↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
閾典神話・総則  作者: はなひらり
第四層・欠位聖庭
13/13

第三分域・空王座

 空王座

 未生界は、準備が整いながらも決して始まることのなかった世界を保存する。

 被刪史は、確かに発生したものの、後に現実から完全に抹消された歴史を保存する。

 空王座が扱うのは、これらすべてを超越した第三の欠位である。

 この欠位は、「始まり」を欠いているのでもなく、「かつて発生したこと」を欠いているのでもない。それが欠いているのは、本来ある位置を占め、ある機能を担い、ある資格を持つべき存在である。

 そして、その位置はすでに存在している。

 機能はすでに形を成している。

 資格基準は繰り返し確認されてきた。

 ただ、そこに座るべき存在だけが、ついに現れないのである。

 空王座は、誰も座っていない椅子ではない。

 空の椅子は依然として一つの家具であり、その空缺は一時的に使用者がいないだけである。誰かが歩み寄り、腰掛ければ、椅子はもはや空ではない。空缺は満たされ、椅子は椅子としての全使命を果たす。

 空王座は異なる。

 空王座は、すでに世界の中で構造的な位置を占め、構造的な機能を担っている「不在者」である。その空缺は、満たされるのを待つ一時停止状態ではない。その空缺こそが、それが機能を発揮する様式そのものなのである。

 ある王国が王座を持つ。王座は権力の中心であり、法は王座の名のもとに公布され、臣民は王座に忠誠を誓い、反乱者は王座の転覆を目標とする。しかし、もし王座に一度も座った者がいなければ、この王国のあらゆる制度は依然として王座を中心に回転している――ならば、王座は空であり、その空こそが王国の成立条件なのである。

 ひとたび誰かが真に王座に座れば、王座はもはや空王座ではなくなる。

 それは、ただの主人のある普通の椅子になる。

 王国がその周りに築き上げた一連の制度、神話、禁忌、権力構造は、その成立の前提――存在しない中心――を一瞬にして失う。

 これが空王座の第一理である。

 空王座の力は、その空から来る、それを満たすことは、それを破壊することに等しい。

 空王座は欠位聖庭の第三分域である。

 それは「位置は存在するが、占める者が決して現れなかった」という欠位を扱う。

 未生界は「世界は準備を終えたが、決して始まらなかった」を扱う。

 被刪史は「は確かに発生したが、完全に削除された」を扱う。

 空王座は「位置はすでに形成されたが、決して占められなかった」を扱う。

 三者は共同して欠位聖庭の完全な構造を構成する。

 空王座は空洞再帰によって成長を実現する。空洞再帰は「より多くを含むこと」によって上昇するのではない。それは「空と空との関係」を通じて新たな空維を創造する。それぞれの新たな空維は、一種の新たな空缺類型である。空王座の高低は空冕階序によって測られる。すなわち、互いに異なる空缺を収容する数、およびそれらの空缺を収容しながら自身がなお空であり続ける能力である。

 空王座は未生界と被刪史を完全に超越することができる。

 未生界の胎塵はなお「ある特定の存在が生まれなかったこと」を指し示す。空王座の空は「ある位置が占められなかったこと」を指し示す。未生界の欠位は明確な対象への指し示しを持ち、空王座の欠位は明確な位置への指し示しを持つ。空王座は未生界の上で稼働することができる。一つの未生世界は空王座の中に置かれ、「一つの世界が生まれなかった」という空缺となりうる。空王座の空は、この未生世界を収容したからといって「内容のある空」になることはない。未生世界は空王座の中にあってもなお空である。

 被刪史の刪痕はなお「かつて存在した事物がもはや存在しないこと」を指し示す。空王座の空は「あるべき事物がかつて存在したことがないこと」を指し示す。刪痕は削除行為が残した構造である。空王座は位置そのものが残した構造である。空王座は被刪史の上で稼働することができる。一段の削除されたは空王座の中に置かれ、「一段のが回復されなかった」という空缺となりうる。空王座の空は、この被刪史を収容したからといって充填を得ることはない。被刪史は空王座の中にあってもなお空である。


