表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/74

第18話 あなたを――すと願うのです

 少女は、自分の生まれをよく知らない。

 それでも長じれば、何となく察することはできていく。

 自分が望まれた子供ではないことも、自由を奪う象徴であることも、人の望む成果を出すからぎりぎり許されているのだ、ということも。


 だから少女は、周囲の期待に応えた。

 預けられた家で泣かなかった。

 人には物を譲り続けた。

 叩いてくる子を告発しなかった。

 指導者の指示に支配された。

 勉学に打ち込み、家事を日々行い、遊ばなかった。

 学級委員を任され、教師の雑用を受け、生徒会の候補に立った。


 骨となった祖父だけが、幼い頃と同じく褒めてくれた。

 いつしかそれも忘れてしまった。

 親の言うとおり、家事も勉強もろくにできないのに、友人なんてできるはずもない。

 嘆かわしいと怒る親にひたすら申し訳なく、できるのは死んで自由にさせることくらいだと思った。


 だから、言葉がわからない。


『みんな、主が大好きなんだから』


 ひたすらに悲しみに突き落とす、その言葉の意味も、意図も、少女には理解できないのだ。


 ***


 最近のスヴェンは米料理にこだわっているらしい。料理長手ずからの、お粥とスープスパの間のような料理をすする。

 梨々が倒れて、五日が過ぎようとしている。その大半は眠って過ごしたため、それほど時間が経った気が梨々にはしないけれども。


 驚くのは、本当に眠る以外のことを求められないことだ。

 家ではどんなに体調を崩しても、目が覚めれば家事が待っていた。自分で買ってこなければ食事も薬もなかった。

 それが異世界(ここ)では、病人の看病という、まるでフィクションのような扱いを受けている。


 基本的に移動は手洗いだけ。一日一度は体を拭かれる。

 枕元には見舞いの果物が盛られ、時折勧められて食べている。逆に花を飾ることはここ(シュヴァイエ)では少ないらしい。

 ちなみに、青年(シェル)があれこれ見繕いすぎて、少年(ルカ)に叱られているのを聞いたことがある。

 お前は主を愛しすぎる、と。


「ごちそうさまでした」

「果物は召し上がりますか?」

「いえ」


 首をゆるく振って横になる。休めば休むほど体がだるくなるのはどういうことだろうか。

 このまま寝台に沈んで解けて、何もかもなくなってしまえばいいのに――


 ノックの音がした。

 ジェイが開けると、いつものように青年が現れる。

 彼は昼間は〈食らうもの〉の討伐を行い、夜に見舞いにやってくる。

 〈食らうもの〉は夜にはあまり現れないらしい。


「主」


 青年はただ一言に、無数の感情を込めた呼び方をする。そう気づいたのはここ二、三日のことだ。


「今日もちゃんと休めた? 食べてる?」

「はい」

「そっか。今日はねぇ……」


 果物をジェイに渡して盛ってもらいながら、寝台の傍の椅子を引く。

 夕食後にこうして少し話して眠るのが、習慣となりつつある。

 ――今日こそ、言えるだろうか。


「あの」

「んー?」

「……欲しいものが、あるのです」

「何なに? 俺にできるものなら用意するよ!」


 想定外に嬉しそうな相手に、あなたでなければできないことだ、と梨々は胸の中だけで思う。


「あなたを叩く権利」

「――ん?」

「あなたを詰る役目」

「ん、えっ?」

「グーで殴っていいですか」

「ちょっ、俺何かしちゃった?!」

「しました」


 それは、出会いの時。


「あなたは私の腕を切り落とし、私の口を蹂躙し、私を傷めながら(・・・・・・・)死なせて(・・・・)くれなかった(・・・・・・)


 命を救うのは尊いと、一体誰が決めたのか。

 生えるからと腕を奪われた。止血だと口を塞がれた。肉体の自由を損なわれた。

 死にたくて死ねずに生かされる。

 そうしてやった当人は、英雄面で笑うのだ。


 ずっと、ずっと、赦せなくて胸の内でくすぶっていること。


「あなたを罵ることができなければ、私の苦しさは終わらないのです」


 言い切って、歪む真顔を見つめ返す。

 いつの間にか、ジェイは姿を消している。


「いいよ。それで主が楽になるのなら」


 静かに、許しの言葉が落ちる。青年はそのまま目を閉じる。

 本当に手を挙げるつもりはない。自分の腕力のなさは梨々もよくわかっている。


「――あなたなんて、」


 だから代わりに言葉をぶつける。言うことはもう決まっている。

 放つだけで胸がぎしりと軋む、諸刃の叫び。


あなたなんて(・・・・・・)生まれなければ(・・・・・・・)よかった(・・・・)……!」


 瞬間、前が見えなくなる。ぼろぼろと溢れるもののばかりせいではない。視界が暗い。

 ――抱きしめられたのだと気づいたのは、耳元で声がしてからである。


「ごめん」


 見かけによらず太い腕に、強く抱き寄せられる。


「それでも、死なせたくなかったんだ。誤ってでも助けたかったんだ。痛くても、苦しくても、傷つけてでも(・・・・・・)生きていてほしいんだ(・・・・・・・・・・)!」

「……どうして」


 鼻声がこぼれる。

 それほど執着される訳が梨々には分からない。かつての主を思わせるからといって、実力行使に出てでも生かそうとする心情が理解できない。


俺たち(精霊)にとって、人は花より儚いんだ。花は何度でも咲くけれど、人は一度しかそこにいない。二度と現れない」


 つらい、と一言告げる。

 声に混じって、心音が早い鼓動を刻むのが聞こえる。


「ごめんね、主、ごめん、俺は主に生きてほしい」


 誰があなたを蔑もうと。

 誰があなたを呪っても。

 あなたがあなたを貶めても、自分は生きることを願うのだと。

 強く強く抱きしめながら、青年はそう言うのだ。


 ……このまま酸欠で死んだらどうするのだろう、と梨々はふと思う。


 胸の内を押しつぶす力は、少しずつ薄れつつあった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