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聖なる怪物  作者: 髪槍夜昼
一章
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第十一話


マナとセシールの二人は馬車を使ってソレーユ村を目指していた。


前回とは違い、今回は乗合馬車なので乗っているのはマナ達だけではない。


大きめの馬車の最前席に二人は座っていた。


「…そう言えば」


ふと思い出したように肩にかけた鞄から黒の書を取り出すマナ。


「セーレさんにはソレーユ村に向かうこと言ってないけど、大丈夫かな?」


「多分、大丈夫だと思いますよ」


心配そうなマナを安心させるようにセシールが答えた。


「あまり詳しくないですが、転移と言う物は点と点を結び、その間を自由に行き来する法術であると聞きました」


やや得意げになりながらセシールは人差し指を立てる。


セシールの知る転移法術とセーレの悪法は微妙に違うが、基本的な所は変わらないだろう。


「恐らく、その本が点。今どこにいるのか知りませんが、アイツはその本の近くにしか転移することが出来ないと思います」


「…ふむ。概ね正しいが、少し間違っているな」


推測を述べていたセシールの隣から声が聞こえた。


セシールとマナの間に空いた隙間に収まるように座る男。


すぐにその相手を理解し、セシールは露骨に嫌そうな顔をする。


「貴様は俺が本の傍にしか転移出来ないと言ったが、それは違う。俺は世界中のどこにでも転移出来る。わざわざ転移点を作る必要もない」


「では、コレは何なんだ?」


「この黒の書は目印だ。俺はどこにでも転移出来るが、貴様らの居場所が分からなければ意味が無い。要は契約者様に着けた首輪のような物だ」


「く、首輪だと…!」


まるでペットのような扱いに、セシールはますます機嫌が悪くなる。


文句を言おうと身を乗り出した所で、反対側のマナが口を開いた。


「セーレさん…」


珍しく怒ったような表情でマナは真っ直ぐセーレを見つめた。


マナが怒った所など見たことが無いセシールは驚いて口を閉じる。


逆にセーレはマナの態度に口元を愉悦に歪めた。


「何だ? ペット扱いは流石に怒ったか? 聖女様にも人並みに怒りの感情があったのか?」


マナが激情を見せることが嬉しいのか、饒舌になるセーレ。


煽るセーレの言葉に、マナは咎めるような表情で口を開く。


「…無賃乗車は、いけませんよ?」


「………………」


愉悦に歪んでいたセーレの口元が元に戻った。


そこなのか。


怒るポイントはそこだけなのか。


一体何をやったら、この娘は自分のことで怒るのか。


「…俺の馬車代。降りる時に一緒に渡しといてくれ」


「はい、分かりました!」


マナに数枚の銀貨を渡し、セーレはぐったりと座席に腰かけた。


いつか絶対に堕落させてやる、とセーレは馬車代を確認するマナを睨んだ。


「いやらしい目をマナ様に向けるな」


「いやらしくねえよ! 全然いやらしくねえよ! 俺はその手の冗談が嫌いだって昨日言ったよな!」


セシールの言葉にセーレは昨日と同じように過剰反応した。


悪魔や悪党と罵倒されることは許容できても、変態扱いだけは断固として否定する。


セーレの担当は強欲であって、色欲ではないのだ。


「お前だって昨日はよくもセクハラしてくれたな!」


「セクハラ? 俺は事実を言っただけだろうが」


「このセクハラ悪魔!」


「何だとコラ…!」


思わず本気で激怒しそうになったセーレはふと、思い留まる。


不愉快そうに口元を歪めながら、仮面の下からセシールを見つめた。


「な、何だ?」


「…実はな、悪魔には人間の寿命が分かるんだ」


「何…!」


突然の告白に、セシールは目を見開いて驚いた。


だが、すぐに頭を振って冷静になる。


「悪質な嘘をつくな! そんな能力聞いたことが無いぞ!」


「ふん。悪魔のことをどれだけ知っていると言うのだ。嘘だと言うなら今から貴様の寿命を見て…」


