばれるに相応しい精神性。
それを見てセーレは、
強い…『嫌悪感』を抱いた。
「あ…」
ドスッとセーレの腕がマナの胸を貫く。
血は一滴も零れていない。
セーレの腕はマナの肉体をすり抜け、その魂を掴んでいる。
「ふん…」
ブチブチ…と何かを引き裂くような音と共にセーレの腕が抜き取られる。
その手の中には、青白く燃える人魂があった。
それを握り潰すように取り込むと同時に、マナの身体が力なく倒れる。
「マナ様…!」
悲鳴を上げてセシールが駆け寄るが、マナは答えない。
魂を抜き取られた人間は死ぬ訳ではない。
死ぬ訳ではないが、あらゆる知性と記憶を失う。
今まで積み重ねた人生を失うと言ってもいい。
最早、そこに転がっているのは物言わぬ肉の塊だ。
二度と人の言葉を話すことはないだろう。
(想像以上につまらない人間だったな…)
心底失望したようにセーレはため息をつく。
セーレが人間と契約を結ぶのは魂を奪う為ではない。
その人間の欲や願い、人生を愉しむ為だ。
魂など二の次。
永遠の退屈を癒すのは、愚かな人間の人生なのだ。
次の召喚は一体いつになるだろうか、と憂鬱になりながらセーレは帰還する。
「セシール…?」
その直前に、聞こえる筈のない声が聞こえた。
セーレの動きが硬直し、ゆっくりと声の主を振り返る。
そこには、泣き叫ぶセシールを宥めるマナの姿があった。
「マナ様! マナ様! 良かっ、良かったぁ…!」
「泣かないでってば、私は大丈夫だから……あれ? 何で大丈夫なんだろ?」
「うわぁぁぁぁん!」
セシールの頭を撫でるマナは、健康そのものだ。
顔色が悪い訳でも、痛みを堪えている訳でもない。
魂を奪われたと言うのに、平然としている。
「………ぷ、くく」
あまりのことに呆然としていたセーレは思わず、噴き出した。
何だ、アレは。
他人の為に魂を売る者も初めて見たが、魂を奪われて生きている者も初めて見た。
聖職者と言うのが少々気に喰わないが、興味深い。
「まだ愉しめそうだな。小娘」
口元を愉悦に歪めて、悪魔は嗤った。




