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ロッカの輝石  作者: ゆ
一章
6/25

ある高貴な人の朝に


その日は、朝からいつもと違う気がした。

何となく浮ついていて、鍛錬にも身が入らなかった。

体が疲れていないせいか、夜は何度も目が覚めてしまう。



(紅茶でも入れようか)



そう考えたが、あと二時間もすれば朝の身支度を始めるような時間。

このまま起きて剣の鍛錬でもしようかと、鍛錬服に着替える。

自分の身分を考えろと幼馴染には言われてしまいそうだが、従者がいなくとも自分の身を守る術はいくつもある。


街に混乱を招かないために、髪をまとめ、フードを目深にかぶった。

簡単に支度をし、自室を出る。

仲の良い友人にだって教えていない、秘密の抜け道を使って街に出た。

まだ空は暗かったが、夜間は街灯が点いているため周囲には十分目が届く。

やはり、この時間に起き出している者はほとんどいない。


軽くジョギングしながら向かった先は、休日によく周回しているランニングコース。


入念にストレッチをし、走り出す。

霧に濡れた肌寒い風が、鼻の奥を抜け肺に満たされる。

昨日からの違和感が嘘のように、スッと穏やかな気持ちになれた気がした。


王立図書館の前を通り過ぎ、花の映える綺麗な公園の周りを一周すると、坂道を駆け上がった。

距離を伸ばしていくごとに少しずつ脈が速くなるが、それも心地よい。


折り返し地点の公園に来たところで、足を止める。

試験期間があって鍛錬を軽くしていたからか、以前より息が上がっている気がする。


ゆっくりと速度を落としながら、草木の香りを深く吸い、吐く。

顔を上げて、今にも太陽が顔を出さんとしている水平線に目を向けた。

少しずつ白んでいく空が美しい。

目を細め、景色を堪能していると、すぐそばをカラスが羽音を立てて飛んでいく。



「おっと」



直前で避けることができたが、ずいぶん鈍くさいカラスだな、と目で追う。

飛んで行った先は、王都で有名な呪いの屋敷がある方向だった。


呪いの屋敷とは言っても、その歴史的価値はあまりにも高いうえ、庭園の美しさは大陸中に知れ渡るほど。

定期的に手入れが入っているし、建築物が倒壊しないよう外側から補修作業が入ることもある。

しかし、呪いの屋敷と言われる所以か、内部…特に西側にある塔に手を加えようとすると、必ずと言っていいほど不幸な事故が起こるらしい。

そのため、美しい庭園も、屋敷から離れた場所にある一部分しか解放されていない。


この時間だと、庭園はまだ開いていないだろう。


カラスは庭園に続く道を飛んで行ったようだ。


それは、ほんとうにただの気まぐれだった。

高台の芝生を蹴り、ランニングを再開する。

向かった先は、公爵邸。


いつものコースとは違う。だが、朝露に濡れる公爵邸の薔薇を見て、元のコースに戻るのもたまにはいいかもしれないと、見えなくなったカラスを追った。


公爵邸に着くころには、辺りは少し明るくなっていた。

場所は公爵邸の正門。ちらほらと動き出している人たちもいて、門を守る兵にはさほど不審がられなかった。

というよりは、片方の衛兵が自分の顔を知っていたらしく、大げさに敬礼をされてしまう。

わざわざ目立つ髪を隠しているのを見て察して欲しいところだが、彼らにとってはそうもいかないのだろう。プライベートだからと衛兵を職務に戻らせ、庭園に目を向けた。


美しいバラが視界を彩る。

そして、遠くに見えるのは、呪いの屋敷。

門を潜り、薔薇園を歩いていく。

幼い頃は、度胸試しと称してよくここで遊んだものだった。

曰く付きとはいえ、結界のおかげで屋敷にさえ入らなければ何も起こらない。

穢れを敏感に感じ取る神官などは近くに寄るのも厭うが、その感覚が薄い一般人にとっては、大した問題にはならないのだ。



