第二十三話
ソレーユ村での任務が終わった。
起こっていた事態はケイナン教会の予想とは異なる物だったが、騒動は無事解決した。
使徒によって行われた暴政。
その事実はすぐに公表され、バジリオ=コマンダンは拘束された。
法術の無断伝授はともかく、暴力で村を支配することは使徒に与えられた権限を越えている。
歴戦の英雄であっても、厳罰は免れられないとのことだった。
「………」
バジリオ=コマンダンはその決定を受けても、何一つ反論しなかった。
何らかの心境の変化でもあったのか、それとも抵抗しても無駄だと言うことを理解して諦観したのか、ただ従順に決定に従ったのだった。
「…はぁ」
聖都へ戻って数日後、マナは物憂げな表情で道を歩いていた。
どこか思い悩むような顔で、深いため息をつく。
(………)
ソレーユ村では色々なことがあり過ぎた。
マナの生まれる前から戦い続けた使徒、それに七柱の悪魔。
使徒としては未熟で、悪魔にも同じ使徒にも会ったことがなかったマナにとっては強烈な一日だった。
「…ん?」
ふとマナの視線の先に、少し古い書店が見えた。
年季の入った木の扉は半開きで、一見廃屋と勘違いする程にボロボロだった。
(こんなところに書店があったんだ…)
数少ない趣味が読書であるマナは興味を持ち、扉に手をかける。
立て付けが悪いのか半開きの扉はそれ以上、全く動かなかった為に仕方なく無理やり身体を通す。
入った途端に、古本の独特な臭いがマナの鼻を掠める。
窓を閉め切っている為に店内は薄暗いが、量はそれなりに揃っているように見えた。
「………」
乱雑に置かれた本の内、一つを取って軽く目を通すマナ。
結構な量の本を読んだことがあるマナでも、知らない本だった。
それを置いて周囲を見渡すと、どれも知らないタイトルばかりだ。
割と貴重な古書店を見つけたかもしれない、とマナは少しだけテンションが上がる。
「んむ? あれ、もしかしてお客さんですか?」
その時、店の奥からゴソゴソと物音がした。
どこか寝起きっぽい、赤い修道服を纏ったその女性にマナは見覚えがあった。
「ヴェラさん、ですか?」
「あら? そう言うあなたはマナさんじゃない。いらっしゃいませ」
寝癖の付いた赤みがかった金色の長髪を撫でながら、ヴェラはへらっと笑う。
「………副業ですか?」
「まあ、そんなところかしら。元々この店を管理していたお爺ちゃんが亡くなりまして。取り潰すのも何だからと知人の私が引き取ったんですよ」
あくび混じりにヴェラは答える。
わざわざ引き継いだ割に、あまり職務熱心ではないようだ。
「大聖堂に居たくない時とか気軽に来る為に、趣味で経営しているだけですけどねー…」
「大聖堂? ヴェラさんは大聖堂勤務の修道女なのですか?」
「あ………そ、そうなの! 法王様のお世話する従士の一人なのよ!」
うっかり余計なことまで話したヴェラの眠気が吹き飛んだ。
幸い、鈍いマナを誤魔化すことは成功したようで頷いている。
「ガルグイユさんの同僚と言うことですか?」
「そうです。今日もアレが口煩いからここへ逃げてきたのです。全く、今日の分どころか来週の分まで仕事終わらせたのに何が不満なのよ」
ブツブツと文句を口にしながら、ヴェラは適当に本を取る。
中身を流し読みした後に、ため息をついて棚に戻した。
あまり本を読むタイプではないのかもしれない。
「ところでセーレさんは一緒じゃないのですね?」
「はい。今日は私一人です」
どこか元気のないマナは普段より控えめに笑った。
それに気付いたのか、ヴェラは訝し気な表情を浮かべる。
「そう言えば、ソレーユ村ではお手柄だったみたいじゃない。オズワルドから聞きましたよ」
「………」
ヴェラの言葉に、マナはますます沈んだ表情を浮かべた。
「…ヴェラさん、使徒は人間じゃないんでしょうか?」
ぽつり、とマナはその疑問を口にした。
思わず聞き逃してしまいそうな程、力なく小さな声だった。
「バジリオ=コマンダンのこと?」
「はい。あの人は、使徒と人間は違うと言っていました。命は平等ではないと」
自分よりも遥かに長い時間を生きた使徒の言葉は、マナの心に突き刺さった。
軽い言葉ではない。
多くの部下を失い、戦い続けた末に得たバジリオの答えだ。
マナはその考えを肯定することは出来ないが、いずれそれを受け入れてしまう時が来るのだろうか。
使徒は歳を取らず、飢えず、眠らない。
神の祝福を受けた使徒は常人よりも死に辛い。
