◆第6話「沈まなかった代償」 「勝ったけど、ボロボロです」
① 帰還──ボロボロの凱旋(ポンコツだけど堂々と)
訓練空域からの帰投は、意外と静かだった。
……いや、外の音が聞こえないだけで、クラウゼ号の中はゴンゴン、パシーン、プスプスと、音の博覧会状態だった。
煙突から出るのは、もはや煙というより白く甘い匂いの湯気。
床板は歩くたびにキュッキュと鳴くし、艦首は微妙に左右非対称になっている気がする。
「艦長、無事に帰還ルート入りました……たぶん」
レーネが言ったその瞬間、右舷の外板が“ベコッ”と凹んだ。
「たぶんって言わないで! 今の音なに!?」
「えっ? たぶん、風です」
「風で凹む飛空艇って何!?」
――そして、帰還港《第八整備プラットフォーム》。
クラウゼ号が接岸した瞬間、待ち構えていた整備班が大集合。
赤いベストの班長が双眼鏡を置いたとたん、絶句した。
「ナンデスカコレハ!!?」
「おかえりなさい……ってこれ、飛んでました!? 本当に!?」
「マジで空に浮いてたんですか!? これで!?」
「煙が甘いって苦情来てますけど!? 味つきなんですけど!? 魔力砂糖ふってました!?」
整備士たちが一斉に飛び乗り、艦の各部を叩く叩く叩く。
「これ主砲じゃなくて空き缶レベルですね!?」「推進翼が……手書きで修理痕が……誰だ落書きしたの!?」
リリィは艦長席の背もたれから立ち上がれず、うなだれていた。
(あああ……帰ってきたのに、なんか……なんかダメな空気が……!)
でも、どこか誇らしい気持ちも胸の中に残っている。
あの空で、生き残った。
誰も沈まなかった。
ボロボロでも、この艦は帰ってきたのだ。
そのとき、すぐ近くのバグラム号でも同じく整備士が大騒ぎ中。
「機関室の燃焼痕、チョコのにおいしますけど!? なんですかこの“魔力焦がし”ってメモ書き!?」
「排気口から出た火花で係留ロープが焼けたって……マジですかマル姐!?」
マルグリットは、額にオイルまみれのタオルを巻き、真っ黒な手を腰に当てて仁王立ち。
「いや~だって燃えたら出力上がるって聞いたもんでさ~☆」
「理屈じゃねぇぇぇ!!」
整備士にホースで水をぶっかけられながら、マル姐は爆笑していた。
「でも! 見てよあんたたち! この艦、落ちてないからな!? 立派な勝利でしょ!? なあ艦長ちゃん!」
振り向いて投げかけられた言葉に、リリィは照れくさそうに手を振った。
「……え、ええ……まあ……沈まなかったので……」
その瞬間、クラウゼ号の右側から“カシュン”とスプリング音が鳴り、装甲板の一部がポロッと外れて落ちた。
「やっぱりダメだったーーー!!」
全員がそろって頭を抱える。
でも。
その笑いのなかに、確かにあったのだ。
沈まなかったという誇りが。
② 報告書──艦長の試練
深夜。
クラウゼ号の艦長室に、小さな明かりだけが灯っている。
リリィは机に向かい、空っぽの報告書の画面を前に、魂を吸われたような顔をしていた。
「……なにこれ、空白こわ……」
画面上には、タイトル「模擬戦戦闘報告書」。
その下には、ぽつんと一行。
《無事に帰還しました》
「ちがう……なんか違う……!」
叫びながら頭を抱え、バッと消去。
そして、新しく書く。
《全艦、生存確認。沈没艦なし。》
「うーん、うーん……これじゃ新聞の見出しみたい……!」
消す。書く。消す。書く。
腕を組んで悩む。ため息。座椅子くるくる回す。
もう4巡目。
「ていうか“勝った”って言っていいの? でも“負けた”ってわけじゃないし……じゃあ、“なんか生き延びた”?? ……いや、雑!!」
魔導ペンを握りしめ、髪をくしゃくしゃにして机に突っ伏す。
……その時。
そっと、ドアのすき間から誰かの気配。
小さな足音。
置かれるマグカップの音。
「リリィ艦長~、目、ショボショボしてきた頃でしょ~? リラックスカモミールティーでーす☆」
声を潜めたエレナの囁き。
続いて、無言で肩にそっとひざかけを掛けるレーネ。
「ありがとう……」
リリィは、顔を上げたままうずくまり、ため息をついた。
カップを手に取り、そっと香りを吸い込む。
(……なんでだろう。報告書だけで、こんなに泣きそうになるなんて)
思い出す。
爆音。振動。煙。悲鳴。そして、仲間の声。
あの空で、何かをつかんだ気がした。
でも、それを「言葉にする」のが、こんなにも難しいなんて。
「……あ、いいかも」
小さなひらめきとともに、画面を開く。
新しいページに、そっとペンを走らせる。
《艦長として、初めての模擬戦を終えました。完璧な戦術も、見事な勝利も、ここにはありません。ただ、沈まずに、帰ってきた。それだけで、今日はじゅうぶんだったと、私は思っています──》
書き終えたとき、心のなかで何かがほどけたような気がした。
ふと、資料の隙間に小さなメモ用紙が挟まっているのに気づいた。
《がんばってるの、知ってるからね! by エレナ》
《句読点、三つ以上は減点対象です。ご注意ください。 by レーネ》
「なにこれ!? 見てたの!?」
でも、声をあげて笑ったのは、ひさしぶりだった。
その夜、リリィは報告書を完成させた。
それはきっと、空軍史上もっとも“感情のこもった報告書”だったかもしれない。
③評価──沈まなかったことは“美徳”ではない?
