表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/74

第27話 すくい取ろう、あなたの勇気を以て

「やっと言った」


 突然に梨々の肩を熱が、腕が包む。黒い袖に白い手、大ぶりの艶めく爪。

 何より耳元で告げる声が、相手が誰だか示している。


「どうして」

「主が助けを求めるなら、俺が駆けつけるに決まってるでしょ」


 足音すらなくシェルが現れたのは、空間を縮めて〈跳んだ〉ためらしい。葛藤に手一杯の梨々では、それ以上のことはわからない。


「それで、どんな助けが必要なの?」


 するりと腕を離し、移動したシェルは寝台の端に腰かける。そこで彼が、梨々の背側から現れたのだと察する。

 下りた手が、梨々の手を包む。まなざしが言葉を待っている。


 そのまま、沈黙が落ちる――


 あなたといるのが悲しい。ここにいるのが苦しい。与えられる好意が痛くて、死にたくなる。

 自分の感覚をそのまま伝えれば、相手を傷つけるだろう事は梨々にもわかっている。


 今だって、案じさせているだろうことに、溺れそうなほどの悲しみに落ちていく。それでもシェルが立ち去れば、別の痛みに襲われるのだと気づいている。

 こんな風に感じる子の傍になんか、いたいはずがない。


 やわらかに見下ろしてくる、茶色がかった淡緑色の瞳から目をそらす。彼の指先が、梨々の手をゆっくりと、何度も撫でているのが目に入る。


『お前は(わたし)を捨てたのに、そいつらを捨てられないなんて我が儘だわ!』


 脳裏に声が響く。ぐっと手を握りしめる。


「当主様が、ここに残るか、出て行くか、修道院に行くか選びなさいって。でも私、修道院しかないから。お別れするしかないから――」

「どうして?」


 穏やかな声が、眼差しが問う。


「主は、俺たちとお別れしたいの?」

「違う!」


 止めると思う暇すらない。自分の声だと自覚したときには、さっと血の気が下りている。


「あ、いや、違う、違うのが違って、だから」


 ふいに手が離れ、頭を撫でられる。痛みが走り、体中の悲しみが押し寄せる。溢れて頬が濡れていく。


「私、期待通りじゃなきゃ邪魔だから。優しい人の迷惑になるから。生まれたこと自体が間違いだから」


 それは、今更口にするまでもない事実。昔から梨々を取り巻いている現実。

 でなければ、なぜ親が、親戚が、周囲が何十度と繰り返したのか。

 だから、こんな自分にさえ親切に優しくしてくれる、皆とは離れるのが一番で――


「主、呪われてるね」

「のろい……?」

「勝手にかける奴って割といるんだよ。虫ケラ以下の臆病者共が」


 シェルはきっぱりと言い切る。

 細めた目の奥で炎が揺れた気がして、梨々が身を退くと彼は俯く。


「主は呪われすぎて、自分で自分を呪うほどになっちゃってる。でもね、主本人が許さなければ、そもそも呪いなんてかからないんだ」

「私――いつも苦しいのも悲しいのも、私のせい……?」

「ある意味では。でも、それは祝福だ」


 流れる頬の滴をシェルの手が拭う。そのまま両手で顔を包まれる。


「自分を呪うのも、誰かに呪わせるのも、もう()めよう? 期待通りでなくたって、人に迷惑をかけたって、主の生まれたのは間違いじゃない。主が許さなければ、そんな呪いは絶対に起きない!」


 突風が胸を撃つ。

 轟くまま、嵐のごとく吹き荒れる。

 大雨に目の中が歪む。空いた手が必死にしがみつく。

 木戸の割れる音が、鉄扉の砕ける音が、縛る鎖の引き千切れる音が、暴風に巻かれ響きわたる。

 冷たく凍る漆黒の伽藍堂に、落ちる、落ちる、落ちる……

 固く縛られた箱が開く。


『りりはねぇ、みーんな、だいすき!』


 幼い子供(じぶん)の声がする。呪いなんて知らない、真っ直ぐな声。

 胸の奥の底の底、これ以上傷つかないように、護るために沈めた小さな子(片割れ)

 傷だらけの血塗れで、それでもニコニコ笑って手を伸ばす。

 ――そっか そこにいたんだ……


 手の中で、ざらりと厚手の布が擦れる。

 瞬時に底から引き上げられ、耳の中がしん、とする。


「好ぎでず」


 こぼした声は濁っている。梨々は彼を見上げ、繰り返す。


「私も皆さん好ぎでず。離れだぐない」


 視界は今も揺らいでいる。鼻が詰まって、口の中が塩辛い。頬と手の間がべちゃべちゃする。

 きっとひどい顔なのに、目の前の彼が微笑むのがわかった。


「じゃあ、一緒にいるために考えよう」

「でもっ」

「『でも』じゃなーいの。やっと呪いから一歩出られたんだから、主はここから幸せになるんだよ?」


 どこからか出た手巾が顔を拭く。ついでのように鼻をかまされる。

 胸の中が伽藍堂よりもからっぽだ。痛みも苦しみも悲しみも、何も体を襲わない。

 圧倒的な静けさに、なぜか心は落ち着いた。


「呪いはしつこいよ。俺が言わなきゃわからなかったでしょ? ずっと主にからみついてたんだから、もう許さないようにしようね」

「――はい」


 どこまでも広く深い空白は、呪いの占めていたものなのだろう。そのあまりの大きさに、梨々はようやくぞっと背筋を凍らせる。

 そしておそらく、この空白に何も入れなければ、呪いがまた食い尽くしていくのだ。

 現に今も、こっちが『当たり前』なのだと誘う声がする。


「〈砕かれた子供〉でも、呪いに負けなければ、きっと――」

「え?」


 小声のつぶやきを聞き返せば、何でもないと首を振られた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