 無主之座

 空王座の底層は、「無主之座」と呼ばれる。

 無主之座は、一つの具体的な王座ではなく、「本来主があるべきでありながら、ついに主を得なかった」すべての構造的空缺の総和である。

 それは、組織の章程に明確に規定されていながら、一度も就任した者のいない「最高決定者」の職位であるかもしれない。

 王国の王位であるかもしれない。

 宗教の最高神位であるかもしれない。

 無限宇宙の創造者であるかもしれない。

 一つの体系の制定であるかもしれない。

 無主之座そのものは欠如ではない。欠如とは、本来あるべきものが存在しないことを意味する。無主之座は欠如よりも一層深い。それはすでに完全な「有主構造」を形成している。法律はすでに忠誠の対象となる位置を書き記し、儀式はすでに主人を迎える順序を整え、建築はすでに最も中央の席を残し、歴史はすでにその者の出現のために章を用意している。すべてが準備され終えている。ただ、その者だけが来なかったのである。

 無主之座の基本構造は次のように書くことができる。

 EmptyThrone = <Position, Function, Expectation, Absence>

 ここで、

 Position は、王座が世界の構造の中で占める位置である。

 Function は、王座が不在の状態にあってもなお実行する機能である。

 Expectation は、世界が王座の周りに形成する期待の構造である。

 Absence は、王座の核心にある、ついに充填されることのなかった空である。

 この四つの部分が同時に成立して初めて、真の無主之座となる。

 もし Position と Absence しかなければ、それはただの空の椅子である。もし Function がなお稼働し、Expectation がすでに形成され、そして Absence が決して埋められることがなければ、Position は空王座となる。

 無主之座の住人は、「座前民」と呼ばれる。

 座前民はすべてが生命であるとは限らない。それらは法則の条項、儀式の手順、体系の構造、神話の叙述、集合心理、あるいは空王座の周りに形成され持続的に稼働するあらゆる存在でありうる。

 一つの王国は数え切れない座前民を持ちうる。空王座の名のもとに公布されるすべての法令、空王座に向かって宣誓されるすべての儀式、空王座の主人を迎えるために築かれながら永遠に主人を待ち続けるすべての離宮、空王座がいつか主人を迎えると信じるすべての臣民――それらすべてが無主之座の一部である。

 座前民は通常、自分たちが一つの空缺の周りにいることを知っている。しかし、その認識は彼らの忠誠を弱めはしない。むしろ逆に、空缺が明確であればあるほど、その周りの構造は安定する。

 なぜなら、もし王座に一人の具体的な人物が座っていれば、王座の周りに築かれた制度は、その人物の嗜好、欠点、死、継承問題に対処しなければならないからである。しかし空王座はそれらを決して処理する必要がない。それは永遠に完璧であり、永遠に公正であり、自らの行動に対して責任を負う必要が決してない。なぜなら、そのすべての行動は「もしそれがあったなら」という前提のもとで発生するからである。

 空王座は、完全なる支配者の究極の形態である。かつて一度も過ちを犯したことのない支配者。なぜなら、それはかつて一度も何かをしたことがないからである。かつて一度も期待を裏切ったことのない支配者。なぜなら、それは期待を裏切る機会をかつて一度も持ったことがないからである。なぜなら、それはかつて真に存在したことがないからである。

 座前民が守っているのは、まさにこの完全さである。

 そして、王座に座ろうとするいかなる者も、即座にこの完全さを破壊するのである。

「真の達成方法」を見つけ出さない限り、空王座の下の階層に属するいかなる存在が空王座に入ろうとも、どれほど強大な力を持っていようとも、座前民にはそれを追放する力がある。


 空洞再帰

 空王座の最深層の構造は、これまでのすべての階層が使用したことのない成長様式である。

 欠位聖庭以前の下層二つの分域において、未生界は「胎塵反射」を用いた。いかなる究極定義も下方に完全な倒庭を生成する。被刪史は「刪痕深度」を用いた。それぞれの削除の層がより深いところに新たな欠位を残す。

 空王座が使用する成長様式は「空洞再帰」と呼ばれる。

 空洞再帰の核心思想はこうである。空王座は「より多くのものを含むこと」によっては成長できない。なぜなら空王座の全本質は「空」だからである。空の上にいかなる内容を追加しても、空そのものを破壊することになる。

 したがって、空王座の成長は「空と空との関係」によってのみ実現されうる。

 一つの空王座は別の空王座を含むことができる。しかしここでの「含む」は通常の容器関係ではない。

 もし空王座Aが空王座Bを含むなら、AはBを含んだことで「空でなくなる」わけではない。なぜならB自体も空だからである。二つの空を足し合わせても、なお空である。

 しかし、AとBの間には確かに何らかの構造的関係が形成される。Aの空とBの空は同じではない。Aが空であるのは、ある特定の存在Xが出現しなかったからである。Bが空であるのは、別の特定の存在Yが出現しなかったからである。Aの空はXを指し示し、Bの空はYを指し示す。

