小さな違和感
こちらを覗き込んでいる男のその顔は、真下から見ているのにも関わらず精巧で。窓から差す陽光に縁どられ、発光しているかのようだった。そしてその頬を、見慣れた黒い手袋がなぞっている。それは私の手袋だ。
金緑色の双眸と目が合った。
「な、何をしてるんですか」
辛うじて声を絞り出したが、その声があまりにも掠れていて、ロッカは少し冷静になり、「何をしている」というのは自分にこそ言えることだと気づく。
慌てて手を離し暗器を探すが、どこに触れてもない。ローブも仮面も外されていた。
(まずい、服はどこに…)
視線だけで周囲を探すと、窓際に見覚えのある仮面とローブが重ねてあった。日記は見当たらないが、ローブの下に隠れているのかもしれない。
「それはこっちの台詞だと言いたいところだが…敢えて質問に答えるのなら、あまりにも幸せそうに眠っているから、観察していた。ちなみに、私をベッドに引き込んで添い寝させたのはお前だぞ」
呆れたように目を細めるその男の顔に見覚えはない。寝起きの頭を急速に回転させ、眠る前に何があったのかを思い出す。そして、理解した。この男はずきずきと痛む側頭部の原因。そう見かけることはない白金色の髪は、明け方に戦った敵の姿と一致する。服装だけは、シャツにトラウザーとずいぶん楽になっているが、間違いない。
「王子様…?」
この国に二人いる王子のうち、どちらか一方だ。
「いかにも。アルテミス王国第一王子、アレクシウス・ディア・アルテミスだ。この髪じゃバレるのも仕方がないか。それよりも、おまえ随分と図太いんだな? 人の寝所でぐっすりと…寝不足だったのか?」
なんでもないように体を起こし、ベッドから降りようと背を向けるその人に、困惑が止まらない。なんだ、この人は。頭がおかしいのだろうか。
「王子の寝所に罪人を連れて来たんですか…?」
「私の私室だからな。わざわざ許可を取るものでもないだろう」
「…この国の継承権をもった王族は、無用な継承争いを避けるために容貌を隠して過ごすと聞いたことがあるのだけど…」
「ん? まぁそうだな。今の王家は皆同じ髪色だから、髪は出してしまうことが多いが、顔はいつも隠している」
「じゃあなぜ、今はそのご尊顔を晒しているのですか」
そうおそるおそる尋ねると、美の女神も裸足で逃げ出してしまいそうな微笑みを浮かべる王子様。
(な、なにを企んでいるんだ…)
企みを話す気はなさそうなので、話しかけるのを止めた。体を起こし、再度周囲を見渡す。
高価そうな調度品で誂えられた、落ち着いているがあまりにも豪華な一室。扉の飾りとして付いている宝石一つでも、大人一人が数年暮らせるだけの価値がありそうだ。
(…逃げる隙は無い、か)
周囲を観察して分かったことは、優秀な第一王子だという噂に違わぬ隙の無さ。時間を稼いで隙を伺うしかない。
「…どういうつもり?」
「何がだ?」
「あなたはこの国の王族。あの場で私を気絶させたのなら、そのまま牢へ連れていくのが普通じゃない?」
「あぁ、そのことか。考えたのだが、あれほどまでに老朽化した塔ならば、何かの拍子に崩れてもおかしくないかと思ってな。人が来る前に移動させただけの話だ」
何でもないことかのようにそう言う王子に頭痛がした。
「私の罪は、塔を壊したことだけではないはずでしょ」
「なんだ、牢へ繋がれたくて侵入したのか?」
「違うけど…」
なんだ、この人は。出会った時には分からなかったが、何と呑気な王族なのだ。
普通、国の重要文化財に不審者の影があり、その身柄を拘束できたのなら、すぐにでも牢につなぐのが普通だろう。なぜわざわざ自分の寝所に連れて行くというのだろうか。
「まさか、変態?」
「人聞きの悪いことを言うな。人目に付かずにここに連れてきてやったんだ、感謝されこそすれ変態扱いされるいわれはない」
「変態じゃなきゃ、なんなわけ。ご丁寧に犯罪者を自分の寝床に寝かせてやるなんて」
「ぐっすりと寝息を立てていた奴に言われたくはないな。ずいぶん幸せそうな夢を見ていたようだし」
「…幸せそう?」
