第26話 三語の呪文は届きますか?
「今の王は、占い師をとても大切にしているの」
梨々が泣き疲れて眠った翌日、午後のお茶の時間になって現れたベルーシャは、そう話を切り出す。
「特に先視のできる占い師は重宝されているわ。国民を護るためには、未来を視る力が必要なのだと……私は、あまり頼っては良くないと思うのだけれど」
内緒ね、と指を立てて微笑んでから、話を続ける。
「ここ最近、オークションの検挙が相次ぐと同時に、過去に召喚された人々が王の名の下に、城に集められているという話があるの。王がどこまで関与しているかは今のところ不明だけれど、実際に警邏隊が動いているのも確かなこと。噂では、占い師の一人が異世界について、何事か奏上したようなのよ」
王の名に逆らうだけで不敬罪となる平民はともかく、貴族ならば名前だけなら拒む方便もある。梨々もそれまで知らなかったが、彼女を引き渡すようロコンチェルキ家に告げに来た警邏隊の者もいたという。
「それは、大丈夫なのですか?」
「まだ王の名は出されていなかったし、どちらかというとオークション参加者であるシェルを理由にしていたから、ロコンチェルキ家としては断りやすかったの。多分、あちらもまだ強硬になるほどじゃなかったんでしょうね」
だが、状況はこの一節で変わりつつある。過去に召喚された者たちに比重が移り、王の名を振りかざして人を集めている。その圧力は爵位の低い貴族にも及び、そして集められた人々の行方は杳として知れないという。
「うちは幸い、まだ王の名前だけならお帰り願うことができるわ。こんな不明点の多い状況で、梨々を城に行かせたくはないもの。でも、万一王自身が勅命を出した場合、逆らえる貴族はほんの一握りになってしまう……」
自分を差し出すしかなくなるのだ、と梨々は察する。
おそらくはそれが、ベルーシャとルカが争った背景であることも。
――やはり自分は死んだ方が、迷惑をかけないのではないだろうか。
「自分がいなければ、なんて思わないでね。リリを保護すると決めたのに、護りきれない私が悪いのだから」
「っそんなことないです!」
梨々は大きく首を振る。ベルーシャはもちろん、ロコンチェルキ家の人々全体が、自分なんかに痛いほど良くしてくれている。期待に応えられないのが歯がゆいくらいだ。
王の勅命を拒めば、彼らにも咎は及ぶだろう。突然現れた子供よりも、昔からいる彼らを優先することを、梨々は当然だと考える。
「あなたには選択肢がある」
ゆっくりと、ベルーシャは語る。
「今のリリにとれる選択肢は三つ。我が家で〈話し相手〉として教育を受けるか、市井に出て働くか、修道院に入るか」
ロコンチェルキ家に残る場合、王命が出るまでは拒むことができる代わりに、命令された場合逆らえない。また、梨々を隠した咎を言い立てられる可能性はある。
市井に出る場合、王の名が出るだけで拒むことは許されない。しかしベルーシャが手を貸せば、見つかる前に国外に出ることはできる。梨々の場合、シェルとの契約がある限り言葉には困らない。
修道院に入る場合、俗世と隔絶されていることを王が承認しているため、王命すら拒むことができる。その代わり外に出る自由はなくなるし、精霊付きの武器を連れて行くこともできない。
与えられる限りの情報をベルーシャは語り、有利と不利を比較してみせ、残るのならばできる限り護ると言い残して、仕事に戻っていった。
一人残された梨々は考え込む。
迷うまでもなく、選ぶべきは修道院だろう。
王命を拒めるのはもちろん、俗世と縁を切ることで、ベルーシャやルカ、シェルもこれ以上巻き込むことはなくなる。
外に出る自由もなくなるが、梨々は家にこもって過ごしても気にしない方だ。身につけた知識は消えないし、働くことが祈ることである教義だというから、退屈することはあるまい。
シェルがいなくなるため、〈食らうもの〉に襲われても助けはなくなるが、それはそれで梨々にとっては好都合である。
ただ――
「おじいちゃん……」
好きなもののために生きていい、と告げる祖父の夢が、昨夜から頭を離れない。
感情のままに望み、思い切って生きろ、と告げられたことはこれまでになかった。幼い頃に言われたのかも知れないが、今の梨々には亡くなった祖父が、世界を越えてそれを伝えに来たように感じるのである。
「おじいちゃん、私、どうしたらいいの……?」
選ぶべきものは解っているのに、腹の底で抵抗を覚えている。
彼らを遠ざけるのが一番だと思っているのに、与えられてきた記憶の中の熱が、悲しみとはまた別の痛みを起こす。
ぎしぎしと、きりきりと、ずくずくと――
「――助けて」
その日、梨々は十年以上ぶりに、他者の助けを求めた。