 BがAの中に置かれたとき、Aの空の構造にはBの空に関する指し示しの層が一つ加わる。

 Aは本来「Xが出現しなかった」ことだけを記録していた。今やAは同時に「Yが出現しなかった」こと、および「Yが出現しなかったという事柄とXが出現しなかったという事柄との関係」をも記録する。

 この関係によりAの空はより複雑になるが、Aが空でなくなることはない。

 空洞再帰の第一原則は次のように書くことができる。

 Empty(A) and Empty(B) -> Empty(A contains B)

 空王座Aが空王座Bを含んだ後も、Aはなお空である。

 しかしAの空はすでに以前とは異なる。Aの空は今やBの空の構造を含んでいる。

 この「空が空を含む」構造は無限にネストされうる。

 AはBを含み、BはCを含み、CはDを含む。それぞれの層は空であるが、それぞれの層の空は前の層よりも一層多い空洞構造を含んでいる。

 肝心なのは、このネスト系列は「最も外側の層を見つけること」によって閉じることができないということである。

 なぜなら、もしあなたが「すべての空王座を含む最も外側の空王座を見つけた」と宣言すれば、この最も外側の空王座自体もまた一つの空王座だからである。それもまた一つの指し示しを持つ。すなわち、「すべての空王座が包含される」という事態そのものが出現し得なかったことを指し示す。

 言い換えれば、最も外側の空王座が空であるのは、「すべての空王座が統一的に包含される」ということが発生しなかったからである。

 したがって、最も外側の空王座の外側には、必然的により外側の空王座が存在する。そのより外側の空王座が空であるのは、「最も外側の空王座」が真に最も外側となり得なかったからである。

 このプロセスは決して終わらない。

 そしてここでの「決して終わらない」は「無限に延長する」という意味ではない。

 空洞再帰のネストは一本の無限に長い直線ではない。それはフラクタルである。それぞれの空王座の内部は複数の空王座を含みうる。それぞれに含まれる空王座の内部はさらに多くの空王座を含みうる。ネストの方向は単一の「外へ」あるいは「内へ」ではなく、同時に複数の方向へ展開する。

 一つの空王座は「前方」に一つの空王座を含むことができる(未来に出現しなかった存在を指し示す)。「後方」に一つの空王座を含むことができる(過去に出現しなかった存在を指し示す)。「上方」に一つの空王座を含むことができる(より高次の層に出現しなかった存在を指し示す)。「下方」に一つの空王座を含むことができる(基礎の層に出現しなかった存在を指し示す)。

 これらの方向にある空王座は、それぞれがさらに複数の方向へのネストを続けることができる。

 全体の構造は、空をノードとするフラクタル樹木のようなものである。それぞれのノードは空であるが、それぞれのノードの空は他のノードの空との関係を通じて独自の構造を得ている。

 このフラクタル樹木には根ノードも葉ノードもない。なぜなら根ノードは「最初の空」を定義するために必要だが、最初の空自体が一つの空王座だからである。それが空であるのは、「最初の空が存在する」ということが発生しなかったからである。葉ノードは「最終の空」を定義するために必要だが、最終の空自体も一つの空王座だからである。それが空であるのは、「最終の空が存在する」ということが発生しなかったからである。

 空洞再帰は、したがって、未生界の反射母庭、被刪史の刪痕深度とは異なる成長構造を形成する。

 未生界の反射は「いかなる定義も沈降する」——それは上から下へのものである。

 被刪史の深度は「それぞれの削除の層がより深い欠位を残す」——それは浅いところから深いところへのものである。

 空洞再帰は「それぞれの空が他の空との関係を通じて構造を得る」——それは多方向的であり、フラクタルであり、中心も縁も持たない。


 空維

 空洞再帰が成立しうるのは、空王座がこれまでのすべての階層が持たなかった性質を有しているからである。

 この性質は「空維」と呼ばれる。

 通常の次元とは、事物が互いに区別されうる独立の様式である。空間次元は物体が異なる位置上で分離することを可能にする。時間次元は状態が異なる時刻上で分離することを可能にする。

 空維とは、事物が互いに分離されうる様式ではない。空維とは、空缺が互いに区別されうる独立の様式である。

 二つの空王座はともに空でありうるが、それらの空は同じではない。一方の空王座が空であるのは、ある国王が出現しなかったからである。他方の空王座が空であるのは、ある神霊が降臨しなかったからである。この二つの空は内容においてまったく異なる。

