第二十二話
「………」
首を失ったシュトリの身体が崩れ落ちる。
ゴトリ、と地に倒れる音が嫌に大きく響いた。
「ぐ…る…」
合わせるように、シュトリの悪法で復活していたバフォメットの身体がボロボロと崩れる。
黒い霧となって消滅したバフォメットを見届けてから、セーレはマナ達を方を向いた。
「百合娘。ナイスアシストだったぜ」
「百合娘と呼ぶな! と言うか、別にお前を助けた訳ではない」
照れ隠しではなく、本心からセシールはそう言った。
シュトリを倒す為に法術を使用したのであって、それが結果的にセーレを助けただけだ。
「それでも借りは借りだ。願いがあれば叶えてやるぞ?」
妙に律儀な所があるセーレはそれでは納得しないようだ。
助けられた対価に、願いを無償で叶えると提案する。
「…だったら、今回のマナ様に対する魂の徴収をやめろ」
「良いだろう。それで貸し借りは清算だ」
駄目元で言った言葉があっさりと認められ、セシールはやや驚いた顔をした。
悪魔とは何より人間の魂を求める物だが、やはりセーレは違うようだ。
言葉や取引が通用する分、シュトリよりはマシかもしれないと少しだけ評価を上げる。
「あの、シュトリさんは…?」
首を失ったシュトリを恐る恐る見つめながらマナは言った。
「死んだ。仮に生きていたとしても、あの状態では何も出来ねえ」
悪魔と言えど脳を失ってしまえば、物を考えることすら出来ない。
思考能力を持たない者に悪法は使えない。
シュトリはもう何かを考えることすら出来ない。
「どうだい、悪魔娘。憎い父親がくたばった気分は? スカッとしたか? それともあんな父親でも、死んだら悲しいか?」
「………」
「参考までに聞かせてくれないか? 肉親が死ぬってのはどんな感覚なんだ?」
「セーレ…!」
無神経なセーレに思わず憤り、マナは声を荒げた。
興味深そうに羊皮紙にメモを取っていたセーレは、逆に驚いたようにマナへ視線を向ける。
「…セーレさんこそ、シュトリさんは実の兄だったんじゃないんですか?」
「兄? アイツが? 冗談だろう?」
グシャ、とセーレは羊皮紙を握り潰した。
「悪魔に家族なんていねえよ。知性はあっても理性を持たない悪魔には、そもそも『情』を知ることは出来ても理解することは出来ねえのさ」
セーレも、知識としては家族と言う物を知っている。
親は子を守り、兄や姉は弟や妹を守る物だと知っている。
そう、知っているだけだ。
人並みの知識はあっても、実感することが出来ない。
兄のような存在を殺しても、少しも心が痛まない。
「悪魔にとって重要なのは『我』だけであり、それ以外の存在は人間であれ悪魔であれ、どうだって良いのさ」
「…それは」
幸福の価値観が歪んでいたシュトリと同じくらい、セーレの価値観も歪んでいた。
世界に自分一人だけのような、究極の個人主義。
人間とは異なる、悪魔の思考。
「それは…寂しい、ですね」
無意識の内にマナはそう零していた。
人間のみならず、悪魔にさえも心を許さない孤独。
それが五百年も続いているのかと考えると、そう思わずにはいられなかった。
「―――そう、寂しいよ。そんな寂しいことを言われると我輩、悲しくなる」
その時、声が聞こえた。
「「「ッ!」」」
バッと三人は同時にシュトリの方を見た。
首を失い、死亡していたシュトリの身体が………起き上がっている。
「ああ、新しい顔だ。男前が増したかな?」
元通りに戻った自分の顔に触れながら、シュトリは笑みを浮かべる。
その身体にはもう傷一つない。
「脳を失った状態で、どうやって悪法を…?」
「昔、口説いた女の子に眠っている間に首を切られてね。それ以来、保険をかけている」
シュトリは自慢の玩具を見せるように、首から下げていた三つの懐中時計を掲げた。
