07.下りる女*
「おはようございます。朝から大変そうですね?」
「いいえぇ? 朝寝坊してしまったので……。おはようございます」
「お休みなんですから、ゆっくりして居らしたら、よかったのですよ」
「日曜は、私もゆっくりしていますから」と、にっこりして赤井さんは付け足す。
「そ、そうなんですね……」
それって、今朝はイベントがあっただろうから早く来た、と言っているに等しいですよ?
昨夜のことを見透かされていて顔から火を吹きそう……。
だけど……何でもない、いつもと変わらない……平凡な週末の朝の態を装った。
「朝食はできています。いつでも召し上がれますから」
「ありがとうございます。その……片付けが終わったら食べに行きますね」
「片付けは後になさったら、どうです?」
なんなら、わたくしどもの領分ですから任せてくださいと、なんとも説得力のあるお言葉をいただいた。
「ダ、ダイジョブです……」
分かっているけど……いつかは気にせず任せてしまえるようになるのかも知れないけれど、今はまだそこまで達観できるところまでにボクは到ってない。
そう赤井さんと立ち話をしている内にマキナさんが浴室から出てきた。ナイスタイミング!
「下着はこちらです」
「あ、ああ。ありがと」
改めて替え着の存在をマキナさんに知らせると、逃げるようにボクは部屋へ急いだ。
「マキナさん、こう言う時は……」
後ろで赤井さんが、何か言ってる。急いでいるボクは気にせず歩みを進める。
窓を開けていたので匂いは薄らいだ。掛け布団を確認すると、これは洗濯不可避だと分かる。
かなり染みついている。シーツは無惨で下まで透き通って浸みているが、マットが撥水加工でシーツの汚れていないところで拭うと汚れが落ちる。
シーツの汚れ部分をを包み込んで、端の方でマットレスを拭き上げた。
汚れものを抱えて下り、ランドリー室の洗濯機に突っ込もうにも全ては入らない。
掛け布団は避けるとしても、シーツと下着を一緒に洗うのはダメだよね?
ボクたちの肌着を握りしめて固まっていると、赤井さんがランドリーに顔を出した。
「キョウ様、食事になさってください。あとはやっておきます」
「すみません。お願いしていいですか?」
「もちろんです」
結局、赤井さんに任せてボクは逃げ出してしまった。恥ずかし~い。
ダイニングに入るとマキナさんの食事は終わりかけていた。
「早く食べにくれば良かったのに」
「ちょっと、部屋を片付けていましたから」
夕べは二人で汚しましたよね、と暗に皮肉を込めて言ってみた。
「赤井さんがしてくれるんだから、任せればいいんだよ」
君は、しなくていいと言っただろうと、確認してくる。ボクは、まだそれ程スレていませんから。
ましてや、自分の汚したものを易々《やすやす》と人に預けられはしない、今はまだ。
朝食は、焼き鮭とワカメと豆腐のお味噌汁だった。
食事しながら、今日の予定を確認する。食後ゆっくりしたあと十時頃に買い物に行くと決めた。
「──買い物の帰りに君の家に寄るから荷物を取ってくればいい」
「はい、ありがとうございます」
ああ、そう言えば、また気になる事ができていた。
「マキナさん、部屋のクローゼットの謎の続きなんですけど……。衣装のある中に鏡があると嬉しいですが、外面だと着替えたあとの確認にしか使えません」
比べる服を持って出て、外で体に当てて見ていたのでは、中から外へ何度も往き来しないといけない。
まあ、外にいてメイドさんに持って来させれば問題ないようなものだけど。
「それは、ベッドに服を並べておいて、それを体に当てて見比べれば外でも問題ないんじゃないか?」
そうか、その手もあるか……う~ん。
「ごちそう様。私は部屋にいる」
「はい」
考え込むボクを後目に食器を片付けコーヒーを汲むとマキナさんはダイニングを出ていった。
何か、まだ腑に落ちない感じだ。そう思って思い出す。マキナさんに組伏せられている時、全て女性に任せて天井のシミでも数えて……って、教えを思い出していたんだ。
でもね、ベッドの天蓋の天井を見てもシミなんてなかったんだよ。暗やみの中でボクとマキナさんの白い肌が映っていた。
そんなところまで鏡が……と思ってたんだけど。もしかして、鏡好きなだけ?
「夕方、戻ります」
留守を預かる赤井さんには昼食は現地で取ると伝えて、マキナさんの車で出発する。目的地は近くのショッピングモールだ。
実は、お見合いに着たワンピースを買ったところでもある。郊外なので母が運転するレンタカーで行った。
ボクの買い物は通販を利用するのが普通で、めったに出かけない。出かけても混雑する休日は極力避ける。
やむを得ない場合は、母や姉に付いて来てもらっていた。お見合いに着ていくので実物を確認したかったかららしい。
実際、今まで通販で問題なかったんだから、通販にすれば良かったと思うけど、タイムラグなしに手に入れるのを優先したようだ。
小一時間走って丘陵地にあるモールに着いた。休日なので人がそこそこいる。
車を降りて建物へ歩きだすと、つい自然にマキナさんの手をとった。迷子にならないようにと、人混みに負けないように。
なにより、ごった返す場所には慣れていないので。今はマキナに頼るしかないんだ。
手をつないだらマキナさんは、ビクっと震え驚いた顔でボクを見てくる。初対面でも手首を掴まえて歩いたじゃないですか?
驚くほどでもないと思うんだ。ボクは、振り返って見てくるマキナに微笑んだ。
建物に入るとエスカレーターで二階の専門店へ。まずは、訪問着を何にするか、かな?
着物の店に入ると、落ち着いた春用の着物と搾り柄の藍染めの着物を見繕ってもらう。
ボクは立っているだけ。体に裑を当てて選んでいく、マキナさんが。
地の色が淡緑で、水辺にアヤメが咲いている柄に決めると、帯のチョイス。ハデで落ち着いてはいないと思うんだけど黙っている。
数ある帯の中から萌黄色の帯を選んだので驚いている。色調は同じだけど、目を凝らして見るとキラキラした花柄が刺繍されていて目立ちます。
帯が決まると下着姿になって……いや、ならなくても良くない? と思っていると肌襦袢を着せられ、なんか腹パッドみたいなものを当てて体型を調整してる。
「男?! 男のかたなんです、か?」
「そうだよ。婚約の報告に使う服がないので見繕っているんだ」
ボクはお腹が淋しいので嵩増しするんだとか。その段階になって店員さんたちが、ボクを男と認識した。
そこから店員さんたちが、おかしくなった。壊れたロボットみたいにカクカク動きがぎこちなくなるし、極力触れないようにしてくれたり、挙げ句ボクの方を見るのは伏し目がちで直接見ないようにしているし。
かと言って、チラチラ見てきてはいるんだよね。仕事上、体を触れられるくらいで、セクハラとか暴行で訴えたりしませんよ?
動きがスローになり、所々におしゃべりしていたのが無くなって、襦袢や帯留めを注文したら終わりのところにやっとこぎ着けた。
もう1セット、藍染めの着物を決める頃には、くたくたになった。お昼はまだかな?
着物は預かってもらって、訪問当日、家に持って来て着付けをしてくれる手筈になった。
「もう、手は洗わない」とか「眼福~。な、生で、は、裸、見ちゃった」とか「こんな、こんな幸せ……死ぬの、私……」とか店をあとにしていると、不穏な言葉が聴こえてきたが、ボクは知らな~い。