第35話 大立ち回りの始まりです
戦闘描写あり。シェルが頑張ります。
武器に込められた精霊だけが、〈食らうもの〉を実体とする。
その刃だけが身を切り裂き、不可視の体にダメージを与える。
故に誘拐犯たちは、仕掛けた〈食らうもの〉が怯んだことで、突如現れた青年の正体に気づき驚愕する。
「馬鹿な、〈精霊武器〉だと?!」
「黒髪の最下級でさえ、一定量の魔力がなければ契約できないはず!」
「誰だ、間違って連れてきた者は!」
「……落ち着け」
大きくはない、だが逆らいがたい低音が彼らを打つ。
それぞれが目を向ける先には、皆と同じく黒い衣をかぶった大柄の人物が座っている。
「あれは襲うものさえあれば無条件で襲う。たかだか精霊一体で止められるものではない」
「し、しかし……」
「それより引き上げる用意をしろ。〈精霊武器〉に我らのことが知れれば、地の果てまで追ってくるぞ」
契約を交わした精霊は、契約者の命に忠実だ。嘘か真か、契約者の死後に敵討ちを行った〈精霊武器〉もいたという。
指示を出された誘拐犯たちは、各々の支度に走っていく。元々本拠地にはしていない空き家だ、貧民街では珍しくもない。
いくつかの壁をぶち抜いた隣の大部屋では、悲鳴とともに立ち回りの音が響いている。
部屋に刻んだ〈陣〉が動いている限り、〈食らうもの〉が絶えることはない。一体だけでは、契約者たる主を護るだけで手一杯のはずだ。
「当たりを確かめられないのは惜しいが……何、今回もいないだろうよ」
そう呟いて、首領格たる低音の者も、己の始末を始める。
***
抜き打ちで〈食らうもの〉を切り裂いたシェルは、返す手で何かを床にたたきつける。瞬間迸る白光に、梨々も周囲も固く目を閉じる。
光が止み、彼らが見たのはナイフを宙に突き立てる青年の姿だ。
「無を裂く刃――」
「長い髪、いえ房……」
「精霊、なのか?」
さわさわと人々の驚く声がこぼれる。梨々は急に隠れたくなった。あるいは彼が声をかけませんようにと。
だが、それが叶わない願いだとも重々わかっている。
「主! 良かった、無事で!」
がばり、ぎゅう。
そんな音が出そうなほどの勢いで、シェルは座り込んだ自分の主を強く抱きしめる。当然、注目する視線が一斉に集まり、梨々はますますいたたまれなくなる。
「あの、縄を」
「……俺の可愛い主にこんな真似した輩はどこ?」
「あ、あの、皆さんのも」
縄を切りながら、ずんと低くなる声に、据わった目に、梨々はびくつきながらもそう頼む。きつく巻かれていた痕がひりついたが、今はどうでもいいことだ。これ以上人が減らないことが何より――
「きゃああああ! 消えっ、いやあぁ!」
突如上がった悲鳴に、シェルは音を立てて身を翻す。駆ける先、無色透明の歪みがあることを彼だけが見えている。
ダンッ! と刃を突き立てる。それだけで、壁に貼りついていた〈食らうもの〉は力を失う。
しかし同時、壁中にある青白い光の明滅が激しくなる。
「うわぁああ、来るな! 助けてくれぇ!」
今度は反対の壁から叫声が上がる。シェルは壁を蹴り飛び込んだが、仕留めた時には叫び主の体は消えている。
再びの明滅。今度は壁と床の隅から現れるのを、その場で屠る。
三度の明滅。今度は反対の隅から、一人を飲み込みながら現れる。
「壁から離れろ! 食われるぞ!」
「この状態で動けるかッ!!」
「転がってでも離れるんだ、すぐに次が来る!」
この場において、シェルは梨々以外どうでもいい。究極の選択を迫られれば、彼は第一に主を取る。
だが、彼の主は優しいのだ。自分の身を省みることなく、むしろ積極的に投げうって、誰かの身代わりになりかねない。
「くそっ、俺は逃げるぞ! 早く解け嬢ちゃん!」
「は、はいっ」