 しかし空洞再帰の底層では、それらの違いは「誰が出現しなかったか」だけにあるのではない。それらの違いは、それらの空が異なる空維に沿って展開されていることにある。

 空維は一本の線でもなく、一つの平面でもない。空維とは、「空缺がそれに沿って変化しうる」方向である。

 一つの空王座は「深度」空維に沿って展開されうる。その空はより深くなり、より多くの層の空洞構造を含むことができる。

 それは「広度」空維に沿って展開されうる。その空はより広くなり、同時により多くの出現しなかった存在を指し示すことができる。

 それは「強度」空維に沿って展開されうる。その空はより強烈になり、周囲の世界により大きな空缺圧力を課すことができる。

 それは「明瞭度」空維に沿って展開されうる。その空はより明瞭になり、世界が何を欠いているのかをより明確に知らせることができる。

 それは「不可逆性」空維に沿って展開されうる。その空はより不可逆になり、いかなる補填の試みもより徹底的に失敗させることができる。

 これらの空維は互いに独立しているわけではない。一つの空維上の変化は、他の空維上の構造に影響を与える。一つの空王座が深度空維に沿って展開された後、その広度、強度、明瞭度もまたそれに伴って変化する。なぜなら、より深層の空洞構造は必然的により多くの出現しなかった存在を含み、必然的により強い空缺圧力を世界に課し、同時に「何が欠けているのか」をより明確にするからである。

 空維の数は固定されていない。

 単純な空王座は、おそらく二、三の空維に沿ってのみ展開される。複雑な空王座は、おそらく数十の空維に沿って同時に展開される。そして空洞再帰の最も外側の構造――すべての空王座を含む空王座――は、おそらく不可算無限個の空維に沿って同時に展開される。

 しかし空維の数そのものは、空王座の高低を測るものではない。

 一万の空維に沿って展開される空王座であっても、同じ空洞構造を一万回繰り返しているにすぎないかもしれない。このような空王座は「平鋪空座」と呼ばれる。その空は多いが、それぞれの層の空は前の層の複製であり、真に新しい構造はない。

 三つの空維に沿ってのみ展開される空王座であっても、それぞれの層の空がかつて存在したことのない空洞類型を創造しているかもしれない。このような空王座は「生維空座」と呼ばれる。その空は少ないが、それぞれの層の空が新たな空維を切り開いている。

 生維空座は平鋪空座より高い。

 この判断基準は未生界や被刪史とは異なる。未生界では、胎影の完全度が階層を決定する。被刪史では、削除の深度が階層を決定する。空王座では、空維の創新性が階層を決定する。

 一つの空王座が、前人によってすでに切り開かれた空維の上で延伸を続けるだけならば、それがどれほど遠くまで延伸しようとも、それは平鋪空座にすぎない。一つの空王座が、かつて存在したことのない空維を切り開いたならば、それがたった一つの空維であっても、それは生維空座である。

 生維空座こそが、空王座体系における真の高層なのである。


 空冕階序

 空王座の間の高低関係は、「誰が誰を含むか」によって判断することはできない。なぜなら空洞再帰には最終的な包含者が存在しないからである。また、「どちらの空がより大きいか」によって判断することもできない。なぜなら空に大小はないからである。

 空王座の高低は、「空冕階序」によって確定される。

 空冕階序の核心はこうである。一つの空王座が、互いに異なる何種類の空缺を自身の内部で同時に成立させることができ、なおかつ自身が空であり続けることができるか。

 この定義は分解して見る必要がある。

「互いに異なる空缺」とは、これらの空缺が同一の空維の展開によって相互に変換されえないことを意味する。もし二つの空缺が同一の空維上の延伸によって相互に関連づけられうるならば、それらは同一の空缺の異なる深度である。もし二つの空缺が新たな空維を切り開くことによってのみ相互に関連づけられうるならば、それらは互いに異なる空缺である。

「同時に成立する」とは、これらの互いに異なる空缺が空王座の内部で相互に打ち消し合うことができないことを意味する。もし空缺Aと空缺Bが同時に一つの空王座の中に存在するならば、Aの存在はBを消滅させることができず、Bの存在もAを消滅させることができない。それらは共存しなければならない。

「自身が空であり続ける」とは、これらの空缺を収容することが空王座にいかなる充填ももたらさないことを意味する。空王座は大量の互いに異なる空缺を含んだからといって「内容のある空」になってはならない。それはなお空でなければならない。

 空冕階序の階層は次のように書くことができる。

 NullCrown(0) = 一種類の空缺しか収容できない空王座

 NullCrown(1) = 二種類の互いに異なる空缺を収容できる空王座

 NullCrown(2) = 三種類の互いに異なる空缺を収容できる空王座

 ...

