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公爵夫人、離婚して資産三割を手に人生をリスタートします  作者: カワカン


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第6話 継承の断絶

 エレノアが公爵家を去ってから、一か月が過ぎた。


 季節は春から初夏へ移り、庭園には色とりどりの花が咲き誇っている。


 その美しい景色を眺めながら、リリアは胸を躍らせていた。


 幼い頃から思い描いてきた。


 公爵夫人という、誰もが憧れる地位。


 華やかな舞踏会。


 貴婦人たちとの優雅なお茶会。


 社交界で交わされる洗練された会話。


 丹精込めて手入れされた庭園を散策する午後。


 領民や貴族たちから尊敬され、誰もが微笑みかけてくれる毎日。


 そんな暮らしが、自分を待っているのだと思っていた。


 しかし、その期待は公爵邸で過ごした最初の数日で、静かに崩れていく。


「奥様、本日ご確認いただきたい契約書でございます。」


「こちらは孤児院への支援金の報告です。」


「温室修繕の見積書が届いております。」


「領内三村から春の収穫報告が参っております。」


 朝、執務室へ入れば、机の上には書類が積み上がっている。


 契約書。


 帳簿。


 修繕計画。


 領民への支援。


 商会との交渉。


 使用人からの報告。


 一枚片付ければ、また一枚。


 一つ終えれば、また次の仕事が運ばれてくる。


 リリアは困惑したように机の上を見渡した。


「……公爵夫人とは、このようなお仕事ばかりなのですか?」


 その問いに、執務室の隅で控えていたセバスチャンは表情を変えず、一礼する。


「はい。」


 短い返事だった。


 だが、その一言には長年公爵家を支えてきた執事としての確信が込められていた。


「公爵夫人とは、公爵家を預かるお役目でございます。」


「舞踏会や社交も務めの一つではございますが、それは数ある役目の一部に過ぎません。」


「この屋敷を支え、領地を支え、多くの者の暮らしを支えること。それこそが、公爵夫人の最も大きな務めでございます。」


 リリアは返す言葉を失った。


 公爵夫人とは、華やかな身分だと思っていた。


 しかし、その実態は、終わりの見えない仕事の積み重ねだったのである。



リリアは、公爵夫人としての務めを果たそうと努力していた。


 朝から執務室に入り、契約書へ目を通し、帳簿を確認し、報告書に目を通す。


 分からないことがあればセバスチャンへ尋ね、商会との面会にも同席する。


 決して仕事を放り出しているわけではない。


 ただ、一つひとつの仕事に思っていた以上の時間がかかった。


「これほど毎日あるとは思いませんでした……。」


 積み上がる書類を前に、思わず本音が漏れる。


 セバスチャンは静かに答えた。


「公爵家には毎日、多くの報告が届きます。領地は止まりませんので。」


 その日は、王都で開かれる社交会の日でもあった。


 リリアは新しく仕立てた淡い青のドレスを楽しみにしていた。


 だが、昼を過ぎても執務は終わらない。


「奥様、こちらは北部農園との契約更新書類です。」


「こちらは橋の修繕費の見積書でございます。」


「こちらは孤児院からの支援要請です。」


 一つ片付けば、また一つ。


 机の上の書類は減るどころか、次々と積み重なっていく。


 窓の外では、馬車が社交会へ向かう貴族たちを乗せて王都へ走っていく。


 その音に耳を傾けながら、リリアは小さくため息をついた。


「……今日は楽しみにしていたのですが。」


 責めるような口調ではない。


 ただ、少しだけ残念そうに呟いただけだった。


 セバスチャンは返事をしない。


 ただ静かに、次の書類を机の上へ置いた。



それからの日々も、執務は続いた。


 契約書への署名。


 領地の予算確認。


 屋敷や橋の修繕計画。


 商会からの報告。


 孤児院への支援。


 使用人たちからの相談。


 一つ終われば、また一つ。


 公爵家の仕事に終わりはなかった。


 リリアは懸命に取り組んだ。


 それでも、机の上から書類がなくなる日は一度もない。


 夕暮れ。


 窓から差し込む橙色の光が執務室を染める頃、リリアは羽根ペンを置いた。


「……今日はここまでにしましょう。」


 まだ数枚の書類が残っている。


 契約更新の依頼。


 修繕費の見積書。


 商会から届いた報告書。


 どれも急ぎとは書かれていない。


「明日でも、大丈夫ですよね。」


 そう呟くと、リリアは書類を丁寧に重ね、席を立った。


 明日やればいい。


 一日くらい変わらない。


 そう思っただけだった。


 セバスチャンは黙ってその様子を見送る。


 止めることはしない。


 止める資格は、自分にはない。


 執事の務めは仕えること。


 主人の判断を覆すことではないのだから。


 静かになった執務室には、翌日へ回された書類だけが残されていた。



夕暮れ。


 ようやく最後の書類へ目を通したリリアは、深く息をついた。


 肩が重い。


 指先には、長時間ペンを握っていた疲れが残っていた。


 机の上には、翌日に回した書類がまだ数枚残っている。


 リリアは、その束を見つめながら小さく呟いた。


「……毎日、この量なのですね。」


「はい。」


 セバスチャンは静かに頷いた。


「奥様がお越しになる前も。」


「エレノア様がおられた頃も。」


「その前の公爵夫人も。」


「毎日でございます。」


 リリアは思わず顔を上げた。


「毎日……?」


「はい。」


「一日として、途切れることはございません。」


 執務室は静まり返る。


 リリアは、ふと窓の外へ目を向けた。


 これまで憧れていた公爵夫人の姿。


 華やかな舞踏会。


 優雅なお茶会。


 貴族たちとの社交。


 その裏で、毎日これほどの仕事を積み重ねていたのだろうか。


 今になってようやく理解する。


 公爵夫人とは、美しい肩書きではない。


 公爵家を支える、一つの役職だったのである。



夜も更け、屋敷は静けさに包まれていた。


 執務室には、卓上のランプだけが淡く灯っている。


 リリアは椅子にもたれ、小さく息をついた。


 今日も一日、机に向かっていた。


 ようやく終わったと思っても、視線を落とせば、まだ数枚の書類が残っている。


 契約更新の依頼。


 商会からの報告。


 修繕費の見積書。


 どれも急ぎとは書かれていない。


 リリアは疲れたように微笑んだ。


「……明日にしましょう。」


 そう言って書類を丁寧に重ねると、ランプの火を吹き消した。


 部屋は闇に包まれる。


 誰もいなくなった執務室。


 月明かりだけが机を照らしていた。


 その光の中に、一番上になった一枚の書類が静かに残されている。


 『商会契約更新のご案内』


 それは、明日まで待つことになった。

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