第二十一話
(強欲に、色欲だと…七柱の中でも上位の実力を持つ化物達じゃないか…!)
対峙する二人に怯えながらバジリオは距離を取る。
五百年間、人類の脅威であり続ける七柱が二体もこの場にいるのだ。
例え矛先がこちらに向いていなくても、余波で殺されかねない。
その危険性を理解していないのか、マナとセシールの二人はセーレのすぐ近くに立っている。
「力の差も分からない青二才め。人間が七柱に勝てる筈がないんだよ…」
自虐を含んだ表情で、バジリオは吐き捨てた。
若く未熟な使徒ほど、自分の力を過信する。
今まで大丈夫だったのだから、これからも大丈夫な筈。
自分も、仲間も、誰一人欠けることは無いと童女のように信じる。
そんな夢想家の末路は、全てを失う孤独だ。
「………」
「さて、戦いを続けるとは言ったが、三対一はこの中年には荷が重いね」
様子を伺うバジリオの視線の先で、シュトリは困ったように両手を広げた。
「そう言う訳で、助っ人を呼ぼうと思う………おいで」
パンパン、とシュトリは手を鳴らす。
その合図に反応し、黒い影が集まってくる。
黒い体毛に覆われた強靭な手足、捻じれた角を持つ怪物。
それは二本足で立つ巨大な山羊だった。
「バフォメットか…」
「四、五、六………六体も、どこに隠していたんだ」
シュトリを守るように立ち塞がる六体のバフォメットを睨みながらセシールが呟く。
これほどの巨体、村のどこに隠していても分かりそうな物だが…
「隠してなどいない。君達は既に、彼らに出会っている筈だよ」
「何…?」
シュトリの言葉に首を傾げるセシール。
主の言葉を肯定するように、バフォメットはぐるぐると唸り声を上げた。
「そいつらは、まさか…」
気配を消すことも忘れ、バジリオは呆然と呟いた。
完全に個性を失ったバフォメットだが、その声が、その眼が、バジリオに訴えかける。
変わり果てた化物の元の姿を知る。
「ほう。一目で分かるとは案外、部下思いだったようだね。意外である」
「部下って…!」
マナは思わず手で口を抑えた。
そこまで言われれば、バジリオでなくてもバフォメットの正体が分かる。
彼らは、バジリオの部下達だ。
太陽の面を付けていた男達だ。
それが今では、性別すら分からない怪物に変わり果てている。
「人間を、悪魔に作り替えたのですか…?」
知っていた筈だった。
バフォメットを従えているとは、そう言うことだ。
マナ達を襲ったバフォメットも、元は人間。
そして、そのバフォメットを作ったのもシュトリだ。
「そんなに…そんなに、人間が憎いのですか?」
殺して魂を喰らうに飽き足らず、姿や人格すら穢して怪物に変える。
自分が人間だったことすら忘れさせ、奴隷のように従える。
そこまでする必要があるのか、とマナはシュトリに訴えた。
「いや? 我輩は人間を憎んでなどいないよ」
シュトリの答えは、否定だった。
「我輩は人類を愛している。愛や幸福を求めて生き続ける人間が好きなのだよ」
「だったら、何で人間を殺すんだ…!」
「…遅かれ早かれ、人間は死ぬだろう? 人間の人生など、たかが百年。永遠に生きる我輩からすれば、刹那に等しい時間だよ」
激高するセシールを諭すように、シュトリは自身の思いを告げる。
彼自身の歪んだ愛情を伝える。
「ならば短き人生に於いて重要なのはどれだけ高い幸福を得られるかである」
所詮は短い命、重要なのは長さではなく太さであるとシュトリは考えていた。
「満ち足りた幸福。悔いなど残らない安楽な死。絶頂期に死ぬことこそ、人生最大の幸福である」
コレは善意である、とシュトリは告げた。
人間を殺すことは好意であり、善意である。
「我輩は彼らに幸福を与えた。彼らの望む物を全て与え、彼らの心を満たし、幸せにしたのだ」
「人間を幸せにしたいなら、どうして幸福にした後に命を奪う…!」
「人間の幸福は有限である。今が幸福であっても、後に不幸になっては意味が無い………恐怖と絶望の中で死ぬことこそ人生最大の不幸である」
どうせ長くは生きられないのだから、出来るだけ心を満たす。
後になって不幸になると可愛そうなので、幸福のまま安楽死させる。
シュトリには何の悪意もなかった。
心から人間に好意を抱き、心から幸福にしたいと思っている。
だが、その心が致命的に歪んでいる。
悪魔としての価値観故に、人間の幸福を望みながらも、人間の幸福が理解できていない。
楽しくも苦しくもある人生を送るくらいなら、安楽死した方が幸福。
そう本気で信じている。
「今が満たされているのなら、未来など不要である。そうだろう?」
「く、狂っている…!」
「狂っていて当然だろう。奴は悪魔だからなァ」
シュトリの思考に恐怖する二人を見て、セーレは獰猛な獣のように嗤った。
その身体が青白い粒子に包まれていく。
「とは言え、この俺までコイツと同じ変態だと思われるのは癪だがな!」
フッとセーレの姿が跡形もなく消える。
「どこに…」
「こっちだ!」