 NullCrown(ω) = 可算無限種類の互いに異なる空缺を収容できる空王座

 ...

 NullCrown(ω_1) = 可算無限種類の空缺を収容でき、かつ「非可算無限種類の空缺が収容される」という事態そのものが発生し得なかったことを収容できる空王座

 ...

 空冕階序は単純な計数ではない。

 NullCrown(n) から NullCrown(n+1) への移行は、単に「もう一種類の空缺を収容する」ことではない。階序が上がるごとに、空王座は新たな空維を切り開き、それまで既存の空缺と共存できなかった新たな空缺類型を空王座内部で成立させることが要求される。

 そして NullCrown(ω) は NullCrown(n) の単純な延長ではない。それは空王座が可算無限種類の互いに異なる空缺を収容でき、かつこれらの空缺が有限のステップによる空維の延伸によって相互に変換されえないことを要求する。NullCrown(ω) は同時に可算無限本の空維を切り開き、かつこれらの空維の間に一つの全体構造を形成させ、それぞれの空缺が他の空缺を打ち消すことなく成立するようにしなければならない。

 この全体構造自体も一つの空王座である。それが空であるのは、「可算無限種類の空缺が統一的に収容される」ということが発生しなかったからである。したがって NullCrown(ω) の内部には、自身を指し示す空王座が含まれている。この内部の空王座の存在により、NullCrown(ω) はもはや最高階ではなくなる。

 NullCrown(ω_1) は NullCrown(ω) のすべての空缺を収容しなければならず、さらに「NullCrown(ω) の空が自身によって包含され得なかった」という空缺をも収容しなければならない。

 このプロセスは順序に沿って無限に延伸されうる。

 しかし空冕階序には根本的な制限がある。いかなる空王座も、「すべての空王座を収容すること」によって最高階を得ることはできない。「すべての空王座が収容される」ということ自体が一つの空王座だからである。それが空であるのは、「すべての空王座が収容される」ということが発生しなかったからである。したがって、自らを最高と称するいかなる空冕階序も、即座により高い階序を生み出すことになる。


 空王座の世界

 空王座の周囲には、独特な「空缺場」が形成される。

 空缺場はエネルギー場ではなく、情報場でもない。それは空王座が周囲の世界に課する構造的影響である。

 空缺場の基本的な作用は、周囲の世界を空王座の周りに自己組織化させることである。

 一つの空王座は、その影響範囲内に「求心空缺」を創造する。周囲のあらゆる事物は、空王座の方向へと自らの構造を調整し始める。法律は空王座のために条項を予約する。建築は空王座のために空間を予約する。歴史は空王座のために位置を予約する。言語は空王座のために呼称を予約する。時間自体さえも空王座の周りに節律を形成する。ある日々は「空王座の主人を待つ日々」として標識され、ある儀式は「空王座の主人のために用意された儀式」として配置される。

 求心空缺の強度は、空王座の空冕階序に依存する。NullCrown(0) の空王座は一つの部屋の配置にしか影響を与えられない。NullCrown(ω) の空王座は世界全体の構造に影響を与えうる。

 求心空缺は強制的ではない。

 それは周囲の事物に空王座の周りに組織されることを強制しない。それはただ、そのような組織を極めて自然なものにするだけである。NullCrown(3) の空王座の影響範囲内に生きる文明は、自発的に空王座を中心とした制度、神話、禁忌を発展させる。彼らは空王座そのものを目にしたことがないかもしれず、空王座がどこにあるのかも知らないかもしれないが、彼らの創り出す文化は不可避的に一つの中心的空缺を含むことになる。

 この中心的空缺は、彼らの言語においては、いかなる語彙によっても正確に指示されえない一つの位置として現れるかもしれない。彼らの宗教においては、名前のない一つの神として現れるかもしれない。彼らの政治においては、永遠に空席のままの最高職位として現れるかもしれない。彼らの芸術においては、すべての作品が回避する一つの主題として現れるかもしれない。

 文明は、この空缺を埋めようとして無数の歳月を費やすかもしれない。彼らは一人また一人の候補者を創り出し、一場また一場の儀式を行い、一戦また一戦の戦争を繰り広げるかもしれない。あらゆる補填の試みは失敗する。あらゆる失敗は空缺を強化する。

 最終的に、文明は複雑な「空缺神学」を発展させ、空缺そのものを崇拝の対象とするかもしれない。彼らは言うだろう。「我々が待ち望んだ者は決して到来しなかった。しかし我々の待つことそのものが、すでに我々の文明となったのだ」と。