「ん?」



薔薇園の奥、一番美しい花が咲くあたりまで差し掛かった頃。

ふと件の塔を見上げれば、何かが動いているのが見えた。

よく見ると、見張り台の横に備え付けられた部屋への扉が開閉しているようだ。

ここは公爵邸で、いまは明け方。屋敷の中に動く影を見れば、不審に思わない者はいない。



「風か…?」



じ、っと塔の最上階にある部屋の窓を見つめる。

窓の奥で、何かが動いたような気がしたのだ。


はっきりとしないため、視力を強化してみる。

今度は、影の揺らめきが、はっきりと見えた。何かがいる。


自然と口角が上がってゆく。


見間違いだったとは言い難い。生きている動物のような影の動きだ。

だが、公爵邸内、特に事件のあったあの塔には、強い結界が張られていて、その中にも強い瘴気が充満している。

まともな生物なら、あの塔に近づくことを本能で避けるはずだ。



「…」



有事の際にすぐ利用できるよう、仕事用の変身具は常に持ち歩いていた。

それは、こういうときにも役に立つ。


変身具に軽く魔力を込めると、身体中を光が包み込み、白地に金の刺繍が入った騎士団の制服に変化した。

ご先祖さまの趣味であったというが、このような汚れの目立つ衣服を戦闘を担う者に着せるなど、思考回路がまったく理解できない。


公爵邸内では魔法が使えない…ことはないが、使うとすぐに公爵家の結界が反応する。塔内に侵入している何かに気取られないよう、慎重に事を進める必要がある。


気配を潜め、ゆっくりと塔へと歩を進めた。

塔に辿り着いたのは、不審な影を発見してから十数分経った頃。



(逃げられぬよう、ここからは一気に行く)



体を強化して走り出し、空中に足場を作って塔を駆け上がった。

ガシャンと音を立てて、見張り台に足を下ろす。

敢えて、中にいる人物にも聞こえるように音を立てた。内部で、息をひそめる気配がした。


ここ数年で一番の笑みを浮かべ、扉を蹴破る。

脆くなっていたのか、周りの壁まで一緒に壊れてしまったが、まぁ、それはいいだろう。

ただ、そうすることが必要だったということにすればいいのだ。


物陰からこちらを見る人物は、非常に冷静に思えた。



(不思議だな)



なぜ公爵邸の結界へ、誰にも気取れらることなく侵入できているのか。



ガキンッ



なぜ、全力で打ち込んだ一太刀をその小さな短剣で受け切れているのか。


剣の応酬の間にも、こちらを観察している素振りすらある。


全ての出来事に、脳内が歓喜に満ち溢れていた。


さらに、余裕があるなと言ってやれば、存外落ち着いた声で節穴かと返された。

この状況で軽口を言う度胸もあるらしい。


あぁ、なんと惜しまれることか。


公爵邸に無断で侵入したこの人間は、罪人だ。

自分の立場を考えれば、遊んでなどいないですぐさま捕縛し、牢へ連行する義務がある。


しかしながら、久しぶりに感じた胸の高鳴りに身分など忘れてしまいたかった。



「興味があるのだ」



警報が鳴っていないことから、もしやと思ってはいたが…目の当たりにするとやはり驚きが大きい。

侵入者がいたというのに、公爵邸の結界が壊されていないのだ。


公爵邸の結界は伊達じゃ無い。没落してからもそれは変わらないものだ。

むしろ、補修作業のために定期的に強力な結界がかけ直されている。

だというのに、この人間はどうやってこの結界の中へ入ったというのだ。


そう思い、目を閉じる。

その時、ふわりと、夕暮れと夜が混ざる時のような、どこか切なくて、だけど温かい空気が辺りを包んだ。



(なんだ? これも、魔法か…?)



身を委ねてしまいたい感覚を押し殺し、腕に力を入れ、改めて、目の前の人物の魔力を観察した。そこで、さらに大きな衝撃が訪れる。



(魔力が、無いだと?)



