第8話 出かける準備と公式見解
「まあまあまあ、お小さいかた! ベル様の幼い頃を思い出しますわね!」
屋敷を訪れた見知らぬ女性――仕立屋の主が親しげに笑う。梨々はさりげなく一歩退く。
笑顔の人間は苦手だ。開けっぴろげであるほど、その裏で何を考えているか怖くなる。母親のように。
「今回はリリの服も作ってもらいたいの。街へ出るのに、いつまでも私のお下がりというわけにもいかないし」
「まあ! それは腕が鳴りますわ!」
泰然としたベルーシャに対し、梨々は目を丸くする。
それはそうだ、お下がりだというワンピース丈のドレスだって、新品みたいにきれいなのである。
制服になって以来、他に寝間着の体操服しか持っていなかった梨々にとって、部屋で過ごすためだけでも複数枚のドレスがある現状すら、軽くめまいのするものなのに。
「当主様、私はこれでも」
「どうせ毎回十着は作らなきゃなんないんだ、気にすんな」
そう言うのは灰色髪の少年、ルカである。主と違い、当人はつまらなさそうに、房のような髪をいじっている。
曰く、貴族というのは職人の技術向上に寄与する義務があるため、年に数回こうして新しい服飾などを発注するのだという。当然全て特製品である。
「主あるじっ、これ可愛いよ!」
抜き取ったらしい複数のデザイン画をひらひらさせるのは、いつもの黒髪の青年だ。手にするそれは、どれも華美すぎずそれでいて愛らしい、梨々にしてみれば腰の退けるデザインである。
シンプルなロリータ服っぽい、と言えば一部には伝わるだろうか。
「シェル様は良いご趣味ですわね」
「まっかせてー、女性の主も多かったからね!」
彼が一番楽しそうだ、と話し込む姿を見ながら梨々は思う。
そういえば、青年は八百年は生きて(?)いるのだ。この世界では五十年も生きれば長寿と言われるから、何世代にも渡った主がいることだろう。
――彼らにも、笑ってほしいと願ったのだろうか。
「当主様、リリ様、採寸の準備が整いました」
お針子の言葉に、女性二人は隣の部屋へ移る。
さりげなく伸べられた複数の手は、避ける間もなく梨々を下着姿に変える。ちなみにこの世界、ショーツとシュミーズはあるがブラジャーはない。梨々も必要としない程度に身が薄い。
そんな下着姿の二人へ、次々と巻尺があてられる。首筋、首回り、肩幅、背中、肩周り、腕、腕周り、手のひら、胸、腹部、腰、脚、腿周り、脛周り、踵からつま先までの長さ……
「リリ様はお可愛らしいですから、作り甲斐がありますわ」
お針子の言葉に何とも言えず、梨々はもにゃもにゃと首を振る。
作り甲斐を言うのなら、ベルーシャの方がずっと美人だと梨々は思う。下着姿ですら優雅だし、胸も腰も張っているし。
「どのような服になるでしょうか」
「楽しみですわね」
体中を念入りに、それこそ指先の爪の長さまで測った採寸に、梨々は終わると同時に座り込みたくなる。
しかし本題はむしろここからなのだ。
部屋に戻れば、ずらりと並ぶ色とりどりの布地に、繊細に編まれた複数パターンの編み飾り、刺繍の図案やドレスのデザイン画などなどが、テーブルいっぱいに広がっている。
それらを手に取りながら、仕立屋の主とベルーシャ、なぜか青年が熱心に意見を言い交わす。冷めていくお茶など見向きもしない。
「リリは入んなくていいのか」
「変なことにはならないでしょう」
ルカの疑問に、リリは茶をすすりながら答える。
私服登校だった小学校時代、曜日ごとに違う色のシャツとジーパンだけで通っていたリリにとって、服飾は興味の対象外だ。
幸いだったのは、成績さえ良ければ一定の尊敬を得られる環境だったことだろう。敬遠されていたとも言うが。
「リリ様はドゥーエの民に近い肌色ですから、このようなお色が」
「大人びた子だから、子供らしい装飾は控えてほしいの」
「これなんて流行りが入ってていいんじゃない? 定番だし」
話がつきる様子はなく、リリは布や装飾を当てられながらぼんやりと考えている。
――早く勉強したいんだけどな。
***
仕立屋たちが帰ったのは、結局数時間後のことである。
梨々は図書室から本をいくつも持ち出し、自分の客室へと急ぎ歩いていく。
今日の遅れを取り戻さなくては。
ふいに、腕が軽くなる。
本が宙に浮いた、わけではなく、いつのまにか隣にいたルカに、取り上げられたのだ。
「部屋か?」
「ルカ様、私が運びますから」
「この内容ならこれとこれはいらんだろう。返しとくぞ」
言いおいてさっさと歩き出してしまう。梨々はあわてて後を追う。
「わざわざ運んでいただかなくても」
「お前がやると危なっかしい」
「でも、だって、私はこの家のお金で買われたからここにいるんですよね?」
人間に金を払うとは、その命をまるごと支配すると言うことだ。
それなのに皆、親切が過ぎると梨々は思う。
一方、ルカはしばし口をつぐんで告げる。
「それは真相とは言えない」
「事実なのでは?」
「シェルが〈食らうもの〉に襲われたリリをうちに運び込んだ。ベルは弱って気絶していたリリの保護を決めた。精霊は基本財産を持てないが、ベルが与えた小遣いをシェルは持っていた」
事実はこれだけだ、とルカは言う。
そのどこにも、召喚オークションという言葉は出てこない。
「たとえば、身よりのない子供が〈食らうもの〉に襲われていたのを、偶然通りかかったシェルが助けた。その時に幾ばくかの金を落とした。襲われて傷つき気絶した子供を、うちは保護することにした。――そういう見方もある」
「それは真実じゃないです」
「そうだな。少なくとも、リリが異世界から来たことはいずれ割れる。それでも、ロコンチェルキ家の見解としては、そう返すのが今は安全なんだ」
警邏隊の人物が来たことを、梨々は知らされていない。
しかしルカの口振りから、何か事情が変わったらしいことを察する。
「ま、ややこしいことは大人に任せとけ」
「――ルカ様、」
「勉強もいいが早く寝ろよ、疲れてんだろ?」
軽く背をたたかれ、梨々はびくりと体を震わせる。
「……リリ?」
「はい?」
だが彼女は自身の反応に気づかず、ただ自分が何歳に見えているのか聞きかねたことを気にしている。
ルカの目がす、と不審げに細まる。
彼とて主を渡ってきた年月は長いのだ。シェルと違い方々の家を渡ってきた分、下衆な親やその子供も見てきている。
――過ぎるのは、部屋の隅で敷布にくるまり震えていた、幼子の姿。
主どこ行ってたの! と駆け寄る青年をルカが足で押し止めるまで、あと数秒のことであった。