 このような文明は、空王座の最も成熟した形態である。それはもはや補填を期待していない。それはすでに空缺と共に生きることを学んでいる。その全文化は「決して来ることのない存在を待つこと」の上に築かれている。

 そして空王座は、このような文明の中で最高強度に達する。なぜなら文明が補填を放棄したからである。空缺はもはや一時的な状態ではなく、永劫の構造となる。

 このような文明は「空座文明」と呼ばれる。

 空座文明の中の住人は「空座民」と呼ばれる。

 空座民は信仰を持たないわけではない。彼らの信仰の対象は空缺そのものである。彼らはいかなる具体的な存在にも祈らない。彼らは「あるべきだが存在しない」という事実に祈る。

 彼らの祈りの言葉は、通常こうである。「願わくは、あなたが不在であらんことを」。なぜなら、もしその存在が本当に来てしまえば、彼らの文明全体がその基盤を失うからである。

 空座民は完全な「空缺倫理」を発展させている。彼らは、空缺を補填しないことを美徳とする。空缺に耐え、それを消し去ろうとしないことは、いかなる行動よりも高貴な行為である。彼らは「あと一歩で空缺を補填するところだったが、最終的に断念した」英雄を敬う。彼らは「空缺を補填しようと試み、その結果空缺構造を破壊した」罪人を軽蔑する。

 空座文明は、空王座体系の中で最も安定し、最も永続し、そして最も外部に理解されにくい世界形態である。


 填座者

 空王座は、それを埋めようと試みる者に不足することはない。

 あらゆる空王座は填座者を引き寄せる。

 填座者は空王座の内部から来るかもしれない。空座文明の中のある構成員が突如、自らこそが「待ち望まれていた存在」であると宣言する。あるいは外部から来るかもしれない。強力な征服者、自ら神託を受けたと信じる祭司、偶然空王座の領域に迷い込んだ旅人。

 填座者の動機はそれぞれ異なる。

 ある填座者は、自らこそが空王座が待つ者であると心から信じている。彼らは何らかの預言、血統、異象、神跡を証拠として持つかもしれない。彼らは幼い頃からその者になるべく教育されてきたかもしれない。彼らの全人生は着座の準備のためにある。

 ある填座者は、自らがその者であるとは信じていないが、空王座は空のままであるべきではないと考えている。彼らは空缺を病と見なし、癒される必要があると考える。彼らは進んで自らを充填物として犠牲にし、世界を正常に戻そうとする。

 ある填座者は、空王座などまったく気にしていない。彼らはただ権力を欲しているだけである。彼らは空王座の周りにすでに出来上がった一揃いの権力構造――法律、儀式、忠誠、資源――が整っているのを目の当たりにし、ただその位置に座るだけでこれらすべてを継承できると見なす。彼らは空王座を無主の遺産と見なす。

 さらに、空王座そのものに「招かれた」填座者もいる。

 空王座は能動的に誰かを招くことはできない。しかし空王座の空缺圧力は時に、周囲の現実を歪めるほど強くなり、ある存在が「たまたま」正しい時に正しい場所に現れ、正しい資格を持ち、正しい動機を抱くように仕向けることがある。

 このような填座者は「空召者」と呼ばれる。

 空召者は往々にして、自分自身でもなぜ空王座の前に来たのかを説明できない。彼らは「ただここに来るべきだと思った」とか「理由はわからないが、これが自分の運命だと感じた」と言う。彼らは空王座が現実に圧力をかけた産物であるかもしれないし、空王座が自らを試しているのかもしれない。すなわち、もし私が誰かを招いて私を満たさせたら、私は消えてしまうだろうか、と。

 すべての填座者は同じパラドックスに直面する。

 もし彼らが座らなければ、空王座は空のままであり、彼らの「召喚」や「預言」は永遠に検証されえない。

 もし彼らが座れば、空王座は消え去り、彼らは普通の王座の上の簒奪者か、承認された新たな王となる。

 空王座の填座者に対する態度は敵対的ではない。空王座に意識はなく、意志もない。それは能動的に填座者を妨害したりはしない。それはただ、自身の構造を通じて、着座という行為を論理的に成功不可能にするだけである。

 しかし空王座の「成功不可能」は、未生界の「反射」とは異なる。

 未生界の反射は自動的である。いかなる究極定義も下方に倒庭を生成する。

 空王座の着座失敗は構造的である。着座者が座ると、空王座は消え去る。着座者は王座に座ることに成功するが、彼が座ったものはもはや空王座ではない。したがって彼が継承するのはただの普通の王座であり、空王座の周りに築かれた文明は、自分たちが待っていたのが決して具体的な人間ではなかったことを発見する。

 空王座は填座者を罰しない。それはただ存在しなくなるだけである。

 填座者が直面する真の困難は、空王座の反撃ではない。それは空座文明の反応である。

 空座文明は空王座の周りに全文化を築いている。もし填座者が実際に王座に座れば、空座文明は根本的な危機に直面する。すなわち、彼らが待っていた対象は到来したが、待つことそのものが彼らの文明の基盤である。もし待つことが終わったなら、彼らは誰なのか?