「コレには我輩の悪法が込めてある。仮に我輩が跡形もなく消滅したとしても、この時計達が我輩の時間を巻き戻してくれるのさ」
不死身に近い能力に反して、シュトリ自身の身体能力は低い。
回復の追い付かない速度で殺されてしまっては、意味が無い。
その弱点を補う為の保険と言うことだ。
「…惚けたふりして、悪知恵の回る奴だ」
「年の功である。さて、もう遊びもお開きにしようか」
控えめに笑うシュトリの身体が黒い霧に包まれる。
肉体の再生ではない。
コレは悪法ではなく、魔性。
シュトリの内側から、息が詰まるような量の魔性が噴き出す。
「変身☆」
紳士然とした恰好はそのままに露出した肌が、黒い体毛に覆われていく。
瞳孔が横長の眼や、靴を突き破る蹄は山羊の物。
頭部に捻じれた角が生えたその姿は、バフォメットによく似ていた。
「何ですか…その、姿は…」
「目に見える程の魔性…! コレが、七柱の…!」
シュトリの本当の姿、そして纏う魔性の量に二人は絶句する。
今この場に魔物が発生してもおかしくない程の汚染度。
ただこうして近くにいるだけで、意識が混濁する。
理由もなく身体が恐怖で震えた。
「ふぅ…あまりこの姿は好きではないのだがな」
コツコツ、と蹄で音を発てながらシュトリは嫌そうに言った。
山羊を思わせる不気味な黄色い眼で怯えた二人を見つめる。
「マドモアゼルを怖がらせるのは趣味ではないのだがね………セシール。我輩と共に来るんだ」
「い、嫌だ…」
震えながらも自分の意思を口に出すセシール。
その手を隣のマナが優しく包むように握った。
自分も恐怖に震えていると言うのに、セシールを勇気づけるように手をしっかりと握る。
「ほう?」
それを見て、シュトリは何やら珍しい物を見たように声を出した。
「…どうしても我輩を拒絶するか。ならば、致し方ないな」
グッとシュトリは足に力を込めた。
山羊のような黒い足が膨らみ、ミチミチと音を発てる。
「チッ…!」
まるで突進する前のようなポーズに、セーレは身構えた。
「………今日の所は、退こう。ではな」
何、とセーレが声を上げる前に地震のような揺れが村中を襲った。
クレーターが出来る程の力で大地を蹴り上げたシュトリが空高く跳躍する。
気が付いた時には、シュトリの姿はもうどこにもなかった。
「逃げた、のか…?」
シュトリが消えてから数分後、セシールは沈黙を破った。
娘であるセシールを誘拐することが目的と言っていた筈のシュトリは、何もせずに消えた。
セーレやマナ達を恐れたようには見えなかった。
むしろ、戦えばこちらが負けていた可能性も十分にある。
一体何を考えてシュトリは退いたのか。
「………」
セシールはシュトリの消えた空を見上げる。
殺せなかった。
それどころか、シュトリとまともに戦うことすら出来なかった。
殆ど戦っていたのはセーレであり、セシールは傷一つ付けることが出来なかった。
シュトリは、母の仇だ。
使徒だった母を堕落させ、その名誉を穢した怨敵だ。
半魔として生まれ落ちたセシールは教会に拾われ、復讐を果たすことだけを考えて生きてきたのだ。
(…シュトリ)
その名を忘れないように、セシールは心に刻む。
どれだけ時間をかけてでも、
いつか必ず、この手で奴を殺して見せる。
「ありがとう。アンタ達はこの村の恩人だ」
地下牢から解放された村人達は心から礼を告げた。
家族との再会に喜ぶ者を見て、マナも朗らかな笑みを浮かべる。
「皆、大きな怪我がなくて良かったです」
「あ、ああ、拷問のように辛かったが、一応『訓練』だったからな。流石に死ぬような怪我をさせられた者はいなかったよ」
「でも、あいつら、人のこと好き勝手殴りやがって…! 今度会ったら…!」
暴力で人々を支配していた仮面の男達を思い出し、村人は拳を握り締める。
無理やり家族から引き離され、厳しい訓練を強制された者の憎しみは残っていた。
