◆第5話「沈まない艦隊、完璧なる敵」
模擬戦直前の緊張感
――魔導計器、良し。魔力噴流、安定。砲門、形式上は正常作動。
「クラウゼ号、準備完了……です!」
演算士レーネが、緊張した声で報告する。
艦橋には妙な空気が漂っていた。
なんというか、気合いが入ってるのか、入ってないのか、よくわからない感じ。
「主砲、軸ずれてる気がするけど? あ、気のせいだったー。多分」
「弾幕出力、上げすぎると煙出るから3割で。……3割!?」
「煙幕魔法は……はい、朝からちょっと焦げくさいですけど使えます!」
――ああ、ポンコツ艦隊。今日も元気に不安定。
艦長席に座るリリィは、きゅっと両膝を抱えるようにして、自分の体を縮こまらせていた。
窓の向こうには、はるか下に地平線が広がっている。
どこまでも続く雲海。ちょっと見ただけで足が震える。高い。高い高い高い!
(はぁぁ……空って、ほんと怖い。落ちたら確実に死ぬ)
ひゅっと背筋が寒くなるのを、ぶるぶると肩をすくめてごまかす。
でもそのすぐ横で、レーネやルカたちは真剣な顔で準備を整えている。
ポンコツとはいえ、必死なのだ。
「……みんなと一緒なら、できるかも」
思わず、声が漏れた。
不安も、怖さもあるけれど。
それでも今ここにいるのは、自分だけじゃない。
震えているのは、自分だけじゃない。
艦は傾きながらも、空に浮かんでいる。
自分たちの“戦い”は、ここから始まるのだ。
「C艦隊、模擬戦開始まであと三十秒」
通信が入り、全艦に静かな緊張が走る。
リリィはふぅっと深呼吸して、艦長席にぴたりと背をつけた。
視線はまっすぐ、正面に。
たとえ脚は震えていても。
たとえ自信がなくても。
ここにいる意味は、ある。
「クラウゼ号、いきます!」
そして、ポンコツ艦隊、いざ出撃!
模擬戦スタート! 敵は完璧! でも逃げろぉぉ!
模擬戦、開始の合図。
空に魔力信号が走ると、各艦が一斉に始動する。
「敵艦影、接近──って、うわ!? 速っっ!」
レーネの叫びに、リリィは耳を塞ぎたくなった。
投影画面に映る《アウローラ》の艦隊は、まるで教科書の挿絵みたいにピシーッと並んでいて、
魔導砲列は寸分の狂いもなく、一斉にこちらをロックオンしてくる。
「うそでしょ!? この距離でもう狙ってくるの!?」
「早くない!? 心の準備できてないよぉぉ!」
操縦士ルカが舵をガチャガチャしながら叫び、艦がぎゅいんと右へ曲がる。
その勢いでリリィはほぼ座席から吹き飛びかけた。
「ルカ! 急旋回は事前に言ってぇぇぇ!」
「無理ぃぃぃ! 敵砲撃きちゃうぅぅぅ!!」
敵の砲撃は、正確無比。
でも、当たらない。
いや、“こっちがぐにゃぐにゃ動きすぎて、狙いが定まらない”のが正しい。
「ポテント号、煙幕展開!」
「うちの煙、半分しか出ませんけど、気持ちだけでも!」
「ノクターン号、対魔力散布砲発射準備! あっ、これ逆向きじゃない!? ちょ、止めて止めてぇぇぇ!」
仲間艦たちも、必死で逃げてる。必死で逃げて、ギリギリで避けて、奇跡的にまだ沈んでない。
敵の動きが美しければ美しいほど、
こっちはもはや、“生き延びるだけの変な動きの芸術”みたいになっていた。
「敵艦、こちらの進路に合わせて射線変更──いや、それ外すの!?」
敵の艦橋も混乱してるらしい。索敵の魔力軌道が微妙にブレてるのが、投影に映っていた。
「作戦通りです!」
レーネが叫んだ。
「え、こんなの作戦だったの!?」とリリィはツッコミを飲み込む。
そう──
うちはバラバラ。
完璧でもないし、かっこよくもないし、揃ってもない。
でも、“必死で逃げてる”ことだけは、きっと世界一だ。
「クラウゼ号、航路変更──ごちゃごちゃうねうねルートで右旋回ぃぃ!」
「了解っ!(なんだその指示)!」
舵を切るルカの顔は、泣きそうで、でもちょっと笑ってた。
そしてリリィも、笑ってしまった。
(怖いけど──あたし、今、生きてる)
魔導通信のノイズの向こう、仲間たちの声が重なっていく。
バラバラで、でも、確かにつながっていた。
「行こう、みんなで! 逃げて、逃げて、逃げきろう!」
不格好でも、沈まなければ勝ち。
いま空で、一番カッコ悪い艦隊が、
世界でいちばんしぶとく飛んでいた。
仲間の頑張りを実感するリリィ
主推進力、低下中! あー! 魔導炉、ちょっと焦げくさいっすぅぅ!」
通信に混ざって飛んできたのは、バグラム号の機関士・マルグリットの声。
どこか呑気で投げやりな声色なのに、その奥にぎゅっと詰まった“本気”が、聞こえる。
『大丈夫、回すよ、回す回す回す! 魔導核の冷却バルブなんて根性で開ける! 工具? そんなもん拳で足りる!』
(えええ……拳で!?)