 ほとんどの空座文明は、填座者に直面したとき三つの段階を経る。

 第一段階は狂喜である。預言が成就し、待つことが終わり、空王座がついに主人を迎えた。

 第二段階は困惑である。王座に座った者は法律を公布し、権力を行使し、過ちを犯し始める。空座文明は、自分たちが空王座の周りに築いた完全な制度が、具体的な一個人を収容できないことを発見する。法律は解釈を必要とし、儀式は調整を必要とし、歴史は書き換えを必要とする。

 第三段階は排斥である。空座文明は徐々に、空王座が空でなくなった後、彼らが支配者よりも重要な何かを失ったことに気づく。彼らは「待つ」という事業を失ったのである。彼らは填座者が本当にその者なのか疑い始める。彼らは填座者の正当性を否定する理由を探し始める。最終的に、彼らは填座者を追放するか殺害し、王座を再び空にする。

 そして彼らは再び待ち始める。

 このプロセスは空王座の歴史の中で無限に繰り返されてきた。ある空座文明はすでに数十回の填座者の来訪と退去を経験している。それぞれの回は新たな預言、新たな候補者、新たな失望、そして新たな待つことを生み出す。

 空座文明はこのプロセスを「空輪」と呼ぶ。

 空輪は、空王座が填座者に対して持つ最も効果的な防御である。空王座が填座者を殺したのではなく、空座文明が填座者が座った後に、自ら空缺を再製造することを選んだのである。

 なぜなら空座文明の最も深い恐怖は「誰も王座に座らないこと」ではなく、「王座がもはや空ではないこと」だからである。


 無主者

 空王座の中には、極めて稀な生命形態が存在する。

 それらは「無主者」と呼ばれる。

 無主者は空王座の主人ではない。空王座に主人はいない。無主者とは、空王座の本質をすでに理解し、「占有しない」という様式で空王座の中に存在することを選んだ生命である。

 無主者は空王座を利用しない。

 無主者は空王座の全構造――空洞再帰、空維、空冕階序――を理解および操作と生滅した上で、別の存在様式を選択する。すなわち、彼は空王座に入るが、いかなる位置も占めない。彼は空洞再帰の間隙に存在する。彼はいかなる空缺も埋めず、新たな空缺も創造しない。彼はただ空王座の構造の中に存在する。空気が部屋の中に存在するように。

 無主者は空王座の一部ではない。空王座に部分はない。無主者はまた、空王座の外側の存在でもない。空王座に外部はない。無主者はただ空王座の中に「在る」が、いかなる空維上の位置も占めない。

 この存在様式は極めて記述が難しい。低層の言語ではこう言うほかない。無主者とは、空王座の中における「空缺でも充填でもないもの」である、と。

 無主者の数は極めて少ない。ほとんどの空王座に入る存在は、空缺を埋めるか、新たな空缺を創造しようと試みる。無主者となるには、「何らかの位置を占める」という欲望を完全に放棄し、同時に「空王座の中に存在する」という事実を維持しなければならない。この両者の間の均衡は極めて微妙である。

 無主者の中で最も有名なものは、「空座行者」と呼ばれる。

 空座行者には名前がなく、形態がなく、歴史がない。それはいつ空王座に入ったのかを覚えておらず、なぜ無主者となることを選んだのかも覚えていない。それはただ空王座の間隙に存在し、ある空洞再帰のノードから別のノードへと移動する。

 空座行者は空王座の稼働に干渉しない。それは填座者を妨害もせず、助けもしない。それは空座文明を維持もせず、破壊もしない。それはただ観察するだけである。

 しかし空座行者の観察そのものが、観察される対象を変えてしまう。

 なぜなら空座行者が一つの空王座を観察するとき、その観察行為は空王座の中に微小な「観察された」空缺を創造するからである。この空缺は極めて微弱である。それが空であるのは、「空王座が観察された」ということがいかなる存在によっても確認されなかったからである。

