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公爵夫人、離婚して資産三割を手に人生をリスタートします  作者: カワカン


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9/9

第9話 眠っている価値

 翌朝。


 朝の市場が賑わい始める頃、エレノアとアンナは町の不動産店を訪れていた。


 木製の看板には、控えめに「不動産仲介」と記されている。


 扉を開けると、店主が穏やかな笑顔で迎えた。


「いらっしゃいませ。」


「本日はどのようなご用件でしょうか。」


 エレノアは店内に並ぶ物件図面へ目を向ける。


「物件を探しております。」


「ご自宅ですか?」


 店主の問いに、エレノアは静かに首を横へ振った。


「いいえ。」


「事業として購入できる建物を探しています。」


 店主は一瞬だけ目を丸くした。


 若い女性が一人で訪れ、住まいではなく事業用の物件を探す。


 そんな客は珍しい。


「失礼いたしました。」


「それでは、現在ご紹介できる物件をご用意いたします。」


 店主は棚から数冊の台帳を取り出し、机へ広げた。


 そこには空き家、空き店舗、古い宿屋、倉庫など、町中の売り物件が並んでいる。


 エレノアは一枚ずつ丁寧に目を通し始めた。


 家の大きさではない。


 価格だけでもない。


 建物の築年数、立地、周辺の店、土地の形。


 細かな情報を静かに読み取っていく。


 その姿を見た店主は、心の中で小さく首をかしげた。


(この方は……家を探しているのではない。)


(建物の価値を見ている。)



「まずはこちらをご覧ください。」


 店主は台帳の中から数枚の図面を取り出した。


「一軒目は商店街近くの空き店舗です。」


「二軒目は川沿いの住宅。」


「こちらは宿屋を営んでいた建物になります。」


 エレノアは一枚ずつ静かに目を通していく。


 価格。


 敷地面積。


 築年数。


 そして立地。


 どれも悪い物件には見えなかった。


 アンナが小さく呟く。


「どれも良さそうに見えますね。」


 しかし、エレノアは首を横に振る。


「この店舗は立地は良いけれど、敷地が狭すぎるわ。」


「将来、建物を広げたくても余裕がないもの。」


 次の図面を手に取る。


「こちらは日当たりが悪い。」


「湿気が残りやすい土地ね。」


 さらにもう一枚。


「この宿屋は建物よりも土地の権利関係が複雑そう。」


「整理するだけで何年も掛かるかもしれない。」


 店主は思わずエレノアの顔を見つめた。


 どれも資料だけで見抜いたことだった。


「……よく、お分かりになりますね。」


 エレノアは穏やかに微笑む。


「建物は、買って終わりではありません。」


「十年後、二十年後まで考えて選ぶものですから。」


 その言葉に、店主は静かに息をのんだ。


 この客は、目先の安さを見ているのではない。


 建物が持つ未来の価値を見ているのだと、ようやく気づき始めていた。




 店主は台帳を閉じると、少し申し訳なさそうに言った。


「ご希望に合う物件は、今ご覧いただいたものくらいでしょうか……。」


 エレノアは穏やかに微笑む。


「ありがとうございます。」


「どれも良い物件でした。」


「ですが、私が探しているものとは少し違います。」


 店主は少し考え込み、棚の奥へ向かった。


 しばらくして、一冊の古びた台帳を持って戻ってくる。


「実は……。」


「一軒だけ、ございます。」


 台帳を開く。


 町外れに建つ古い家だった。


 屋根の一部は傷み、庭は草木が伸び放題。


 長い間、人が住んでいないらしい。


 店主は苦笑する。


「正直に申し上げますと、こちらはおすすめしておりません。」


「買い手もなかなか見つかりませんので。」


 アンナも図面を見て、小さく首をかしげた。


「かなり古そうですね……。」


 しかし、エレノアだけは興味深そうに図面を見つめていた。


「現地を拝見できますか。」


 その一言に、店主は驚く。


「こちらを……ですか?」


「ええ。」


 エレノアは迷いなく頷いた。


「図面だけでは分からないことがありますから。」


 店主は一瞬黙り込んだあと、小さく笑った。


「承知いたしました。」


「では、ご案内いたします。」


 こうして三人は店を出て、町外れにある一軒の古い家へ向かった。


 まだ誰も、その家に残された本当の価値に気づいてはいなかった。



町外れの古い家は、長い年月を一人で耐えてきたような佇まいだった。


 庭は草に覆われ、外壁の塗装は剥がれ落ちている。


 アンナは思わず顔をしかめた。


「……これは、かなり傷んでいますね。」


 店主も苦笑する。


「皆さま、外からご覧になって帰られます。」


「ですから、ずっと売れ残っておりまして。」


 しかし、エレノアは外壁へ近づくと、静かに柱へ手を添えた。


 指先で木の状態を確かめる。


 軒下を見上げ、屋根の傾きを確認する。


 窓枠、基礎、排水の流れ。


 一つひとつ、丁寧に見て回る。


 やがて庭へ回り込み、建物全体を眺めた。


 そして、小さく頷く。


「……思ったとおりね。」


 店主は不思議そうに尋ねる。


「何か、お分かりになりましたか?」


 エレノアは穏やかに答えた。


「屋根は直す必要があります。」


「窓も交換した方がいいでしょう。」


「ですが、柱も基礎も傷んでいません。」


「建物そのものは、まだ十分に生きています。」


 店主は目を見開く。


「そこまで見ただけで、お分かりになるのですか。」


「公爵家では、修繕の立ち会いを何度もしてきました。」


「職人の方々から、多くを教えていただいたのです。」


 エレノアはもう一度、家を見上げる。


 荒れた外観の向こうに、この家の未来を見ていた。


「この家を購入したいと思います。」


 その一言に、アンナは微笑み、店主は驚きながらも静かに頷いた。



不動産店へ戻ると、店主は契約書を机に並べた。


「それでは、こちらで売買のお手続きを進めさせていただきます。」


 エレノアは一枚ずつ内容を確認し、静かに署名を終える。


 店主は契約書を丁寧にしまうと、にこやかに口を開いた。


「修繕につきましては、提携しております工務店をご紹介できますが、いかがいたしましょう。」


 アンナも頷く。


「その方が安心ではありませんか?」


 エレノアは少し考え、小さく微笑んだ。


「ありがとうございます。」


「ですが、まずは私自身でもう一度見てみます。」


「必要な工事を整理して、それからお願いする職人を決めようと思います。」


 店主は少し驚いたような表情を浮かべる。


「ご自身で、ですか?」


「ええ。」


「以前、わたくしの家を直してくださった職人さんがおります。」


「もし私の判断が難しいところがあれば、その方に相談するつもりです。」


 店主は感心したように頷いた。


「そこまでお考えでしたか。」


「失礼ですが……建築のお仕事でもなさっていたのでしょうか。」


 エレノアは静かに首を横へ振る。


「いいえ。」


「家を長く守る仕事をしていただけです。」


 店を出ると、夕暮れの風が二人を迎えた。


 アンナは契約書を大切そうに抱えながら笑う。


「次は職人さんですね。」


 エレノアは、新しく手にした鍵をそっと握りしめた。


「ええ。」


「ここからが、本当の始まりよ。」

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