クラウゼ号の艦橋で、リリィは思わず天を仰いだ。
でも──すぐに、笑みがこぼれる。
「マル姐、すごいな……」
どんなにポンコツな艦でも、命を乗せて飛んでいる。
それを知ってるから、マルグリットは、こんなにも必死に手を動かしてくれている。
《沈まない》ことに、こんなに本気な人がいる。
その頃、ポテント号では――
「うええええ~~~~~!! もういやだぁ~~~~!!」
操縦士エレナの、泣き声大噴射タイムが炸裂していた。
「こわいこわいこわい! 飛んでるだけでえらいのにぃぃぃ! なんで狙われるのぉぉ!? ていうか今どこー!? 右ってどっち!?!?!?」
(う、うるさっ!? ってか死なないでエレナーーー!!)
クラウゼ号のリリィが思わず通信音量を下げたとき。
その裏で、エレナは歯を食いしばって操縦桿をがっちり握っていた。
画面越しでもわかる。
手は震えてるし、顔はぐちゃぐちゃ泣いてるし、でも、必死だ。
方向感覚ぐっちゃぐちゃなのに、敵の射線だけは全力で避けてる。
『私、がんばってる……がんばってるよぉぉぉ……!』
泣き声の中にあったのは、確かな“勇気”だった。
リリィの胸に、じわっと何かが広がる。
みんな、完璧じゃない。
だけど、それでも沈まないために、全力で動いてる。
笑いながら、泣きながら、パニックになりながら──それでも。
(……すごいよ、みんな)
ふと、手が自然に艦長席の肘掛けを握っていた。
「この艦隊、絶対に沈めさせないから。わたしが艦長なんだから!」
少しだけ、怖さよりも誇らしさが勝った気がした。
敵の攻撃集中、バグラム号の突撃
「クラウゼ号、敵砲列の照準が集中しています! 主砲級、三門──連動しています!」
レーネの声が悲鳴に近くなる。
魔導投影には、こちらを完全にロックオンした《アウローラ》の射線が、ぴたりと重なっていた。
「回避……無理!? 舵、反応鈍いっ!」
ルカの叫びが、舵輪のギギギというきしみ音にかき消される。
舵は限界を超えていた。推力も煙幕も、もう足りない。
逃げる術は、ない。
(やばい……このままじゃ、沈む)
リリィの指先が冷たくなる。
艦がきしむ。身体が揺れる。
ふと、前世の“終わり”が頭をよぎった。
また……終わるの?
そのときだった。
通信に、割り込みが入った。
『──バグラム号、突撃ルートに入ります。クラウゼ号、右へ避けろ!』
マルグリットの声。
「は!? マル姐!? 何言って──」
言い終わるより早く、画面の端から、黒煙を引いたバグラム号が飛び出してきた。
装甲は傷だらけ。煙はもう白じゃなくて、ちょっと黒い。
それでも――まっすぐに、クラウゼ号とアウローラの間に割り込むように飛び込んでくる。
「バグラム号、敵砲列の直上に! 迎撃されます!」
「マル姐、下がって! 下がってよぉぉぉ!」
通信に返事はなかった。
ただ、バグラム号の魔導光が一瞬、青く輝いた。
演出用の訓練魔力弾が直撃し、バグラム号の艦体が爆煙に包まれる。
脱落処理完了――バグラム号、戦闘不能。
「うそ……マル姐が……」
ルカが声を詰まらせる。
でも、同時に表示されたログ。
《クラウゼ号、生存確認。損傷なし。航路復帰可能》
「……っ!」
リリィは息をのんだ。
胸の奥に、熱いものが広がっていく。
沈まないって、こういうことなんだ。
誰かをかばって、自分が沈む。
それは、負けじゃない。
それは、勝つための“信念”なんだ。
マル姐の声が聞こえた気がした。
『お前が沈むくらいなら、うちが落ちるほうがマシだろ? 艦長なんだろ、アンタ』
リリィの手が、艦長席の肘掛けをきゅっと握った。
「……ありがとう、マル姐」
もう、怖いなんて言ってられない。
この命は、誰かの“覚悟”で守られてる。
(だったら──)
「このまま、沈んでたまるもんかぁぁぁっ!!」
クラウゼ号、再起動!
沈まない意思を受け継ぎ、再び空へ――!
模擬戦終了、誰も沈まなかった!
「全艦、生存確認──沈没判定、なし」
「……模擬戦、終了です」
訓練空域に響く観測艦の通信に、一瞬、艦橋が静まり返った。
クラウゼ号、ポテント号、ノクターン号──どの艦も、ボロボロではある。
エンジンは悲鳴を上げ、煙幕はほぼ自家発電、舵は軋み、通信機はたまに変な音を鳴らしてる。
でも――誰も沈まなかった。
「やった……やったーっ!!」
ルカが椅子の上で跳ねるようにガッツポーズ。
レーネは放心したように、顔を真っ赤にして「これ…勝ち…なの…?」とつぶやいた。
「うん、勝ちだよ!」
リリィは思わず笑っていた。
ぎこちない笑いだった。
まだ手は震えてるし、脚なんて感覚ないくらい冷えてる。
でも、それでも――今は、笑える。
「わたしたち、勝ったんだね……! 沈まなかったもんね!」
通信が一斉に開く。
『ポテント号、全員無事ですー! 煙で前見えないけど、生きてまーす!』
『ノクターン号、レーダー機壊れましたけど、心は健康です!』
『バグラム号、沈没判定だけど、エンジンは回ってまーす。オチ担当は任せてー』
「マル姐……!」
リリィは思わず笑って、でも少しだけ涙ぐんだ。
クラウゼ号の艦橋の窓から、少しずつ晴れていく空が見える。
雲の上、魔力のすすけた大気の中に、それでも優しく差し込む日差し。
高くて、怖くて、広すぎて、何もかもが不安だったこの空。
でも――
(ちょっとだけ、好きになれるかも)
「次も、絶対沈まないから」
小さく、でも確かに。
「たとえ、どんなに怖くても」
リリィはそう、誓った。
そして、C艦隊の“沈まない”冒険は、まだまだ続いていく!