戦い続ければ、どうやっても他者と自分が違うことを理解してしまうだろう。
「確かに命は平等じゃないわね。生まれる時、死ぬ時が皆違う以上、それは仕方ないのかもしれません」
普段の子供っぽい表情を消し、落ち着いた表情でヴェラはマナを見た。
悩める後輩を導くべく、真剣な目で見つめる。
「…実はね。亡くなったこの店の店主とは、子供の頃からの知り合いだったの。まだ彼がやんちゃな子供だった時代から私はよく知っていたの」
「え…?」
マナは不思議そうな表情で首を傾げた。
「あなたも使徒だったのですか?」
「そうよ。使徒だから歳を取らない。だから今まで何人も、見送ってきました」
マナよりも遥かに長い時を生きるヴェラは、多くの死を見てきた。
悪魔に殺された者だけではない。
病気で死ぬ者、寿命で死ぬ者。
時の流れは残酷で、ヴェラはそれに取り残されていく。
「確かに、使徒と人間は違う。どちらが優れているとは言わないけど、明確に違う生き物だと言って良いでしょう」
「………」
「ですが、それの何が問題ですか?」
ヴェラは真剣な表情で問いかけた。
「使徒と人間は違う。だからと言って助け合わない理由にはならない。手を取り合わない理由にはならないでしょう?」
使徒とは人間ではないのかもしれない。
だが、だからと言って使徒が人間を見下す理由にはならない。
助け合い、手を取り合うことは間違いではない。
「あなたの考えは間違いではないのですよ」
「ヴェラさん…」
バジリオは従士は使徒が使う道具だと言う答えを出したのかもしれないが、それはバジリオの答えだ。
マナがそれに従う理由は無い。
戦い続けた末に、マナだけの答えを出せば良いのだ。
「さて! そろそろおやつの時間だわ。美味しいアップルパイがあるから一緒に食べないかしら?」
パンパンと手を叩き、子供っぽい笑みを浮かべるヴェラ。
元気そうに笑うヴェラに、マナも笑みを浮かべた。
「はい!………あ、ところで」
「?」
「ヴェラさんって、お幾つなんですか?」
マナの無邪気な疑問に、ヴェラは石のように固まった。
うっかり店主が子供だった時代から生きているとか言ったことを思い出し、冷や汗が吹き出す。
しばらく迷うように視線を泳がせ、ぼそぼそと口を動かした。
「あ、あまり女性に年齢を聞く物じゃないわよ………幾つくらいに見えるかしら?」
「店主を子供の頃から知っていて、ガルグイユさんとも親し気ですし…五十代くらいですか?」
「ご、五十代!? 実年齢からすれば若く見られているけど、何か生々しくて嫌!? 私、そんなに老けて見えるの!?」
悲鳴のような声を上げるヴェラに、マナは首を傾げていた。
「………」
同じ頃、セシールは本屋で購入した本を眺めていた。
本の内容は、グリモアの七柱についての考察だ。
五百年の歴史の中で分かった事実や推測が書かれている。
開いているページは、色欲のシュトリのページ。
先日発覚した、セシールの仇の名前だ。
「…殆ど知っていることばかりだな」
ため息交じりにセシールは呟く。
外見特徴や、性格、被害者の傾向など、既に知っている情報ばかりだった。
この本の作者は直接本人に出会った訳ではないので、仕方のないかも知れないが。
「………」
パラパラとページを捲り、今度は強欲のセーレのページを開く。
シュトリ程ではないが、人間によく干渉する悪魔であり、目撃情報も多々あると書いてあった。
基本的に大きな事件を自ら引き起こすことはなく、求められるままに他者に力を与える受動的な悪魔。
危険性は低いが、シュトリ以上に何を考えているか分からないと。
「…ふむ」
考え込むように呟いた時、セシールは急に衝撃を感じた。
本を読みながら歩いていた為、前に立っていた人物にぶつかってしまったようだ。
「あ、すいません」
そう言って頭を下げたセシールの眼に飛び込んできたのは、金髪の男だった。
年齢は二十代前半くらいだろうか、氷像を思わせる端正ながらも、冷たい印象を受ける顔。
青白い瞳は鋭く冷ややかで、全てを見透かすような知性が宿っている。
背は高く、焦げ茶色のローブに身を包んでいた。
「いや、構わん。だが、危ないから前は良く見て歩け」
「は、はい…」
王侯貴族のような雰囲気を持つ男に威圧され、セシールは口ごもる。
(この人…?)
セシールは男の顔をまじまじと見つめ、首を傾げる。
その男にどこか既視感を覚えながらも、結局セシールは思い出すことが出来なかった。