空気中に霧散している透明な魔力とは違い、個人の魔力は体内の魔力器官に宿り、人それぞれ固有の色を帯びている。目を閉じることで個人の魔力を視ることが出来る私には、魔力が血脈のように映っていた。その色が濃い人ほど魔力が強く、薄い人ほど魔力が少ない。ただ、全く視えない人というのは見たことが無い…いや、祖父が亡くなった後には見えなかった。つまり、魔力というのは生物に必須のエネルギーであり、魔法が使えるほどでなかったとしても、生まれたばかりの子供であったとしても、全ての生物に備わっている力だ。

だが、目の前の人物は自分と互角に渡り合うほどの実力者だというのに、魔力が一切無い。薄くて見えないということでもない。無いのだ。



(こいつ、本当に生物か? それとも、俺の知らない魔法具か?)



しかしながら、魔力がないのであれば、結界が反応しなかったのも頷ける。ここの結界は、魔力や魔法を阻害しているというよりは、外部からの固有魔力を阻害し、内部からの穢れを抑えている。つまりこの人間は、結界に生物と認識されていない。いわば、この結界の中では、空気と同じ扱いなのだ。



(しかし、魔力が無いにも関わらず俺と互角に戦えるとは…。その上…)



着けている面には認識阻害の魔法がかかっている。声や体型から性別を気取られないようにするためのものだ。

大抵の場合こういうものは、弱者に見られやすい女性や子供が使う術でもある。


剣の応酬の最中、駆け巡る思考回路の中で分かった新たな衝撃に、驚きを隠せない。



(女性だなんて―――ありえない)



半分本気に加護のことを口にすれば、冗談だと鼻で笑われてしまう。

挙げ句の果てには、自分があたかも普通の人間であるかのような言い方をするので、今度はこちらが笑ってしまった。



「くく、この俺と同等にやりあえる女が普通だと?」

「!」



女、と言い当てられたことで僅かに動揺していた。

そのことから、その推測が間違いでないことを確信する。



「なぜ女だとわかったって顔だな?」

「透視でもできるって言うわけ?」

「まぁ、似たようなものだな。何人であろうとこの俺に偽りごとは出来んよ」


「視える者に対してだけ、魔力というのは雄弁にものを語る。…不思議だ。世の中には私も知らないものがたくさんあるのだな」



黙ってこちらを窺い見る女に、微笑んでやる。

マスクで見えないだろうが、女性には喜ばれる表情の一つだ。



「魔力を持たない人間とは」



その瞬間、女の纏う空気が変化する。

遊びは終わりということか。


これほどまでに心の昂る出会いを逃してやるはずもない。


気付いた時には脳天を突き刺す一撃を繰り出していた。

いつもの自分ならば、咄嗟とはいえいつも確実に“やるつもり”で剣を振っている。


しかし、なぜだか切っ先に殺意を込めることなどできなかった。


初めての感覚を不思議に思うが、もっと衝撃的なものが視界に入ってきたために完全にその感覚は塗り替えられる。

女の側頭部を掠めた一撃が、図らずも彼女のつけていたフードを切り裂いた。

咄嗟に裂けたフードを抑えていたが、僅かな隙に、確かに見えた。



(なんと、黒髪か!)



全てを包み込むような、深い闇


迫害の歴史を辿り、絶滅したと言われる者たちの色



「!」



見計らったかのようなタイミングで、女の足元が崩壊し始める。唯一の逃げ道になりそうな場所には、私がいた。退路はない。



「悪いな、女神は大抵私の味方をしてくれるんだ」



思えば、あれは虫の知らせだったのだ。


昨日からの浮ついた自分の様子を客観的にそう結論付ける。

奇妙な感覚だった。


足りなかったパズルのピースが見つかったような、満ち足りた感情。

今までは、何があっても大きく感情が動くことはなかった。しかし今日、新たな自分を知った。


閃光が視界を奪った隙に、女の意識を飛ばした。



「会いたかったぞ、運命よ」



始祖の血を強く受け継ぐ者の証、金緑色の目が腕の中で眠る女を見つめていた。



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