聞こえた声の方を向くと、セーレが一体のバフォメットの背後に立っていた。
気付いていないバフォメットの背を引っ掻くように触れる。
それだけでバフォメットの身体は真っ二つに裂けてしまった。
「ぐるァァァ!」
「遅い!」
仲間を殺されたバフォメット達が拳を振り上げるが、既にそこにセーレはいない。
瞬く間に移動したセーレは、また一体のバフォメットをバラバラに引き裂く。
「相変わらず速いね。我輩のバフォメットでは追い付けないようだ」
ため息をつきながら、シュトリは手にしたステッキで地面をコツコツと叩く。
「気は進まないが、こう言う手を使うしかないようだ。行け」
「ぐるァ…!」
主の命令に従い、残るバフォメット達が背から翼を生やす。
蝙蝠を思わせる黒い翼を生やしたバフォメット達は、地面を壊す勢いで蹴り、飛翔する。
翼を羽搏くバフォメット達が見つめる先は素早いセーレではなく、マナだった。
それを見て、セーレは訝し気な表情を浮かべる。
「…何のつもりだ? アイツが人質にでも使えると思ったか?」
マナが殺されても問題は無い、とセーレは以前セシールに告げている。
契約者とは言え、所詮は観察対象に過ぎない為、代わりは幾らでもいると。
「いや、君は昔から契約者を他の悪魔に殺されることを嫌っていたと思い出してね」
「それは相手が貴様だったからだ、シュトリ。貴様に契約を台無しにされたことは一度や二度じゃねえぞ」
「そうかね? では、君の可愛い契約者がバフォメット君達の殺されることはどうかな?」
シュトリはステッキで地面を叩いた。
主の合図を聞き、飛翔していたバフォメット達が一斉にマナの下へ襲い掛かる。
「箱舟の章。第三節展開!」
マナの支援を受けながら結界の法術を展開するセシール。
しかし、シュトリに強化されたバフォメットを相手するには脆い。
恐らく、二撃と耐えられずに破壊されてしまうだろう。
「俺はあんな小娘共、いつ死んでも構わねえんだ」
セーレは肩を竦める。
「…構わねえんだが、やっぱり貴様の好きにされるのは気に食わねえな!」
シュトリの方を向いたまま、セーレは手だけを二人の方へ向ける。
瞬間、その手から青白い粒子が濁流のように吹き出し、バフォメット達を呑み込んだ。
粒子に触れた先からバフォメット達は消えていき、後には何も残らなかった。
「次は貴様の番だ」
「おいおい、やめてくれ。我輩達は家族だろう?」
自身に向けられるセーレの手を見て、シュトリは宥めるように言った。
命乞いにも聞こえない言葉をセーレは鼻で笑う。
「ハッ、悪魔にそんな物がいるかよ。俺達は一人で生きて一人で死ぬ存在だ。人間とは違う」
一切の躊躇なく、セーレは悪法を放とうとする。
悪法で再生できないように、全身をバラバラに転移して殺す。
セーレの手から青白い粒子が放たれる。
「セーレ、後ろ!」
完全に勝利を確信していたセーレは、マナの声にハッとなった。
背後から感じる息遣いと獣臭さ。
「チッ…!」
振り返る前に急いで転移するセーレ。
次の瞬間、そこにバフォメットの拳が叩き込まれた。
(殺し損なったか…?………いや、違う)
先程の攻撃から漏らした敵がいたのかと思ったが、すぐに違うと否定した。
地面を殴りつけて雄叫びを上げるバフォメットの身体には傷付いた部分があった。
その傷が段々と小さくなっていく。
(最初に俺が仕留めた個体を悪法で再生したのか…!)
初めにセーレの手で真っ二つに引き裂かれたバフォメット。
それをシュトリはひそかに修復していたのだ。
(なら、もう一度殺すまで…!)
仕留め損なったと気付き、再び拳を振り上げるバフォメット。
迎え撃つように、セーレは手を構える。
「隙あり」
コツン、とセーレの背にステッキが触れた。
「何…?」
ステッキの先から黒い霧のような物が吹き出す。
「我輩の悪法で戻せる時間は最大で三百年。故に五百年近く生きるセーレを生まれる前に戻すことは出来ないが…」
黒い霧に触れたセーレの身体が変色していく。
セーレは『何か』に侵食される感覚を感じた。
「三百年かけて蓄えた魂と知性を奪うことは出来る。さあ、無垢な子供へと戻り給え」
「なっ…くそっ!」
慌ててセーレは転移しようとするが、もう遅い。
七柱の悪法からは同じ七柱であっても逃れられない。
この絶対の呪いは、かけた本人にしか解くことが出来ない。
セーレの時間は三百年戻り、記憶と知性を失う。
「む」
その時、キンと軽い音を発てて一本のナイフがシュトリの足元に突き刺さった。
銀色の刃が輝き、困惑するシュトリの顔を映し出す。
「箱舟の章。第五節展開! 対魔封印!」
聞き覚えのある言葉と共にシュトリの足元が光輝く。
地面から立ち上る光が、シュトリのステッキを弾いた。
「コレは…」
「よくやった。百合娘!」
結界に驚くシュトリに対し、セーレは笑みを浮かべて右手を振るう。
咄嗟にシュトリは躱そうとするが、遅かった。
右手から放たれた青白い粒子はシュトリの頭部を貫き、その首を刈り取った。