寝起きの混乱で最初は違和感に気づかなかったが、目の前の人間は自分の寝姿を二度も“幸せそう”だと表現した。だが、それはおかしい。幸せそうであるはずがない。
「何の夢を見ていたんだ?」
「……」
内容は覚えていない。しかし確かに、目が覚めた時、幸せな気持ちだったことは間違いない。こんなこと、今まで一度もなかった。私にとって夢が、幸せなものであるはずがないのに。
「いつまでも夢を覚えているわけがないか。…それより、目が覚めたのなら本題に入ろう」
先ほどまでの空気とは一変、ぴりっとした緊張感が周囲に充満する。
(丸腰はまずい…体術だけで勝てる相手ではない)
まして、ここは敵の本拠地。王子の寝所というのだから、王宮に違いないだろう。目の前の王子が自分を害さなかった理由は分からないが、気分一つでどうなってもおかしくない状況である。
「まず一つ、なぜ公爵家に侵入したのか。二つ目に、なぜ魔力を持たないのか。三つ目に、この本を盗んだ理由は何なのか」
「!」
王子の手元にあるのは、あの夜盗み出した日記だった。それから、ナイフや針、薬の小瓶などを窓枠に並べていく。
「女性相手に悪いが、寝ている間に調べさせてもらった。十数本の暗器に、爆薬、毒薬、魔法具。それ以外に持っていたのはこの本だけ。おそらく、暗器や薬なんかは私物なんだろうが…泥棒にしては、盗んだものの価値が低い。こんなもの、売っても大して金にならないだろう。それに、特殊な方法じゃないと開けない仕組みのようだ」
王子が日記を開こうとしても、私がやった時と同じようにびくともしないようだった。
(…武器はいい。だけど、あの本だけは奪い取らなければ)
そういう、反抗的な考えが透けて見えたのか、王子がピクリとその綺麗な眉を片方上げた。
「自分の状況をよく考えるべきだぞ。私はいつでもお前を拘束できる」
その恐ろしいほど整った顔が、怜悧な瞳が、じろりとこちらを見る。だが、王子様の言葉から推測される情報に、ロッカは少しだけ安堵していた。王子が取り上げたロッカの私物の中に、あの白い石が含まれていない。ロッカはあれを、下着の中に入れた。その中には、他にも大事なものを入れてある。きちんと身体検査をしたのであれば、それもあの窓枠に並んでいただろう。つまり、この紳士的な王子様は、調べたとはいえそこには手を触れていないということ。
(それなら、答えようによってはどうにかなるかもしれない)
「…まず一つ目と三つ目の質問に答えると、どちらも興味本位」
「興味本位?」
続けろ、とでも言いたげに、王子は片方だけの眉を上げた。
「世間で噂されている公爵邸の内部に興味があったんだよ。本当に呪われるのか、とか。肝試しみたいな軽い気持ちだったんだ。貴金属なんかの高価なものは売り飛ばしても足がつくかもしれないし、はなから求めてなかった。だけど、特別な方法じゃないと開けない本なんて面白そうでしょう? つまり、入ってみたのも本を持ってきたのも興味本位」
穢れを抑えるために結界が張られた直後は、公爵邸は王都で有名な肝試しスポットだった。結界が張られたことにより、呪いの脅威が軽んじられたためだろう。未だに、数年に一度くらいそういう馬鹿がいないこともない。大抵は警備兵に見つかるか結界が反応してつまみ出されるのがオチだった。稀に入れても、出て来られなくなるから公爵邸の内部のことは誰にも分からないというのが、王都では有名な話だ。
「肝試し、一人でか?」
「ノリじゃなくて、本当に気になっただけなんだよ」
「ふん…まぁそういう阿呆がいないこともないが」
形の良い顎を撫でながら、思案するように頭上を見上げた。
窓枠に腰掛け、考え込むようなその仕草をするだけで、まるで彫刻のようだった。
「それなら、まぁそういうことにしておいてやろう。では、二つ目の質問はどう答える?」
まるで信じていなさそうだが、とりあえず二つの質問の答えとしては納得してもらえたらしい。
(この男が野蛮だったら通用しなかった…紳士的で助かった)
ロッカは、ばれないように心の中でほっと息を吐いた。
ただし、問題は二つ目の質問に対する答えである。