◆第16話「沈まない先の話を、しよう
◆①配布:進路希望調査
艦内に夕暮れの光が差し込む頃、訓練終了の合図とともに各艦に書類の束が配られた。
「……なんですか、これ?」
クラウゼ号の艦橋に戻ってきたリリィは、デスクに無造作に置かれた紙に目を留める。書類の表には、丁寧な字体でこう記されていた。
『進路希望調査票』
「し、進路……って、卒業後の!?」
思わず声を上げたリリィに、周囲のクルーたちが振り向く。
「おー来たね来たね! ついにこの季節かぁ~」
機関士のマルグリットが片手に紙を振りながらにやりと笑った。
「……私は、整備師官として大型艦に乗るのが夢なんだよね」
「できれば、五番艦みたいな本格的な機関室付きでさ。整備リストだけで3冊あるやつ!」
「えっ……私は……」
通信担当のエレナは、少し悩みつつもぽつりと言う。
「空軍の広報艦……とか。なんか、綺麗な制服とか着て、家族とかに安心してもらえるような」
「私は地上勤務でも悪くないかな」
ナビゲーターのレーネは、さらりと書類に目を通しながら言った。
「本部通信室とかなら、空から落ちる心配もないし、機械もちゃんと整ってるしね」
それぞれが未来を口にする。
それぞれが、自然なように“次の道”を思い描いている。
……なのに。
「私は……」
リリィの手元の進路票は、まだ空白のままだった。
艦長席に座る自分。
けれど、それは――“今だけ”のことじゃないのか?
みんなに背中を押されて、何度も「逃げない」と決めてきた。
けれど、未来にまで「艦長でいたい」と思っているのか、自分でもわからなかった。
「……私、艦長で……いいのかな」
その声は、小さくて、誰にも届かなかった。
けれど、その問いは、リリィの胸にずっと残ったままだった。
◆②対話:それぞれの夢
夜。
クラウゼ号の食堂には、柔らかな灯りと甘い香りが漂っていた。
「艦長、プリンありますよ! 今日は頑張った日なので!」
エレナが誇らしげに持ってきたトレイには、市販の簡易デザートと、何故か横に小さなポップコーンの山。
「これは何の演出……?」
レーネが呆れつつも、すでにスプーンを手にしている。
「“おやつミーティング”です!」
エレナが得意げに宣言する。
そうして、夜の訓練を終えたクラウゼ号の面々は、テーブルを囲み、お菓子をつまみながらの小さな休息の時間を楽しんでいた。
「で、例のアレは?」
マルグリットがスプーンでプリンをつつきながら尋ねる。
「アレ?」とリリィが首をかしげると、
「ほらほら、進路希望調査。どう書いたかってやつ」
「……ああ、それ」
全員が、少し照れたように顔を見合わせた。
レーネが一番に口を開いた。
「私はやっぱり地上がいいな。電子機器の整った本部で、情報を整理してるほうが合ってる気がするの」
「私はねぇ、大型艦でバリバリ整備したい!」
マルグリットはスパナを握るような手振りをしながら笑う。
「武装ユニットの中で過ごしたいの! あのごちゃごちゃがたまんないんだよね~」
「私は……まだ迷ってるけど……」
エレナが言葉を選びながら言った。
「お母さんが心配するから、あんまり危険じゃないとこで、でも空は続けたいなって思ってて」
そして視線が自然と、ひとりの少女へと向く。
ミレイユ・フォン・カルディナ。
姿勢を崩さず、いつも通りの整った制服姿で、静かにスプーンを置いた。
「私は――将来的に、前線指揮官になりたいです」
その言葉には、迷いがなかった。
「まだ未熟ですが、学び、経験を重ねて……いつかは、最前線に立つ艦を、堂々と任されたい」
一瞬、食堂の空気が引き締まったような気がした。
けれどすぐに、エレナが「うわー、かっこいい!」と感嘆の声をあげて、和やかさが戻る。
その中で、リリィはひとり、スプーンの中のプリンを眺めていた。
(みんな、“先”を見てるんだなぁ……)
(私は……?)
