第二十話
「何でこんな所に貴様がいる…」
コマンダン、と名乗っていた不審な男の正体にマナ達が言葉を失う中、セーレは不機嫌そうにシュトリを睨み付けた。
殺意が薄っすらと漏れ出しているセーレを見て、シュトリは驚きと喜びが混ざったような表情を浮かべる。
「ひょっとしてセーレか? いやー、久しぶりじゃないか! 最後に会ったのはいつだったか…百三十年前のゴモラでの戦いの時は居たかね?」
「その戦いには参加してねえよ………前に会ったのは、百五十五年前の会合の時だ」
「そうだったかな? 君は相変わらず、物覚えが良くて羨ましいね。我輩はもう歳のせいか物忘れが…」
旧友と再会したかのように笑顔で接するシュトリに対し、セーレは仇敵でも見るような眼で睨んでいる。
不愉快そうな態度を崩さないセーレは、呆然としているマナとセシールを一瞥した。
「小娘共、死にたくなければコイツには近づくな。コイツは誠実で職務熱心な俺と違って、手当たり次第に魂を喰う節操のない野郎だ」
唾でも吐きそうな表情でセーレは忠告した。
人間と対等な契約を結ぶことに拘るセーレにとって、シュトリの存在は受け入れ難い物のようだった。
「相変わらず、君は失敬だな。我輩が食べるのは我輩が愛した人間の魂だけだよ? まあ、守備範囲が少しばかり他人より広い自覚はあるがね」
「愛だの恋だの囁いて人間を口説き、自ら魂を捧げさせるなんて趣味が悪いんだよ」
「人間と契約し、夢を見せた後に地獄に叩き落とす君の方が悪趣味だと思うがね?」
友好的な表情のまま、シュトリは挑発するように呟く。
元々不機嫌そうだったセーレのこめかみに青筋が浮かんだ。
「…セーレさんとも知り合いみたいだし、やっぱり本物のシュトリなの?」
睨み合う二人の様子を伺いながら、マナは呟く。
悪魔との戦闘経験が殆どないマナでも、その名前は知っていた。
色欲のシュトリ。
七柱の中でも比較的人間によく干渉する悪魔であり、度々事件を引き起こしている。
その名の通り、色欲に溺れた性格をしており、彼に魅了された女性は連れ去られてしまう。
姿は人間に近く、それ故に騙され、行方不明となる女性が後を絶たない。
大量殺戮や破壊活動など、大きな事件は引き起こさないが、人々の生活に忍び寄って女を浚う、姿無き快楽殺人鬼。
それがマナの知る色欲のシュトリだった。
「セシール。シュトリって………セシール?」
隣のセシールに声をかけて、マナは首を傾げた。
セシールはマナの声にも気付かず、ただ驚いた顔で前を見つめていた。
その視線の先には、セーレと睨み合うシュトリの姿がある。
「…ん? おおっと、そうだった。我輩は『君』を探してこの村に来たのである」
セシールの視線に気づき、シュトリは満面の笑みを浮かべた。
セーレに気付いた時以上に嬉しそうな顔で、セシールを見つめる。
「バフォメット達に連れてくるように言ったのに、彼女達は頭が足らなくて駄目だね」
「バフォメット…?」
マナの脳裏に、セーレと出会った町での一件が過ぎる。
まるで狙ったかのようにマナとセシールの前に現れたバフォメット達。
アレはシュトリが嗾けた部下だったのだ。
「『君』がそうであるかどうか確かめる為に正体を偽らせて貰ったが、やはり我輩の予想は間違っていなかったようだ。我輩はずっと『君』を探していた」
「私、を…?」
「そう、そうだ。セシール=トリステス。使徒セシリア=トリステスの娘…」
親愛の込められた目でシュトリは言った。
「愛する我が娘よ」
「…………え?」
無意識の内に口から声が零れた。
セシールの身体が震える。
恐怖ではない。怒りだ。
驚きの表情をそのまま、憎悪へと変える。
「お前…お前が! 私の母を…!」
「…そうだ。君の母親は美人だったよ。アレほどの美女は、今までに味わったことのなかった」
怒り狂うセシールを前に、シュトリは色欲に歪んだ表情を浮かべた。
愛しい者を見るように、目を細める。
「それにしても、君は彼女によく似ている。連れ去ってしまいたいくらいに」
「ッ!」
寒気を感じたように身を抱き、セシールは一歩後退った。
「何故逃げる? 折角感動の再会を果たしたんだ。親子仲良く、共に暮らそうじゃないか」
「ふ、ふざけるな! お前に襲われたせいで! お前の子を身籠ったせいで! 私の母がどんな目に遭ったか知らないとは言わせないぞ!」
その言葉の中には、母の名誉を穢したことに対する怒りと共に、半魔と言う出自故に自分が味わった苦しみも込められていた。
セシールもずっと探していたのだ。
母を襲った仇敵の正体を。
「…ああ、それは悲しい出来事だった。彼女のことはよく理解していたつもりだったが、まさか子を身籠っていたとは思わなかった」
