アキト (2)
アキトは、音やリズムが人の心に与える効果を研究するグループに配属された。そのグループで、アキトが参加したプロジェクトは”グリーンスペース”と名付けられた。それは、ストレスの多い現代人に向けて、安息の時間、空間を提供するという計画だった。
研究のほとんどの時間は、なるべく多くの人と会い、各人に音・リズム・映像などの情報を体験してもらい、それに伴って現れる感情を分析し、脳波と関連づけ、データとして集める作業だった。
人は絶えず、ある波長の脳波を発生している。人は安らいでいる状態でどのような波長を発しているのだろう。その波長はどんな状態で得られるのだろう。音響との関係はどうなっているのだろう。そのイメージ分析を行い、たくさんの人のたくさんの情報を集めてきた。
”グリーンスペース”は「安らぎ」のイメージを透明の球体として表現する。その球体は”グローブ”と呼ばれ、コンピュータのディスプレイの左半分に表現される。
ゆったりと寝そべることができるイスに人が横たわると、人は”ハット”と呼ばれる帽子のようなものをかぶる。ハットは頭を覆うようにフィットし、耳にかぶさる部分から人に安らぎを与えるように用意された音・リズムを送る。頭に触れた部分からは脳波を拾い、音響に従って人の中で変化し始める波長を常に拾い集める。ディスプレイの右半分にはグローブと比較した各人のイメージ映像を表現するようにプログラミングされており、こちらのイメージは”ハート”と名付けられた。ハートはグローブに近づこうと常に形と色を変化させていく。
ハートは人それぞれの脳波を、様々な色・形で表現する。それはその人ごとの脳波が描きだす形だ。つんつんしていたり、どこかが凹んでいたり、複雑でまったく違う形を造り出す。色は主に体温と心拍に由来するものだが、細かい変化に合わせて濃淡を描き、ハットから採集したデータに合わせてハートを色づけ、変化し続ける。
ハットをかぶると、頭に吸い付き、脳を探っているような感じになる。ときどきは深い眠りに落ちることもある。その間、ハットは人の脳波を拾い続け、グローブに近づける波長を探しながら、音響としてそれを人に送り続ける。しばらくそうやって横になってからハットを外すと、ほとんどの人は「すっきりした」「落ち着いた」「頭がはっきりしてきた」「リフレッシュした」などの感想を持つのだ。
この感覚は「脳の掃除」のようなもので、穏やかな心情を取り戻せる。
その作用自体をうまく説明することは難しい。それはたとえば、汚れがたまって機能が鈍っている部分の汚れを取り、乾いた部分には少し水を与えてやり、水が多くてぐちょぐちょしているような所からは水を取ってやる…。そんな作用だと考えられる。
”グリーンスペース”の評判は良く、これを設置したいという施設が増えた。デパートや遊園地などの一角にも作られるようになり、病院の待合室にも設置されるようになった。薬や治療だけに頼るのではなく、自分の中から治癒する力を引き出すことを人は求めていて、そのブームにちょうど乗ることができたのだ。
ヨウコはある病院で看護師をしており、アキトが“グリーンスペース”設置のために訪れた時に知り合った。
その後、”グリーンスペース”の家庭版の開発が行われ、電極とコンピュータとの接続を無線にすることで、自宅で簡単に使えるようになった。これも、発売と同時に飛ぶように売れた。
個人に使い慣らされた”グリーンスペース”は、各個人の脳波を分析して学習する。するとリラックス効果が高くなっていくのだ。
ほかの会社もこぞって類似品を出したが、”グリーンスペース”ほどの効果は得られず、”グリーンスペース”の評判は落ちることはなかった。
仕事は絶好調で、アキトの生活も潤い、裕福で安定した生活を送っていた。
今は敵国となってしまった国からもやって来ていた優秀な人材は多く、アキトの研究室では、半分が敵国から来た研究者だった。
友人としてつきあっていた同僚も多い。だが、戦が始まる前、不穏な雰囲気が漂い始めるようになって、国の違いを考えるようになった。そんな敵国の友人のほとんどは、自分の国に帰らざるを得なくなったのだ。
彼らは、こちらの国の言葉もぺらぺらだったし、髪の色も肌の色もアキトとほとんど変わらない。言葉のアクセントを聞き分けるまでは、たぶん見た目には国の違いなどわからないだろう。
開戦の経過は実のところよくわからない。不穏な空気が流れ始めてから、緊張が高まり、人は不安をかきたてられ、自由に発言することができなくなった。双方の国ではどちらも相手国が条約を破ったと報道されていた。そしてとにかく、何かのきっかけで始まってしまってからは、守るの勝つのと報道されはするけれど、そんなこといったいどこがどこまで本当なのかは見当もつかなかったし、始まってしまったら、巻き込まれるしかない。そうなったらもう遅いのだ。