「私は……この艦に、いていいのかな」
それは誰にも聞こえない、心の奥の問いかけだった。
③事件:補給演習での“小さな事故”
翌朝。
訓練空域の端、薄くたなびく雲の中で、クラウゼ号は静かにホバリングしていた。
「こちら補給艇〈ヨルト号〉、予定位置に接近中。誘導よろしく」
通信士のレーネが頷きながら応答を送る。
「了解、こちらクラウゼ号。航路クリア、速度と高度を維持して接近を」
演習とはいえ、補給任務は気の抜けない作業だった。補給艇との合流、資材の受け取り、艦内搬送……それらをミスなくこなすのも艦長の責任。
リリィは操縦席の後方、指揮席で緊張気味にモニターを見つめていた。
(よし、順調……今のところは……)
「補給艇、ちょっと速くないですか?」
エレナが眉をひそめる。
「通信データでは予定速度内ですが……」
レーネが眉を寄せた直後。
『……クラウゼ号、こちら補給艇。……回線混線、位置確認にズレが……あっ……!?』
その声と同時に、リリィの目の前で、補給艇が想定より一気に近づいてきた。
「接触コースです!」
レーネの声が響く。
一瞬の静寂。
だが、リリィの手は震えず、口が先に動いた。
「クラウゼ号、機体を左旋回! 高度30下げ、右後方へ避けて!」
「了解! ふわっと回します!」
エレナがすかさず舵を切る。
ゴウン、と船体が揺れ、補給艇が風を裂いてすれ違う――ぎりぎりで。
「回避成功!」
マルグリットが報告すると、艦内に安堵の声が漏れた。
『……こちら補給艇ヨルト号。回線復旧、誘導エラーを確認。そちらの迅速な対応に感謝します』
モニター越し、補給艇の若い士官が、すっと敬礼をし――
そして言った。
「……さすが艦長。お見事でした」
モニターが切れ、静けさが艦内に戻る。
その一言が、リリィの中に――静かに、でも確かに、残った。
(“さすが艦長”……なんて、初めて言われたかも)
指揮席で、自分の胸にそっと手を当てる。
まだ空は怖いし、まだ完璧じゃない。
でも、今この瞬間だけは。
「……よかった、間に合って」
ぽつりと呟いた言葉は、誰にも聞こえないほど小さくて――けれど、確かな誇りを帯びていた。
◆④気づき:艦長って、未来の形でもある
夕暮れの空が、橙から群青へとゆっくりと移り変わっていく。
クラウゼ号の艦橋には、涼やかな風が吹き込み、いつものように少しだけ軋む機械音が、どこか愛しく響いていた。
リリィはひとり、艦橋の手すりに身を預けて立っていた。
遠くに浮かぶ他の艦のシルエットと、無数の白い飛行灯が、空のキャンバスにぽつぽつと灯る。
(ああ、今日も飛んでる……この艦が)
どこか不器用で、毎日ちょっとずつガタが出て、手間ばっかりかかって――
でも、それでもクラウゼ号は確かに空を進んでいる。
「……ねぇ、クラウゼ号」
リリィは小さくつぶやいた。
「君は本当に、私が艦長でよかったと思ってる?」
風が、ふわりと髪を揺らす。
もちろん返事はない。けれど――艦橋の床のきしみが、まるで「うん」と頷いたかのような気がした。
「そっか……。たぶん私が“すごい艦長”じゃないことくらい、みんな知ってるんだよね」
でも。
「それでも、誰も降りろって言わない。今日も“艦長”って呼んでくれる」
マルグリットの無骨な笑顔。エレナの泣き笑いの操縦。レーネのそっけない優しさ。ミレイユの、不器用な信頼。
みんながいるから、この艦は沈まずに進んでる。
そして、自分がここにいるからこそ、みんなと進めている――
「……未来って、きっと、“形”じゃないんだよね」
自分が将来どうなりたいかなんて、まだわからない。
でも、“今”ここで、自分の選んだ道が誰かにとって意味を持てるなら。
「艦長って、“職業”じゃなくて、“一緒に進む人”のことなんじゃないかな」
言葉にしてから、自分でも驚くほど、その響きがしっくりきた。
沈まない艦。
不器用でも、前に進む艦。
――そして、その艦に、一緒に乗ってくれる仲間。
その未来のかたちを、リリィは少しだけ信じてみようと思った。
◆⑤ラスト:みんなで提出
艦内の朝は、いつもと同じように始まった。
整備の音、点呼の声、機関のかすかな唸り。だけど、今日はほんの少し、空気が違う。
リリィは艦橋の机の前に座り、緊張した面持ちで一枚の紙を見つめていた。
《進路希望調査表》
書かれたフォーマットはシンプルで、どこにでもある事務書類のひとつ。
それなのに、ペンを持つ手がわずかに震える。
(私は……なにを書けばいいんだろう?)
まだ怖い。まだ迷う。
でも、それでも。昨日のあの風の中で、自分の中にひとつだけ芽生えた答えがある。
「……うん」
ペン先が紙を走る。慎重に、でも確かに。
《希望進路:クラウゼ号 艦長志望》
書き終えた瞬間、なぜか少しだけ笑っていた。
胸の奥が、ふっと軽くなったようだった。
「おまたせしました、艦長!」
元気な声とともに、クルーたちが次々と進路調査票を持ってやってくる。
「私は整備師官コースですっ!」
「広報任務もいいなぁ、制服かわいいし!」
「……地上勤務っていう選択肢も、まあ検討はしてる」
「私?もちろん、前線司令部よ」
それぞれの進路。
それぞれの夢。
それぞれの未来。
でも、みんなが笑って、ここにいる。それが何よりも嬉しい。
提出箱の前で、全員が調査票を揃えて、せーのっ!と入れる。
「完了っ! 提出ミッション、成功です」
「誰かが記念スタンプでも作ったらいいのに」
「……スタンプより、おやつの方がよくない?」
みんなが口々に冗談を言い合うなか、ミレイユが少しだけ俯いて――
それでもぽつりと、ほほ笑みながら言った。
「……未来って、ちょっとだけ楽しみかも」
それにリリィは、なんでもないふうに微笑んで、こう返した。
「でしょ?」
――今日も空は高い。
――沈まない艦は、雲の先へ進み続ける。
――進路希望:クラウゼ号 艦長。
これはきっと、始まりの未来。