不機嫌そうにセシールを眺めていたセーレは不自然に言葉を止める。


急に黙ったセーレを恐れたのか、セシールは不安そうな表情を浮かべた。


「………ああ、コレは気の毒に」


「気の毒!? 今、私のことを気の毒と言ったか!?」


「さっきはすまなかったな。考えてみれば、子供の言うことにムキになり過ぎた」


「急に優しくするな怖いだろうが!? 何を見た、お前は何を見たんだ!?」


「………」


「急に沈痛な面持ちで黙るな!? わ、私はあとどれくらい生きられるんだ!?………い、いや、やっぱり聞きたくない!?」


半泣きになりながらセーレの肩を揺らすセシール。


セーレの口元が愉悦に歪んでいることに、パニックになっているセシールは気付いていない。


「従士…」


もう完全に泣きそうになっているセシールの手を、セーレは優しく握った。


「そんなの嘘に決まっているだろうが。馬鹿か」


セシールは発狂した。








「セーレさんは朝ご飯ちゃんと食べましたか?」


狂乱したセシールが静かになった後、マナはふと隣の悪魔に尋ねた。


「悪魔がそんな規則正しい生活送ると思っているのか? そもそも人間の食い物など、嗜好品と変わらん」


「…あ、魂を食べるんでしたね」


それを聞いてマナは少しだけ暗い表情になる。


普通なら人間の魂を喰らう悪魔に恐れているように見えるが、この少女が普通の感性を持っていないことをセーレは何度も思い知らされている。


何を考えているのか、と不審そうな目でマナを観察していた。


「セーレさん。もう魂は食べないで下さい」


「あ? それは無理な相談だな」


「…だと思います。それなら、お腹が空いたら私の魂を食べて良いですから」


また妙なことを言う、とセーレは呆れた。


悪魔に喰われた魂は、天国へ行けない。


悪魔の腹の中で永遠に苦しみ続けるのだ。


知らない誰かがその地獄を味わうことが、マナは耐えられないのだろう。


チラっと蹲っているセシールを見るが、反応はなかった。


この娘がこんなことを聞いて大人しくしているとは思えないので、聞こえなかったのだろう。


全く動かないので眠っているのかもしれない。


「…貴様は二つ間違えている」


「二つ?」


「一つ、俺は契約した相手からしか魂を喰わん。今までも願いを叶え、正当な対価としてしか魂を奪ったことはない」


契約者に裏切られた時や、契約者自身の願いから第三者を攻撃したことはあるが、それでも魂にまで手を出すことはなかった。


無差別に人間を殺し、魂を喰らい続ける悪魔とは違うのだ。


現在はマナと契約している為、言われるまでもなく他の人間から魂を奪うつもりはない。


「二つ、悪魔は腹が減って魂を喰うのではない。故に毎日喰らう必要はない」


悪魔には空腹の概念が無い。


人間の食べ物を喰らうこともあるが、あくまで嗜好品。


魂を喰らうのも、飢えを満たす為ではない。


「…では、何で悪魔は人間の魂を食べるのですか?」


「ケイナン教会はそんなことも教えてくれないのか?」


「…ええ、私は三年前に見出された使徒なので、まだ勉強中なんです」


無知を恥じるようにマナは顔を僅かに赤らめる。


それに呆れたように息を吐いた後、セーレは座席から立ち上がった。


「―――知性、だ」


「知性…?」


「そう。貴様と同じだよ。悪魔は学ぶ為に、知恵を付ける為に、人間の魂を喰らうのだ」


食魂行為は勉強である、とセーレは告げた。


予想外の言葉に、マナはポカンと口を開ける。


「悪魔とは本来、知性のない力の塊だ。自我すらなく、ただ契約した者の命令に従うだけの生きた道具に過ぎない」


グリモアの七柱はサマエルによって創り出されたと言われる。


無から生み出された悪性の生命体。


それが悪魔の始まりだ。


「人間の魂にはその人間の記憶と知性が含まれている。それを喰うことで俺達は知性のない道具から人間へと近付く」


「人間に…?」


元々自我を持たず、サマエルに使われるだけだった生命体が魂を喰らうことで自我を得た。


サマエルの死後、四百年。


人間の魂を喰らい続けることで段々とその知性は、人間に近付いて行った。


