彼女の本当
長野飛鳥は一人っ子である。
両親は初めての子育て体験に戸惑いがあったようで、毎日のように謝罪の言葉を掛けられていた。
「ごめんね。飛鳥は悪くないからね。私達大人がちょっと良くないだけだから」
「こちらこそ、わざわざありがとう!」
飛鳥は笑顔を振る舞った。
「飛鳥はいい笑顔をするからね。いつまでも笑っててね」
「うん、アスカずっと笑ってるよ!」
飛鳥は毎日、明るい笑顔を提供した。両親がそれを見て褒めてくれたからだ。
自分が笑顔になると周囲も笑顔になる。これが嬉しくて、飛鳥は毎日笑顔を作った。
学校でも同様に、飛鳥は笑顔だった。やがて飛鳥はクラスの人気者になる。そうなればもう安息の地はない。笑顔でいなきゃ――強い思いで飛鳥は笑顔を作った。
嬉しくてやっていたことは、いつしか強い義務感を伴っていった。
家に帰ると、両親は毎日のように衝突していた。なぜそんなにいがみ合うのか、飛鳥には良く分からない。しかし飛鳥が笑顔を作ると二人も笑顔になる。それはれっきとした事実だった。
だからそれで良いと思った。笑顔でいれば周囲の怒りは鎮められる。飛鳥はそう信じていた。
例え自分が苦しくても。
「でさー、そこで司会のツッコミがまたおもしろくて」
「えー、それってやばいね!」
ある日、クラスメートに笑顔を配っていた飛鳥は、窓ガラスに反射する自分の顔とふと目が合った。
切り貼りした笑顔は一瞬で剥がれ落ち、その直後にはどうしようもない仏頂面が姿を見せていた。
心の中で、飛鳥は絶句した。自分は完璧な笑顔でいたと思っていた。それなのに、現実の自分はこんな作り笑いのようなものをしていただなんて。
その時から飛鳥は、笑顔を作る度に顔の筋肉が引きつっていることを自覚し始めた。
自覚をすると、自然と他者の評判も変わる。クラスメートの声も耳に入る。
「長野さんって、しょっちゅう作り笑いしてるよね」
「だよねー、あたしもそれ思ってた。なんでも笑ってるからウザいんだよね」
「わかるー、お前ぜってー理解してないだろってことも笑ってるからさあ、ムカつくよね」
トイレの陰で、教室の隅で、飛鳥は震えた。
信じていたものが揺らぎ始めた。自分にとっての絶対は、正しいものだと言い切れないのかも知れない。飛鳥は次第に笑顔の作成に失敗するようになっていった。
そんなある日のこと。
飛鳥の両親が離婚した。最後まで喧嘩をしたまま、互いの主張が食い違ったまま、離れ離れになった。
離婚という言葉の具体的な意味は良く分からなかったが、飛鳥の育ての親が両親から祖母になり、これまで一緒に暮らしていた両親が飛鳥の前で揃うことがなくなったことで、何となく意味を理解した。
それから飛鳥は父親と母親、片方ずつとしか会わなくなった。
片方と会う度に、その言葉によってもう片方の印象がグチャグチャに塗り潰されていく。二人がくれるそれぞれの情報があまりにも違い過ぎて、何が何だか分からなくなった。
やがて母親が言う。
「ごめんね。飛鳥にいつも無理して笑顔でいさせて。私達大人が指示し過ぎちゃったせいかな」
とても辛そうな顔で母親は飛鳥に告げた。
どういうこと。
アスカは今も笑顔でいるのに。なんでお母さんは笑ってくれないの。
もしかして、今までの笑顔も、作り笑いだったってこと。
今のアスカみたいに――。
苦しくも守らなければならない場所と直感し、飛鳥は必死に家庭で、クラスで笑顔を与え続けた。しかし気がつけば、もう既に飛鳥の笑顔は意味をなしていなかったのだ。家庭でも、クラスでも。
それを理解した瞬間、飛鳥の顔から笑顔が消えた。
同時に、一つの真理に辿り着いた。
抑圧的な行動は破滅を生む。それならば、感情はその場で思うがままに解放させた方が絶対に良い。
飛鳥は笑顔を失った代わりに、行動により感情を示していくことを心に決めたのだ。




