01 調査報告書
初投稿です。
2026.10.26 修正
01 調査報告書
アストリッドは手元の報告書を読み返した。王都北部魔導供給施設で発生した設備事故は、軽微なものとして報告されていた。作業員二名が体調不良を訴えたが、症状はいずれも軽く、診療所で経過観察を受けたあとに帰宅している。一人は喉の違和感。もう一人は喉の違和感と指先の痺れ。
喉の違和感なら、魔導媒質を吸入したことで説明できる。だが、指先の痺れだけは説明がつかなかった。アストリッドはその一行をもう一度読んだ。
媒質貯蔵槽の温度と、周囲の空気中の媒質濃度の測定記録を開いた。数値はいずれも基準値内で、神経に影響が出るほどの曝露は確認できない。問診記録を開く。持病、服薬歴ともに該当なし。続けて施設の使用薬剤一覧を確認した。こちらにも、指先の痺れを説明できるものはない。
「変ですね……」
アストリッドは事故直前の記録へ戻った。作業員が不調を訴える直前、媒質貯蔵槽の温度と媒質濃度が同時にわずかに上昇していた。どちらも基準値内で、警報も作動していない。
アストリッドは時刻を確認した。症状が現れた時刻と重なっている。偶然とは判断できなかった。
過剰励起が起きていたなら、二人の症状は説明できる。だが、それを裏付ける数値は残っていない。
「朝から難しい顔をしているな」
隣から声をかけられ、アストリッドが顔を上げるとロイと目が合った。ロイ・サフィールは魔導生物工学課の魔導薬学係の係長で、アストリッドの直属の上司でもある。アストリッドはもう一度、症状と測定記録を見比べた。
「ロイさん。こちらの報告書を見てもらえますか」
「嫌な予感のする頼み方だな」
そう言いながら画面を覗き込んだロイは、症状欄から測定記録へ順に目を通した。
「測定器の不具合は?」
「校正済みで異常はありません」
「別の薬剤に触れた可能性は?」
「問診記録にも使用薬剤一覧にも該当はありません」
ロイは症状欄へ目を落とした。
「症状だけ見れば、過剰励起だな」
「ですが、この程度の変化で起きるとは思えません」
ロイは腕を組んだまま画面を見つめていた。
「ユリウス、少し時間あるか?」
「どうした」
ロイの声に応じて、少し離れた席のユリウス・ルーメンが顔を上げた。魔導先端工学課の課長だ。
「北部供給施設の報告書、見てくれないか?」
「なら、僕のフォルダに入れてくれ」
アストリッドは端末を操作し、ユリウスのフォルダへ報告書のコピーを送った。ユリウスが端末に向き直るのを見て、アストリッドは症状欄に戻った。
やがてユリウスが席を立ち、アストリッドの机まで歩いてきた。背後に立ってマウスを操作すると、媒質貯蔵槽の温度、媒質濃度、魔導回路の出力が、同じ時間軸に並んだ。
「この数秒を見てほしい」
ユリウスが示した箇所では、魔導回路の出力記録が数秒だけ途切れていた。記録が再開したとき、出力は事故前とほぼ同じ値を示していた。
アストリッドは欠落した数秒と、作業員が症状を訴えた時刻を見比べた。重なっている。ロイは画面を見つめたまま言った。
「記録が途切れているな」
アストリッドは尋ねた。
「不具合でしょうか?」
「この記録だけでは判断できない」
ユリウスは画面を見ながら答えると、そのまま後ろへ声をかけた。
「オリヴァー、少しいいか」
「はい」
返事を聞いてアストリッドが目を向けると、オリヴァーが席を立ってこちらへ歩いてきた。オリヴァー・アンブルは魔導先端工学課の魔導電子工学係の係長だった。
オリヴァーはロイとは反対側から画面を覗き込み、表示されたグラフを確認した。やがてオリヴァーの眉間に小さな皺が寄った。その表情を見て、ユリウスが尋ねた。
「この記録をどう見る?」
「途切れる直前と再開直後で、出力値は変わっていません。少なくとも、記録が残っている範囲では異常なしです」
「僕もそう見た」
ロイは欠落した箇所へ視線を戻した。しばらく記録を見つめたあと、口を開く。
「過剰励起が起きていたのなら、記録されていない数秒の間に何かがあった可能性がある」
誰も否定しなかった。
「データだけでは判断がつかないな」
「なら、現場を確認しよう」
ロイに続き、ユリウスも小さく頷いた。
「ブルーノさんには僕から報告する。この四人で行こう」
「俺は車を手配するから、二人は機材の準備を頼む」
「はい」
「準備します」
「三十分後、地下駐車場に集合だ」
ユリウスは局長のブルーノ・フルオリートの席へ向かった。ロイは車両の手配に取りかかり、オリヴァーは機材庫へ向かった。
アストリッドは懐中時計で時間を確認した。必要な資料を端末へ転送し、測定器や採取容器、防護服、防護マスクをバッグへ収めていった。




