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聖なる怪物  作者: 髪槍夜昼
最終章
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最終話


サマエルとの戦いから数か月の時が流れた。


当初は使徒から権能が失われたことに混乱していた人々も、段々と落ち着きを取り戻し、平和が訪れたことを心から喜んだ。


悪魔は完全に滅び、使徒もまた失われた。


この地上に存在する全ての者が『人間』になったのだ。


人を救うと言う使命に燃えるあまり、傲慢な一面もあった使徒もいない。


この世に生きる者は皆、平等だ。


「…と言う訳で、枢機院は解体することになったわ」


上品な仕草で紅茶を飲みながら、ペラギアはそう言った。


「やはり、そうなるか」


「本来は法王の相談役として設けられた組織ですからね。法王のいない今、最早不要でしょう」


重々しく頷くオズワルドに、ペラギアは平然と答える。


そう、法王は既に死に、新たな法王が任命されることも無い。


ケイナン教会はこれまで法王に依存していた組織形態を見直し、一つの王が全てを決めるのではなく、複数の代表で決定する合議制に変わった。


人間同士の間に格差は無く、神の下に人は平等である、と言うのがケイナン教の新たな教義だ。


「私以外の老害共は権力に執着しているようですが、無駄なことです」


「…意外とあっさりしているのだな」


「そう? まあ、もう嫉妬していた相手も理由も無くなったからね」


やけにさっぱりとした顔でペラギアは言った。


使徒になれなかったコンプレックスから法王を敵視していた自分。


命を賭けて聖都を護った法王の遺志を継ぎ、サマエルを倒す為に尽力した。


その結果、全ての使徒が人間になったのだ。


今までの妬ましかった感情もどこかへ消えてしまった。


「そう言えば、例のカナン様はどうしているの?」


「…今はセーレだそうだ。色々と説得したが、結局ケイナン教会には来なかった」


どこか悔しそうな顔でオズワルドは吐き捨てる。


この男にしては珍しく、感情的な言葉だ。


余程、セーレに教会に入って欲しかったようだ。


「前々から思ってたけど、あなたって賢者カナンのファンなの?」


「一信者として当然の感情だ。聖典を読めば、畏敬の念を抱かずにはいられない」


「…良い歳した男が、少年みたいに目を輝かせているわね」


呆れたようにペラギアは肩を竦める。


まあ、敬虔なケイナン教信者としては当然の反応かも知れないが。


ドライなバジリオやペラギアはともかく、他の信者にセーレの正体が公開されれば、世界中の信者がセーレの下に殺到することだろう。


そう思うと、セーレがカナンとして返り咲くことを断固拒否した理由もよく分かる。


(それだけが理由じゃないだろうけど…)


恐らく、復活したカナンに人々が依存することを避けたかったのだろう。


使徒がいなくなっても、それでは何も変わらない。


人類が成長できない。


「…変わらなければなりませんね。教会も、私も」








「………」


同じ頃、セシールは手にした懐中時計をぼんやりと眺めていた。


シュトリの形見である時計。


秘められていた力はもう失われたが、セシールはコレを大事に取っていた。


(私はもう、悪魔では無くなった………あなたは)


半魔から人間になることが出来たセシールは、今は亡き父を想う。


もし、何かが違ってシュトリが今も生きていたら。


悪魔では無くなったセシールを見て、どう思っただろうか?


シュトリとの繋がりを完全に失った娘を見て、どんな言葉をかけただろうか?