下手な泣き真似をしながら、シュトリは呟く。
「あの神の傀儡共に処刑されるくらいなら、我輩が連れ去っていれば良かった。全く、後悔先に絶たずとはこのことである」
まるで玩具を一つ無くした子供のように、あっさりとシュトリは言った。
恐らく、その通りなのだろう。
シュトリは全ての人間を愛しているが故に、一人には固執しない。
例え恋人が一人死んだとしても、代わりなど幾らでもいるのだから。
「お前…ッ!」
「だから今度は間違えない。我輩と共に来い、セシール。あの狭量な神の傀儡共は、いつか半魔である君に牙を剥くぞ」
「断る! 例え悪魔の血を引いていようとも、私は人間だ…!」
「そうか。では…」
呆れたように息を吐き、シュトリはセシールへと手を伸ばす。
情欲に揺れたシュトリの眼を見て、セシールは更に後退った。
その怯えた態度にすら笑みを浮かべたシュトリの手が鈍い光を放つ。
「俺を無視して話を進めるんじゃねえよ、クソシュトリ」
瞬間、シュトリの腕の肩から先が消失した。
見えない獣に食い千切られたように消えた腕を見て、シュトリは不思議そうに首を傾げる。
「…何のつもりだ? 君には関係ない話だと思うがね?」
「確かに俺はそうだが、俺の契約者様はそうでもないらしい。なあ、そうだろう?」
チラッとセーレはマナへ目を向けた。
「この悪魔娘をこんなキモ親父に明け渡したくないだろう? 俺にこのクソ野郎を殺して欲しいって願っているよな?」
「は、はい…! お願いします。セシールのことを守って下さい!」
「だそうだ。七柱の同胞と争うのは気が進まないが、大義名分を得たからには五体を引き裂いて殺しても仕方ないよな?」
気が進まない、と言いながらもセーレは獰猛な笑みを浮かべていた。
余程シュトリのことが嫌いなのか、その殺意は本物だ。
この場に於いて、セーレは悪魔側ではなく、人間側の味方をするようだった。
「…やれやれ、末弟の面倒を見るのも兄の役目と言うやつか」
シュトリは困ったように肩を竦めた。
肩から先を失ったシュトリの腕が黒い霧のような物に包まれる。
風によって霧が晴れた時には、シュトリの腕は元の状態に戻っていた。
「腕を生やした…? 悪魔には、そこまで再生能力が…」
「いや、違う。いくら悪魔でも失った手足を新しく生やすことは出来ねえ。アレはアイツ固有の能力だ」
セシールの言葉に、セーレは苛立ちながら答える。
「固有の能力…悪法、ですか?」
「正解。我輩の悪法は、色欲。どれだけの時が経とうとも、衰えず、傷付くことのない、永遠の美。老婆を美女に変え、失われた美を取り戻す力」
熱に浮かされたようにシュトリは自身の業を宣言する。
「我が悪法は『色欲』…その能力は回帰。若返りである」
スッとシュトリが自身の顔に触れる。
手が離れると、その顔は若々しい青年の顔に変化していた。
「正に、人類の希望を集約した能力だとは思わないか? 美に陰りの見えた淑女、顔に傷を負ったお嬢さん、契約を求める者は後を絶たないよ」
変化させた顔を元に戻しながら、シュトリは笑みを浮かべる。
「…まあ、生まれた時からこの姿である我輩達や覚醒した時点から歳を取らなくなる使徒達には分からない感情かな?」
「時間を、戻す…」
空間を操るセーレもそうだが、七柱の悪法はどれも人知を超えている。
若返りが本来の使い方だが、それを応用すれば腕を生やしたり、傷を癒したりできる。
マナはバフォメット達を思い出す。
一時的に完全な人間に化けていた彼女らは、恐らくシュトリの能力で人間に戻っていたのだ。
人間から悪魔へと堕ちた存在を一時的とはいえ、人間に戻すことさえ出来る。
時間を操るとはそう言うことだ。
「箱舟の章。第五節展開!」
「む…?」
「対魔封印!」
早口で叫ぶセシールの声と共に、シュトリの足元が光り輝く。
地に浮かび上がるのは光の円。
そこから天へと伸びる無数の光の糸が鳥籠のように、シュトリを覆い隠す。
「傷を戻すなら、封印術ならどうだ! どれだけの不死性を持っていても、この結界は破れないぞ…!」
「ほう。今の一瞬でこれほどの結界を作るとは、流石は我輩の娘だ」
感心したように笑みを浮かべ、シュトリは結界の出来を確かめるように触れる。
「父親として褒めてやりたい所だが、現実を教えてやるのも親の役目である」
シュトリの触れた部分から結界が黒ずむ。
鉄が腐食するかのように、その侵食は全体に広がっていき、遂には結界は完全に崩壊してしまった。
「な…」
「我輩は時を戻す。それは生物を若返らせる力だけに非ず、あらゆる存在を『生まれる前に戻す力』でもあるのだよ」
シュトリは言葉を失うセシールを見つめる。
「我輩の能力は十分に理解したかな? では、戦いを続けよう」