「今度はねえよ。アイツらは皆死んだからな」
それに冷や水を浴びせるように、セーレは淡々と言った。
ずっとマナの隣にいたが、奇妙な風貌故に誰も声をかけずにいた男の言葉に村人達は顔を見合わせる。
「さっき村に悪魔が入り込んで、全員殺していったよ。生き残りはいねえ」
「あ、悪魔が…! まさか、また魔物か…!」
「お、落ち着いて下さい! もう悪魔は撃退しましたから!」
パニックに陥りかける村人を必死に宥めるマナ。
不安を煽るようなことを言わないで下さい、とセーレを無言で睨む。
この状況でセーレの正体を明かしたら、もっとパニックになることは確実だ。
「そうか、あいつら、死んだのか…」
パニックが収まると、今度はどこか沈んだ空気が村人達を包んだ。
力を得て暴走していたとはいえ、元は村の人間。
憎い相手と言っても、死んだことには少なからずショックを受けたようだ。
「…魔物と言えば、村に入り込んだ魔物を撃退していたのはアイツらだったな…」
「本人達は遊び半分だったのかもしれないが、村を守ってくれたことも、あったんだよな」
悲し気な声で村人は言う。
土着信仰が根付き、どこか排他的な村だが、それ故に身内に情が深いのだろう。
それを眺めて、セーレはつまらなそうに舌打ちをする。
「けっ、お人好しばかりの村だな。敵が死んで自由になった。それで良いじゃねえか」
「根が善良でない人間なんていませんよ。彼らにだって、更生する機会は与えられるべきだった」
「死んでも更生出来ねえ悪党はいる。俺みたいな奴がな」
村人には聞こえないトーンで会話する二人。
「お姉さーん!」
セーレに対して何か反論しようとしていたマナの声を遮り、明るい声が響く。
トコトコとこちらに走ってくる小さな影に、マナは笑みを浮かべた。
「エリ! もう怪我は大丈夫なの?」
「うん。お姉さんに治してもらったから! ありがとう!」
ニコニコと太陽のように笑い、エリは退屈そうにしているセーレにも目を向けた。
「仮面のお兄さんもありがとう! あの時、助けてくれて!」
「ん? あ、ああ…?」
まさか自分が声をかけられると思わなかったのか、セーレはやや戸惑ったように頷いた。
「コレ、お礼にあげる!」
そう言ってエリが差し出したのは、白い物体。
バジリオの取り巻きがつけていた、太陽を模した白い仮面だった。
「お面被ってるから、好きかと思って!」
満面の笑みを浮かべるエリは心からの善意でそれをプレゼントしたようだった。
「………」
何とも言えない微妙なデザインの太陽の面を、セーレは無言で見つめてから懐に仕舞った。
気に入ったと思ったのか、エリは嬉しそうに手を叩いた。
「有難く貰っておくよ。太陽娘」
「えへへ、大事にしてね! それじゃ、お父さんの所に戻るから!」
元気いっぱいに走り去っていくエリ。
それを見送ってから、マナは訝し気な顔でセーレを見た。
「少し、意外でした。てっきり突き返すのかと」
セーレにも子供の気持ちを汲んで、要らない物を受け取るくらいの気遣いが出来たのかと。
割と失礼なマナの言葉に、セーレは鼻を鳴らす。
「俺は強欲のセーレだぜ? 貰える物は何でも貰うさ。価値があるかどうかその後で考える」
コレは気遣いではなく、本音で言っているように聞こえた。
セーレにも人の心があったのだと思ったマナの感動は、勘違いだったようだ。
「さて、もうこの村に用はないだろう。あの白金小僧を連れて聖都に戻ろうか」
セーレはそう言うと、マナへ背を向けた。
「………」
その背を見ながら、マナはシュトリの本来の姿を思い出す。
人間のように振る舞っていたシュトリの正体は、山羊に似た怪物だった。
このセーレもそんな本性を隠しているのだろうか。
思わず、そんなことを考えてしまった。