「…きっと、喜ぶのだろうな。そう言う男だった」


シュトリは心からそれを祝福しただろう。


セシールが人間になったことを自分のことのように喜んだだろう。


それが、シュトリ自身の悲願だったが故に。


「………」


この数か月で、セシールはシュトリの過去を知った。


教会に残っている資料は僅かだったので全てを知った訳では無いが、あの男が何を考えて行動し、何の為に生きたのか、理解したつもりだった。


シュトリは使徒セシリアを本気で愛していたのだと。


セシールは望まれて生まれてきた命だったのだと。


「もっと、あなたと話がしたかった」


本当のことを本人の口から聞きたかった。


そうすれば、何か変わったかも知れないのに。


「すまん。待たせたな」


思考に耽るセシールの肩を、バジリオが叩いた。


「色々と準備が必要だったからな、遅くなった」


そう言ってバジリオは手に持った幾つかの本を見せた。


全てセシールが望んだ本だった。


内容は、法術の教本だ。


「しかし、この平和になった時代に熱心なことだ」


「法術は使えなくなった訳じゃないからな」


感心するような呆れるようなバジリオの視線に、セシールは淡々と答える。


神の力は失われたが、人の信仰から生まれた法術はまだ人々の中に残っている。


とは言え、法術は基本的に人には無害。


それを使って悪さを企む者は一人もいなかったのだが。


「これからの時代、人の傷を癒せる法術は重要になる。時を戻すような悪魔の力を使わずとも、傷付いた人を救うことが出来る」


それはセシールが悪法を使いこなす内に思うようになったこと。


存在を疎まれ続けたセシールが、誰かの為に出来ること。


戦うべき相手は失ったが、手にしたこの力で人を救うことは出来る筈。


「お前もそう思うから、ひそかに法術の特訓をしているんだろう?」


「何故それを。誰にも話していない筈だったんだが…?」


隠していた事実を明かされ、バジリオの顔が引き攣る。


プライドの高いバジリオは、地道に努力している姿を見られたくなかったのだ。


「ガルグイユさんが教えてくれた」


「またアイツかよ! 最近結構お喋りさんだな、アイツ!」


無口で仏頂面だったアイツはどこへ行ったんだ、とバジリオは嘆く。


同期であるバジリオに対しては遠慮が無いと言うか、容赦が無い。


「たっく、この歳になってから特訓なんてダサいから知られたくなかったのに」


「この歳って、お前はもう人間だろう?」


「精神年齢は五十代のままだがな。最近は肉体に引き摺られてか、妙に感覚が…」


複雑そうな表情でバジリオは言う。


使徒では無くなったことで、使徒特有の達観した精神性が失われたのだろう。


その時、ぐー、と音が鳴った。


「…私では無いぞ?」


「ああ、どうやらコレは空腹らしい」


自身の腹を抑えて、バジリオは不思議そうに言った。


未だにこの感覚に慣れていないようだ。


「仕方ない。先に食事にするか」


そう言って、バジリオは視線をセシールへ向ける。


「どこか馴染みの店はあるか?」


「そうだな。この近くだと…」








「人間ってのも、不便な物だ」


セーレは不機嫌そうに呟いた。


かなり眠そうに、目を擦っている。


「たった二日、三日睡眠を取らないだけでこれほどとは…」


「そんなことしていたの? 夜はちゃんと寝ないと駄目だよ?」


ふらふらしているセーレを見かねて、マナは少し怒ったように言った。


「自慢じゃないが、カナンだった時代から睡眠なんて殆ど取ったことが無くてな。眠るってこと自体に慣れてないんだよ」


「眠るって、慣れるようなことじゃないと思うけど…」


ワーカホリック気味なのはカナン時代から変わらないようだ。


今思えば、悪魔だった頃も仕事熱心と言うか、悪魔のくせに真面目な態度が多かった。


記憶を失っていても、カナンの頃から根っこの部分は変わらなかったのか。


「徹夜してまで何してたの?」


「あ? 別に何でもねえよ」


不自然に隠そうとする姿に、マナは不審そうにセーレを見つめた。


その視線に、どこか剣呑な物が漂う。


「三日も徹夜するなんて相当だと思うけど…ま、まさか何かいやらしいことを…」


「ハッ、聖女様は相変わらずムッツリスケベだな。この耳年増」


「む、ムッツリスケベ!? しかも耳年増!?」


顔を赤らめてマナはショックを受けたように叫んだ。


それをニヤニヤと眺めながら、セーレは懐から地図を取り出した。


「旅の計画を練ってたんだよ。俺は」


「旅?」


「そう。世界一周の旅だ」


懐かしむような表情でセーレは広げた世界地図を眺める。


「またカナンとして教会に入れ、とか言われると面倒だしな。五百年経って、どれだけ世界が変わったか見て回ろうと思ってな」


かつて、カナンとして旅を続けていた頃を思い出したのだろう。


様々な人間に出会い、旅の道連れを増やしながら、旅を続けていた。


「命短い人間になったんだ。いつまでも同じ場所で生きるのも退屈だからな」


それはきっと、楽しいことだろう。


苦労もするだろうし、災難に見舞われることもあるかも知れない。


それすらも振り返ってみれば良い思い出となる筈だ。


「………」


マナは今まで自身の力で多くの人々を救う為に努力してきた。


しかし、多くの人々とはどんな者達のことだったのだろうか?


世界中と口にしても、そもそもマナは世界を知らない。


マナはセーレと出会ってから、自分の世界が狭かったことを何度も痛感した。


この世界は善人ばかりでは無いと分かったつもりで、本当は理解していなかった。


マナの世界の外にはどんな景色が広がっていて、どんな人々が暮らしているのか。


「セーレ」


「あ?」


「その旅、私も連れて行ってくれないかな?」


マナはセーレの眼を見つめながら、そう告げた。


元々混乱が収まったら教会を辞めることをオズワルドには伝えていた。


権能を失い、法術もろくに使えないマナは自身の故郷に帰るつもりだった。


だが、それよりもセーレの旅に心が惹かれた。


故郷で暮らすよりも、もっと多くの人々に出会ってみたいと思った。


「………」


「…駄目、かな?」


急に無言になったセーレに、マナは不安そうに聞く。


いきなり迷惑だったかも知れない、と弱気になる。


「ぷ、くく…」


セーレはどこか楽しそうに笑みを浮かべた。


非常に珍しいマナの願い。


欲望とすら言えない程の、些細な願望。


無欲な少女の可愛らしい小さな我儘に応えるように、セーレは視線を合わせる。


「仰せのままに。我が愛しの契約者様」


いつものように気取った仕草で、セーレはそう言ったのだった。

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