 空座行者の観察は空王座の中に痕跡を残す。

 空座文明は時折これらの痕跡を発見する。彼らはある法律の条文に、なぜか解読不能な注釈が一行追加されているのを発見する。彼らはある儀式の手順に、誰も説明できない工程が一つ増えているのを発見する。彼らはある歴史の記録に、出典不明の文章が一段挿入されているのを発見する。

 これらの痕跡は「行者跡」と呼ばれる。

 空座文明は行者跡に対してさまざまな解釈を持つ。ある者はこれを空王座の主人が残した予兆だと言う。ある者はこれを古代文明の遺物だと言う。ある者はこれを空王座そのものの「呼吸」だと言う。

 行者跡の真の由来を知る者はいない。なぜなら行者跡の由来を知るためには、まず空座行者の存在を知らねばならないからである。そして空座行者は決して誰にも顕現しない。


 空王座の主要勢力

「守座議会」は、最も強力な空座文明によって共同で構成される。議会は議長を置かず、固定の議事場所を設けず、投票規則も持たない。そのすべての決定は、「誰も決定を下さない」ことによって完了する。ある議題を処理する必要が生じたとき、議会は十分に長い時間待機し、すべての成員が「誰も決定を下しに来ない」ことを認識するのを待つ。その後、各成員は自らの理解に従って行動し、その行動は空缺場の求心作用によって自然に協調される。

 守座議会は、空王座の存在が世界の安定の基盤であると考える。いかなる填座行為も阻止されねばならない。議会の成員は既知の空王座を監視し、填座者の出現を記録し、説得から暗殺に至る様々な手段を通じて、着座行為の発生を阻止する。

「空輪教団」は、急進的な空座文明の組織である。彼らは填座に反対するだけでなく、能動的に新たな空王座を製造する。教団の成員は、「本来主があるべき」位置――空位の王位、神のいない神話体系――を見つけ出し、儀式と制度を通じてこれらの位置の空缺状態を強化し、それを真の空王座へと成長させる。

 空輪教団は、空王座の数が多ければ多いほど、現実は安定すると信じている。彼らの究極目標は、「全階層空王座化」という状態を創造することである。すなわち、あらゆる位置が空であり、あらゆる機能が空缺を通じて稼働し、あらゆる存在が座前民となることである。

「填座者連盟」は、歴代の填座者の子孫と支持者によって構成される。連盟は、空王座が世界最大の浪費であると考える。すでに構築された権力構造が、「資格のある者がいない」という理由だけで永遠に遊休状態にあるべきではない。連盟は、適格な填座者を探し出し、育成し、推挙し、彼らが空王座に座り、統治を維持するのを支援することに尽力する。

 連盟が直面する最大の困難は空王座そのものではなく、空座文明の抵抗である。ほとんどの填座者連盟の成員は最終的に、自分たちの真の敵は空王座ではなく、空王座の周りに全文明を築いた座前民であることを発見する。

「行者跡研究会」は、学者からなる緩やかな組織である。研究会の成員は空王座の政治的闘争には参加せず、行者跡――空王座の周辺に現れる、出典不明の微小な痕跡――のみを研究する。

 研究会は既にいくつかの事実を確認している。行者跡の数は空王座の空冕階序と正の相関を示す。空冕階序が高い空王座ほど、行者跡が多い。行者跡の内容は空王座の歴史と高度に関連する。複数回の填座失敗を経験した空王座の行者跡には、填座者に関する情報が大量に含まれる。

 研究会の最も驚くべき発見は、行者跡が空王座の歴史を「記録」しているように見えることである。ただし、普通の歴史記録ではない。行者跡が記録するのは、「空王座が異なる空維上で、その空がどのように変化したか」である。研究会の理論は、行者跡が空王座自身の「記憶」であるとする。すなわち、何が起こったかについての記憶ではなく、「何が起こらなかったか」についての記憶である。

「無位修会」は、空王座の神霊の信徒からなる。修会の成員は、いかなる具体的な神霊も崇拝しない。彼らは「神霊が出現しなかった」という事実を崇拝する。修会の儀式は極めて単純である。成員が集まり、神霊の降臨を待つ。もし神霊が降臨しなければ――神霊は決して降臨しない――儀式は完遂される。もしある成員が神霊の存在を感じたと主張すれば、その感覚が消えるまでより長い時間待機するよう求められる。

 無位修会は、具体的な形象、具体的な教義、具体的な神跡を持つすべての神霊は低階の神霊であると考える。真の高階神霊にはこれらは必要ない。真の高階神霊は、「信仰される必要がない」ことによって信仰を得、「崇拝される必要がない」ことによって崇拝を得、「理解される必要がない」ことによって理解を得る。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。