第31話 〈目覚めの祭〉
シュヴァイエは小さな首都である。
〈宿りの石〉を含んだ配管がまだ発展途上だった頃、王命により初めて街全体を配管で覆ったのがシュヴァイエだ。当時の技術上、最大規模の工事であったが、今は他の都市の方が大きく安全に街を覆っている。
要するに、土地の大きさに対して人口が多すぎる都市なのである。それが祭ともなれば、外部から商人や観光客の流入もあり、押せや押せやの大渋滞となる。
それでも長い冬を越え、春の訪れを告げる〈目覚めの祭〉に、人々は浮き足立っていた。
「主、絶対手を離しちゃダメだよ!」
「っは、はい」
堅く握り合う手はどこででも見られる。誰もがはぐれないように必死なのだ。
通りを一本外れ、人混みが少なくなってきたところでようやくシェルたちは一息つく。
「主、大丈夫? 痛いとことか汚れとかない?」
「えっと、大丈夫みたいです」
梨々が体を動かす度踊るのは、庶民がよく着るワンピースだ。生成の布に刺繍を施したそれを着ると、すっかり庶民の姿になってしまう。こちらの方が素に近いのだろう、と愛でながらシェルは思う。肩から提げた小鞄と、〈宿りの石〉を使った薄緑の首飾り、短い髪の頭にぐるりと巻いた飾り布という組み合わせがまた可愛らしい。
「街の案内はあきらめた方が良さそうだね。ごめんね、俺の記憶が古かったから」
「どれくらいぶりなのですか?」
「んー、ざっと五十年くらい、かな。ユマは人混みが嫌いで、この時期は遠出することが多かったし」
武具込め精霊の感覚では二、三年ほどのことなのだが、実際五十年では様変わりしていてもおかしくない。シェルにも一応自覚はあったのだが、観光雑誌などない世界である。現実が予想を超えていったという事だろう。
「主は何か見たいものある? 大道芸は通りの反対の方が盛んかな。この辺りは雑貨が多いみたいだね。おなか空いたならドゥーエのものを探すけど」
「え、えっと」
与えられた情報と、そこから判断すべき選択の多さに困惑する梨々を、シェルは愉しく待ちかまえる。彼の時間感覚は老人よりも短いので、長い黙考もあっという間に過ぎていく。多少の待ち時間は苦にならないのだ。
「あの」
「うん?」
「〈宝卵〉を見つけたくて……ベルーシャ様とルカ様に」
「あいつに『様』なんてつけることないのに」
〈宝卵〉とは、豊穣の象徴である卵の殻に、絵付けや装飾を施したものだ。丸い全体を使ったものと、縦に切って半面を使うものとがある。
元は豊作を願い飾っていたものが、お守り兼家の装飾小物となって現代のシュヴァイエに伝わっている。
要はお土産探しだ。昼前から探すのは早すぎる気もするが、病み上がりの梨々はいつ動けなくなってもおかしくない。お昼を食べたら引き上げた方がいいかもな、とシェルは頭の隅で考える。
「じゃあこの通りから探していこうか。〈宝卵〉は色んなところで売ってるから、大通りじゃない方が掘り出し物があるかもね」
手を握り直して進んでいく。梨々は気まずそうだったが、人通りが減ったとはいえそれなりにいるのだ、はぐれれば一大事である。
「とりあえずここ入ってみる?」
「はい」
柱に屋根をかけただけの店に入ると、吊り下げられて無数に並ぶ、卵の"壁"に取り囲まれる。
どこまでもどこまでも続く、白いもの、黄色いもの、紅いもの。細かな花が踊るものもあれば、風景画が広がるものもある。羽を持つのは虫で、くちばしを持つのは鳥だろうか。神話のものらしい人物や小物が繰り返し描かれたものもあれば、絵ではなく刺繍で草花の姿を刺したものもある。小さな魔石を飾ったもの、穴を空け彫刻を施したもの。後付けの立体的な模様がうねるもの――
鳥の種類にもよるが、卵の殻は基本的に割れやすい。そこに色を付け加工を施すことは、職人の腕の見せ所でもあるのだ。
吊り下げられた〈卵〉はどれも素晴らしかったが、梨々は何も買わず申し訳なさげにそこを出た。
そのままいくつかの店を回る。後になるほど良いものが出てくると感じるほどに、職人たちの腕は素晴らしく、素人目には善し悪しの判断がわからないような出来ばかりだ。
それでも梨々は、申し訳なさそうな顔で店を出ていくことを続ける。
いい加減一度休ませるべきか、とシェルが考えていると、脇から呼び声がかかった。
「お姉さん、〈宝卵〉ならうちのも見ていってよ!」
店番らしい子供が示す先、雑貨の積まれた片隅に、かごに持った卵たちがある。単に色が層になるよう塗られているだけの、いかにも片手間の手作りといった感じであるが、かえって素朴な味わいがある。
「これにします」
素朴な作りのそれらのひとつを、梨々はなぜか迷いなく取り上げる。硬貨を数えて、会計をしてしまう。
「俺が買うのに」
「だめです」
彼の主は変なところできっぱりしていて、あまりシェルには甘えてくれない。ルカならば、〈砕かれた子供〉にはありがちなことだと考えただろうが、知識の薄いシェルはただ甘やかす策を考えてしまう。
だがその思考は、次の瞬間霧散する。
「あなたの分ですから、お金を出すのはだめです」
「俺の?」
「……シェルさんの、色だから」
今は紙袋の中の卵に塗られていたのは、白の混ざった緑から薄茶へと移り変わる色の層。彼の瞳に近い色。
他に飾りや彫り物があるわけでもない。技巧を駆使した絵や模様がついているわけでもない。
それでもこれが自分の宝になることを、シェルは深く確信していた。
「あなたには、主の思い出が必要なんでしょう?」
これは思い出になれますか、などと聞かれては、当然以外の何を返せるというのか。
「ありがとう、主! お昼は俺が出すから!」
「それは」
「お礼なんだから受け取ってよ、ね?」
これらも全て思い出になるのだ。勿論押し通すつもりである。