第42話 それは世界の違いでしょうか
修学旅行先で訪れた寺社は、とにかく敷地が広かった。森一つを飲み込んでいるのではないか、そう思うほど木々が多く、合間合間に石仏や石の塔が現れる。歴史の授業で聞いたような名前の、誰彼の墓であった。
そんなことを思い出したのは、代々の主が眠っているという〈墓の庭〉の光景が、その時の光景によく似ているからだ。
社の裏手に存在する〈墓の庭〉は、一見してただの森であった。詳しい者であれば、雑木林と例えたかもしれない。
配管が空を覆っているせいか、背の低い樹木が多い。ふかふかとした腐葉土の上、整備された石畳をたどり歩いていく。
シェルが足を止める。
「これが、レグラントの代々のお墓だよ」
示されたのは、ひときわ背の低い樹木である。その前に石が積まれているわけでも、札が立てられているわけでもない。ただ、掘り返したような跡があるばかりだ。
樹木葬、といつぞやテレビで聞いた単語が梨々の頭をよぎる。
背の低い代わりに、両手を広げるように枝の垂れる樹木が、彼らの墓であるらしい。
「〈万年樹〉。実際は数千年ちょっとで枯れちゃうらしいけど、まだそこまで生きてないからわからないな」
「ここにあるのは、この樹だけじゃないですよね」
「〈千年樹〉や〈繰り返しの樹〉が多いかな。最初の主の頃は、〈万年樹〉を植えるのが流行りだったんだ。でも、ほとんどの家は取り潰されたり自滅したりで、お墓の世話ができなくなって。家が傾く象徴みたいになったから、最近は見なくなっちゃったね」
その"最近"は、ここ十年のことではあるまい。
数十年――あるいは、数百年。たかだか十五歳の梨々には途方もない年月。
「〈墓の庭〉の樹を通して、俺たちは亡くなった人と呼びかけ合う。この樹の根本に埋めたものは、彼らに届くと言われてるんだ」
持ってきていたスコップに似た道具と、掘り返された跡に梨々は察する。花と焼き菓子を、この世界では埋めることで供えるのだ。
さくり、さくり、慣れた様子で掘った小ぶりな穴に、シェルは焼き菓子と花を入れていく。それは触れてはならぬの儀式のようで、梨々はただ見ているしかできない。
彼女は、ここでは縁のない異質な存在なのだ。
「ユマ――ユニ――ユーゲン――ユイネス――ライ――デオ――レン――」
埋め戻しながら、彼が何事かつぶやく。
「リン――シャル――エッテ――ゲラニ――レス――ゲラン――ゲルド――」
それはそれは愛おしそうに、慈しむように、寂しさを隠すように。
「シャルロ――リーチャ――ルミス――カーチェス――テルマ――ギース――クラミス――」
名前だ、と梨々は悟る。
それは呪文でも儀式でもない、ただ亡き人を悼む存在がいるだけのこと。
「ターシャ――レギス――タリス――リラ。――リーシャ」
長く続く人名が終わる。土をかぶせていくシェルの傍、もういない、彼の主たちがそこに立っている気がした。
――いや、見えている。背の高い者、低い者、古めかしいズボン、華やかなドレス、どこか見覚えのある表情……彼らはそこに立っている。
「今日は、新しい主を連れてきたよ」
言われたと同時、視界に激流が流れ込んだ。
手を引く子供が大人になり、また子供が生まれて大人になり、かつての大人が老人となり眠りゆき、また皺も増えぬうちに眠る者もいて、子供が、少女が、青年が、嘆きまた笑いかけてくる。
豪快な女主人。蒐集家の男主人。歴代随一の変わり者に、無口で無愛想な甘味好き。家の再興に力を尽くした者、子供の嫁ぎ先に頭を悩ませた者、穏やかな保護者として生きた者、それぞれの濃密な記憶が、匂いすら伴って立ち現れる。
病床の父に微笑まれ、青年は涙を流す。愛する人との結婚に、別の青年が頬をゆるめる。大きなお腹をした娘が、静謐な顔で小さな靴下を編んでいく。
真っ赤な顔で泣き叫ぶ赤子が、腕の中でゆらゆら揺れる。別の赤子が髪を引き、また別の赤子が乳を飲む。指を握り、目を瞬き、ぺちぺちと叩いて、きゃあと笑う。
――それを見つめる、慈しみに満ちた目。愛おしいと、大切だと、この命を守らなくてはと、周りの目すべてが語っている。
……この世に一人限りなのだと、梨々の思っていたまなざしである。
『ああ、可愛い、可愛い! 赤ちゃんはいつだって可愛いね!』
聞き覚えのある声が響く。
赤子に向かうまなざしの多さは、梨々には異世界の風習と見える。
ここは自分のいた日本と違うから、そういう習慣があるのだと。
だが、心のどこかで梨々にもわかっている。ぎしぎしと、胸の内から訴える痛みが告げている。
生まれることの祝福は、ごくありふれたものなのだと。
「主?」
まなざしを残し、奔流が薄れていく。
ゆがむ梨々の視界の中で、シェルが目を見開いている。
「どうしたの、主」
「……違う」
梨々は両腕を抱え込む。風が濡れた頬を撫でていく。
理由がわからないままあふれる涙は、彼の手が拭っても止まらない。
「私、違う、なれない」
彼のこれまでの主のように、主たちのようにはなれない。
こんなに優しい思い出を、築くことができるはずがない。
期待もなしに慈しまれ、当たり前に大切にされてきた人間と、そうでない人間は違うのだ。
――だって、私は
「生まれる前から、死ぬことしか望まれていなかった……っ!」
悲痛な叫びに、シェルの手が、止まった。