翌日。
リリィは、クラウゼ号の制服を一度も着たことがないくらい丁寧に整えて、査問会議に臨んだ。
向かいに座るのは、訓練校の監督官数名。
机の上には、彼女が一晩かけて書いた模擬戦報告書が、几帳面に並べられている。
「……模擬戦の目的は、敵艦の機動解析と指揮能力の評価にある」
低い声が、部屋に響く。
「“沈まなかった”ことは結果として評価するが、“沈めなかった”という現実は、無視できない」
リリィはぎゅっと拳を握る。
「クラウゼ号、ポテント号、ノクターン号、バグラム号──いずれも損傷率は50%を超え、脱落寸前だった」
「にも関わらず、敵艦に有効打を与えられた記録は……一件」
──レーネがわずかに震えた。
「“沈まない”という方針は、状況によっては妥当かもしれない。しかし、それは“勝ち”ではない」
「今回の結果をもって、戦術的価値があるとは断言できない」
誰も、反論できなかった。
リリィは口を開こうとして、でも声にならず、静かにうつむく。
(わかってる。……完璧な作戦なんてしてない。敵の動きも読めなかったし、反撃なんてほとんどできなかった)
(でも、それでも……)
彼女の中にあった小さな誇りが、冷たい声の前で、ゆっくりと萎れていく。
「以上だ。報告書は受理する。次の演習に向け、訓練指針を再考せよ」
会議は、終了した。
その夜。
クラウゼ号の艦橋には、報告書の控えを広げたまま項垂れるリリィがいた。
カップの中の紅茶はすっかり冷めて、彼女の髪は少し乱れていた。
「やっぱり、“沈まない”って、ただの負け惜しみなのかな……」
誰にでもなく、ぽつりと呟いたときだった。
コンコン、と扉が叩かれた。
「え、ええと……失礼します!」
入ってきたのは、別の艦隊――
第六訓練艦隊《シュナイダー号》の副操縦士だった。
「すみません、突然……その、これ、ちょっとお礼っていうか……渡したくて……!」
差し出されたのは、栞が挟まれたノートの切れ端。
《うちの艦長、あなたの艦のやり方に、ちょっと感動してました。沈まなかったの、かっこよかったです》
「えっ……?」
リリィが顔を上げると、その子は耳まで真っ赤にして頭を下げた。
「べ、別に、全員そう思ってるわけじゃないですけど! でも、あの戦い、なんか……嘘じゃないって思ったんで……」
ペコッと頭を下げて、そそくさと逃げるように去っていく背中。
……リリィは、ゆっくりと笑った。
「……そっか」
たった一人かもしれない。
でも、誰かの心には、届いていた。
(沈まなかったってことは、やっぱり――意味があったんだ)
胸の奥で、小さく、でも確かに灯がともった。
次は、もっと届くように。
もっと、胸を張れるように。
彼女はまた、空を見上げた
④ 絆──みんなで修理、みんなで反省会
夜。
訓練ドックにぽつぽつ灯る、作業用ランタンの光。
艦の修理は翌朝からの予定だったが、クラウゼ号のクルーたちは、自然と集まっていた。
ボロボロの艦体を前に、誰からともなく――手が伸びた。
「とりあえず……このへん、外れかけてるし直そうか」
レーネが艦首の装甲板を指して、そっとドライバーを握る。
「えっ、整備士に怒られないかな……」
エレナがおそるおそる道具箱を開きながらも、目はどこか楽しそうだった。
「怒られたら、“自分でやったほうがマシだったんです!”って言い張ろう!」
ルカが笑いながら脚立を持ってきて、いつの間にか全員で小さな修理作業が始まっていた。
リリィは少し離れて、その様子を眺めていた。
(……艦長なのに、何もできなかったな)
(あの時、怖くて指示も遅れたし……)
思わず視線を落としたそのとき。
「艦長、ペンチ持ってます?」
後ろからマルグリットの声。
「え、えっ? ペンチ……?」
「はい、貸して。クラウゼ号の煙突、ナナメに曲がってるから真っ直ぐにする」
「え、それって力づくで!?」
「もちろん☆」
「や、やめてそれ沈まないけど壊れるやつ!!」
