第29話 美容室へ行きましょう
貴族のお洒落は重い。ドレスに首飾りに耳飾り、階段を下りるのすら一苦労である。
布地はたっぷりとして飾りも多く、装飾品は石や金属の重さを持つ。まして結い上げた長い髪は、少なからず頭重へも影響する。
もっとも梨々の場合、髪の長さだけは現代日本の少女の中でも短い方だったが。
「主、可愛いよ。よく似合う」
「美容室って、こんなに大変な格好で行くところなんですか……?」
これでも軽装なのだと言われて、梨々はめまいを覚える。とにかく店に入るまで、貴族のような見た目であることが必要らしい。
「以前から予約をしてあるとはいえ、お祭りの前日なんて多忙な時に貴族でない者が行くと、後が面倒なことになりやすいの。大丈夫、頭を見せなければ格好で勘違いしてくれることは多くてよ」
薄布を頭に巻いた梨々に満足げに頷き、ベルーシャは蒸気車に乗り込んだ。続いて梨々、ジェイ、シェルが乗り込む。ルカはいつも通り御者席に座っている。
目的地への道順を魔法陣で示せば、火と水の魔石が働いて車を進ませる。長旅には向かないが、町中を走るのは十分だとして、近年貴族や富裕層の間で広まっている機構である。
日本の乗用車に比べれば窓は小さく、旧来の馬車と同じく家紋が刻まれているため、ぱっと見には貴族のお出かけにしか見えない。
「主、見てごらん」
シェルが窓の外へと促す。
わぁ、と感嘆の声を梨々がこぼすほど、今のシュヴァイエは賑々しい。
通りの両端は、出店の仮小屋がずらりと立ち並び、軒先に瑞々しい風船花を提げている。かすかな魔力を帯びたその花は、枯れるまでふわりふわりと宙に浮き、風に流されて飛んでいく春の風物詩だ。
家の窓辺には色とりどりの鉢植えが据えられ、芽吹きの時を待っている。〈目覚めの祭〉は人だけでなく、動植物や精霊が春に向けて目覚め動き出すものとされている。この時期に芽が出た植物は、立派に育つと言い伝えられているのだ。
人々の顔は明るく、服装も小物に明るい色を使っている人が多い。元々雑踏の多く行き交う街ではあるが、〈目覚めの祭〉を翌日に控えた今は、忙しなさと華やぎを存分に詰め合わせて、春のお祭への期待ではじけそうになっている。
商会へ行ったときとはまた違う、イベント特有の空気をはらむシュヴァイエの様子に、梨々はため息をつく。
そうして夢中になっているのを、微笑ましく見られているのにも、気がついていない様子である。
やがて車が一軒の店の前で停まる。
白壁に金の装飾が映える、豪奢な店構えである。窓は大きくとられており、そこから店内がよく見える。梨々の見る限り、日本でよく見かけた光景と大差ないようだ。
シェルが身軽に降り、女性たちに手を貸して降ろす。ルカは車をつけてから合流予定だ。
「主、緊張してる?」
「美容室って、初めてで」
「大丈夫よ。セニアはちょっと変わってるけど、いい人だから」
ベルーシャの言葉に間違いはなかった。
やはり白壁に金が踊る店の中、挨拶は丁重に、案内は丁寧に、薄布を剥ぐ手は慎重に、現れた短髪に痛ましげに。
綺麗にいたしますからね、と告げながら髪を梳く店長セニアは、どこまでも紳士的である。
椅子の前の小さな鏡に映る、顔立ちはやわらかくも実にハンサムだ。癖のあるブルネットを一つに束ね、首にスカーフを巻いている。背が高く肩が張っているので、シンプルかつかっちりとした服の線が凛々しさを、しなやかな布端が優美さを示している。
そして何より、どこを見ても性別が曖昧だ。
めまいを起こすような人だ、と梨々は密かに思う。
「リリ様の髪は、夜の湖のようですね。これほど濃く硬い黒髪は珍しい。大抵は煙か消し炭のような黒ですから」
「あの、あの、伸ばしたくて、お願いします」
耳すらも惑わすような中低音に、梨々はどうにか要望を伝える。心得たようにセニアが頷き、とっくりと検分を始める。
「リリ様は後頭部が平らなのですね……上に膨らみを持たせて……ああ、長さががたがただ。何て事だろう……」
骨ばった指が触れる度、その丁重さに梨々は体がそわそわし、鈍い悲しみがわいてくる。美容室は生まれて初めてなので、髪を切ること以外は想定外だ。
す、と肩に滑る手に、一瞬身が跳ねる。
「髪を整える店ができるようになったのはほんの最近、貴族のかたでも緊張することはあるのですよ。大丈夫、ちゃんと美しくします」
受け取ってくださいね、と宥めるように肩をさすられ、梨々はおずおずと頷く。
まず髪の量を減らして――とセニアが説明し始めたところで、入り口から派手な物音がした。
「台車が倒れた!」
「下にじいさんと子供がいるぞ!」
「馬車の野郎、逃げやがった!!!」
ざわめく人々の声が店の中まで届く。すっと青年が立ち上がる。
「主、ちょっと行ってくるね」
「ルカ」
「御意。万一奴が来ても店には入れねーよ」
出て行く二人に梨々は何も言えず、ただ説明を聞いているしかなかった。