現に今も、柔く細い指で堅く締まる縄を解こうと懸命になっている。傷が付いたら殴るからな、と物騒な思考を巡らせつつ、シェルは明滅し続ける中を駆け回り〈食らうもの〉を倒していく。
数十人は収まるだろう大部屋を、常に対角へと走るのだ。人の集う中央を何度越えたか知らない。
人の身であることが、少しずつ、少しずつ、シェルの体力を削っていく。
「くそがッ」
一番奥まった場所で刃を突き立てた、その時だ。
青白い光が、床と天井で明滅する。
まさか、と思う間もなく床から天井から、合計十二体の〈食らうもの〉が現れ、ずるずると人々を取り囲む。
「逃げろ!」
叫ぶと同時に駆ける。既に縄を解かれた者もそうでない者も、シェルの声に身構えるが右往左往している。〈食らうもの〉は無色透明、人の目にはどこを見ても何もないようにしか見えないのだ。間違えてつっこめば、その場で消滅してしまう。
「助けてくれ……!」
「精霊様、お助けを!」
「おいアンタ契約者なんだろう、何とかしろよ!」
「死にたくない! 死にたくない! 死にたくない!!!」
部屋の中心へと寄り集まる人々に、〈食らうもの〉の包囲網が狭まっていく。何とか追いついたシェルは手を伸ばし、魔法で彼らを取り囲む風の壁を築く。〈食らうもの〉の一体を切り裂き、返す刃で天井の一体を貫く。
「そこから動くな!」
残り十体。皆シェルのことなど気にした様子もなく、壁の向こうに進もうと身を打ちつけ続ける。〈食らうもの〉は魔力を持つ者に興味がないのだ。ただひたすら、魔力のない者を食らおうと動くのである。
蠢く群を、切り裂き、貫き、突き上げる。全力疾走で息の切れてきたところに、上と下からの襲撃だ。魔法を維持する都合もあり、人の身の限界がシェルに近づいていく。
それでも、あと二体まで片づけたときだった。
「シェルさん!」
梨々の叫び声に、取り逃がしたかとシェルは焦り振り返る。
だが、それの狙いは梨々ではない。
バキィッ!
右肘から先、横殴りの衝撃と同時に激痛が脳を満たす。
ナイフを取り落とした音が、妙に耳についた。
***
戦闘の音が響く中、支度を終えた誘拐犯たちは、空き家の裏口から一人ずつ駆け去ろうとする。
――だが。
「あの小屋だ、総員捕らえろ!」
入り組んだ通りの陰から、警邏隊の一群が押し寄せる。誘拐犯たちは魔法を放って抵抗したが、数に圧され即座に縛り上げられる。
「なぜだ、なぜこれほど早く……っ!」
「ちょいとタレコミがあってね」
飄々と返すのは、制服にいくつかの微章をつけた男だ。警邏隊の中でも上官に近い立ち位置の者らしい。
「うちの隊長殿は恩義を重んじる人なんでね。それが〈衣揚げ〉であっても、頼まれたことは果たすのさ」
「何を訳の分からぬことを……」
「だいたい警邏隊とて、やることは我らと大差ないではないか!」
「はいはい、そーゆー話は出るとこ出てやってくださいよ。ねえ、隊長?」
男が振り向いた先にいたのは、金茶の髪に碧い瞳の美丈夫――警邏隊長・ユイゲンである。
「半数は残って被害者の保護だ。もう半数は奴らを連れて行け」
「了解!」
指示を受け、半数の隊員たちが黒衣の誘拐犯たちを引っ立てていく。
その場に残った隊員の一人が、空き家の戸を開けようとした、その時である。
小さく、壁の軋む音が立つ。
「伏せろ!」
ユイゲンが叫び、側にいた隊員もろとも地に伏せる。
瞬間、激しい爆発音が轟き、金とも白ともつかぬ閃光が警邏隊全員の目を灼きつくす。
「何だ……何が起きた」
暴力的なまでの光が収まっていく。伏せたままのユイゲンは灼けた目を瞬き、何とか視力を回復しようとする。
霞む彼の目に映ったのは、破片も残らぬほどに壊しつくされた、元空き家の姿。
そして、あまりに白い全身の、背の高い人影だった。