笑いが起きる。
「艦長~、エレナが操縦桿に“泣きまくら”くっつけてます! 慰めてください!」
「ちょっとやめてよ! あれは涙ふく用の! 安全対策の布だから!」
「安全対策なら、クッションの上に座ればいいんじゃない?」
「それ、身長が足りてないって意味!?」
ワチャワチャと広がる夜の整備場に、しだいに笑い声が満ちていく。
「……あの」
リリィが、小さな声で言った。
みんなが手を止める。
「ありがとう。わたし……艦長なのに、自信なくて……今日の査問も、何も言い返せなくて……。でも、こうしてみんなが“ここにいてくれる”のが、すごく、すごく……」
言葉が詰まる。喉が熱くなる。
「艦長が、“逃げてもいいよ”って言ってくれたから、わたし舵を握ってられたんです」
と、エレナが笑った。
「そうそう。『逃げよう!』って命令、最高に艦長っぽかったですよ」
ルカが親指を立てた。
「敵前逃亡じゃなくて、“敵前大回避”ってやつ」
マル姐が豪快に笑う。
「逃げる技術も戦術のうちです。何より、全艦帰還は事実です」
レーネが、工具箱のふたを静かに閉めた。
そして、クラウゼ号の艦橋に飾られた小さなマグネットプレート。
《沈まない、わたしたち》
その文字が、薄明かりの下でふわりと光っていた。
その夜、クラウゼ号のクルーは、自分たちの艦を少しずつ修理しながら、笑いあって、励ましあって、少しだけ誇らしく眠りについた。
沈まなかった艦と、沈まなかった心。
どちらも、自分たちの手で守った、大切な“証”だった。
⑤ラスト──空はまだ怖い。でも
夜風が、艦橋のガラスをそっと揺らしていた。
クラウゼ号の艦長室。
灯りは落とされ、薄明かりだけが机の上を照らしている。
リリィはその明かりの中、完成した報告書を両手でそっと包むように眺めていた。
もう何度も読み返した。
でも、読むたびにちょっとずつ――胸があたたかくなる。
《全艦、生存。沈没艦なし。》
その一文が、どれほど重いか。
あの空を知った今なら、よくわかる。
(ほんとに……沈まなかったんだ、私たち)
震えながらも指揮をとった。
泣きながら舵をとってくれた子がいた。
機関室で火花をかぶりながら、推進機を叩いてくれた仲間がいた。
そして今、この艦は――ここにある。
リリィは立ち上がり、艦橋へと歩いた。
外へ出ると、夜空が広がっていた。
真っ暗な中に、ぽつりぽつりと星が浮かんでいる。
風はひんやりしていて、空気は澄んでいた。
足がすくみそうになる。
頭がくらっとする。
――高い。やっぱり、まだ怖い。
(でも……)
その時、艦橋の床に、誰かの落書きメモを見つけた。
《“沈まない艦隊”って、なかなかよくない? でもたまには沈むかも! そしたら、また浮かぼう!☆ by エレナ》
リリィは思わず吹き出した。
(ほんと、あの子は……)
でも、なんだろう。
あの空で、何かが少しだけ変わった気がする。
「空は……まだ怖い。すっごく怖い。今だって、足震えてるし、逃げたいって思ってる」
呟きながら、手すりをぎゅっと握る。
「でも――みんなとなら、たぶん、また飛べるかも」
小さく笑った。
心の奥で、ひとしずくがはじけて、あたたかく広がっていくような感覚。
その背後で、扉が静かに開く音がした。
「……艦長、報告書、よく書けてましたよ」
レーネの落ち着いた声。
「えっ……ええっ、読んだの!?」
「ええ、添削もしておきました。句読点、適正配置に直してあります」
「いやああああああ!! そこだけは読まないでって言ったのに!!」
「……ふふっ」
「笑わないでぇぇぇっ!!」
その夜。
クラウゼ号の艦橋には、笑い声と、静かな決意が残った。
そして、星々の向こうで揺れる雲の道を、
彼女たちはまた、ゆっくりと目指していくのだった。
沈まない艦隊。
それは、“勝たなくても負けなかった”者たちがつくる、やさしくてしぶとい奇跡の物語。