「あなた達は、人間になりたかったのですか?」


「それは違う。俺達が欲しかったのは人間の知性だ。人間性ではない」


人間の同等の知性が欲しかっただけで、人間に成りたかった訳ではないと悪魔は語る。


コレは羨望ではなく、劣等感のような物だ。


人間のようになりたい、ではなく、人間よりも無知であることが許せない。


「こうして今では人間以上の知性を会得した俺だが、魂を定期的に喰わなければ段々と知性は劣化していってしまう」


それはまるで反復復習のように。


人間を学び続けなければ、知性は失われてしまう。


「一度会得した知性を失うってのは、死に勝る地獄だぞ」


「………」


人間以上の知性を得た存在が、知性のない亡霊に堕ちる。


何かを失ったことさえ忘れて無為に生き続ける地獄は、悪魔さえ恐れることだった。


人間を滅ぼす為に生まれてきたとしか思えない人類の敵。


それが『悪魔』だった。


「まあ、今のところは貴様以外から魂を喰らおうとするほど飢えてもいない。そこは安心しろ」


「…私が死んだら、どうするんですか?」


「それは言うまでもないだろう?」


マナが死んだ所で、セーレは何も変わらない。


契約者の一人が死んだだけだ。


また違う誰かと契約し、堕落させ、魂を奪い取る。


「それを止めたければ、殺すしかないな。俺達は元々そう言う存在だ」


死ななければ止まらない。


決して人間とは相容れない、とセーレは嗤った。


それに何か言い返そうとして、マナはバッと外へ目を向けた。


「…今、何か聞こえませんでしたか?」


「何だ?………ああ、なるほど」


何かに気付いたように、セーレは呟く。


それに伴い、段々と周囲の乗客も騒がしくなってきた。


悲鳴に近い声を上げている者もいる。


「ん。マナ様? どうかして…」


「セシール、アレを見て…!」


眼を覚ましたセシールがマナの指差す方向を見る。


そこには若い少女と、それを追いかける狼がいた。


遠吠えを上げながら走る狼は何やら黒い霧のような物を纏っており、血走った赤い眼を光らせていた。


「アレは『魔物』だな。悪魔の放つ魔性を浴びて獣が変質した『悪魔未満』だ」


「助けに行かないと…! すみません、馬車を止めて下さい!」


マナは慌てて御者へ声をかける。


魔物に追いかけられる少女の足は既にボロボロで、今にも追いつかれそうな程に弱っていたからだ。


「そ、それは駄目だ! 今、馬車を止めたらこっちが狙われる!」


「そうだ! 私達にはどうすることも出来ない! ここはこうすることが正しいんだ」


「な…」


震える御者の声に、乗客の一人が同意した。


薄情な言葉にマナは思わず絶句する。


自分が何を言ったのか、理解しているのだろうか。


この人達は、自分の安全の為にあの少女を見殺しにすると言ったのだ。


周囲に目を向けても、マナに賛同する者はいなかった。


皆、口には出さないが少女を見殺しにすることを受け入れている。


「ぷくく…そうだよな。コレが人間の本質ってやつだ」


「ッ! 黙れ、セーレ!」


「いや、黙らんね。自分さえ良ければ他人など、どうでもいい。それが人間と言う物だ」


自分の為に魂を喰らう悪魔と変わらない、とセーレは嘲笑する。


上機嫌になりながらマナへ仮面の付いた顔を向けた。


「それで聖女様はどうする? 何なら、あの魔物の前に転移してやるが? 見知らぬ娘の代わりに餌にでもなるかね?」


「…お願いします」


「マナ様!?」


驚いたセシールが急いで止めようとするが、それよりもセーレの方が早かった。


「…馬鹿は死ななければ治らないか。好きにしろ」


パチン、と指を鳴らす音と共にマナの姿が消える。


馬車の外を見れば、少女を守るように立つマナの姿があった。


「お前…!」


「そら、ここから見ようぜ。信仰に殉じた者の最期ってやつを」


掴みかかるセシールの手を振り払いながら、セーレは酷薄に笑った。

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